神ノ池航空隊に移って2か月も経たない11月に、良太は120名の仲間と共にもとの谷田部航空隊にもどされた。神ノ池航空隊が桜花部隊の訓練基地になったためである。
桜花は人間が操縦するロケット推進機であり、爆撃機の胴体下部から発進できるように作られた、体当たり攻撃のための専用機であった。そのような特攻専用の兵器として、ほかにも人間魚雷などが開発されつつあったが、良太たちにその情報が伝わることはなかった。
11月24日、東京はアメリカの大型爆撃機B29による大規模な空襲をうけた。攻撃目標とされたのは、軍用機の製造工場だった。
東京をはじめとする大きな都市は、B29にる空襲を頻繁に受けるようになったが、日本は有効な対抗手段をとることができず、爆撃による被害が急速に拡大していった。
12月に入ってまもなく、良太は外出できる機会を得たが、訪問の予告ができないままに浅井家を訪ねることになった。
浅井家では良太の訪問を喜んでくれたが、予想していたことではあっても、千鶴と忠之の不在が良太を落胆させた。良太は千鶴と忠之に置き手紙を残すことにした。
良太は千鶴の母親にすすめられるまま、借りた用具を持って書斎に入り、千鶴の机で手紙を書いた。花瓶にはサザンカが活けられていた。
良太は2枚の手紙を書き終えると、首をまわして書棚に眼をむけた。棚の空いている所に、いくつかの花束らしいものが並べてあった。
書棚の前まで来てみると、花束に見えたものは造花であった。バラと芍薬それに沈丁花の造花が、それぞれ数本ずつに束ねられ、造花の材料とともに置かれていた。
良太は棚から造花をつかみだし、思わずそれを鼻に近づけた。香りを想像させるほど、それはみごとな沈丁花であった。千鶴がこれを作ったとは。千鶴は作り方をいつおぼえたのだろうか。千鶴はどういうつもりでこれを作ったのだろうか。
良太は千鶴への手紙に文字を加えた。
〈みごとな造花を見たら欲しくなった。勝手なことをしてすまないけれど、沈丁花の造花をもらいたい。一番小さいのをもらって帽子の内側に取り付けるつもりだ。〉
良太はまもなく浅井家を出て東京大学へ向かった。前年の秋に千鶴と訪れて以来の訪問だった。
良太は構内を見まわってから、講義をうけた建物の中に入った。誰もいない講義室の椅子に腰をおろすと、そこで受けた講義が遠い昔のことのように思いだされた。
良太は図書館の閲覧室に入り、学生時代に愛用した閲覧卓の椅子に腰をおろした。そこは窓際で明るく、書物を読むのに最もよい場所だった。
読書にうちこんでいた頃を思い返しつつ、良太は窓の外に眼をやった。出征がきまった前年の秋、そこから見た木は葉をまとっていたが、今は細い枝を通して遠くが見えた。
図書館に入ってきた教官らしい人物が、軍服姿の良太に訝しげな眼をむけた。良太は机の上から帽子をつかんで立ちあがり、静かな足どりで図書館をでた。時間にゆとりはあったけれども、大学をあとにして上野駅へむかった。
不忍池を通りすぎて曲がり角にさしかかったとき、良太はうしろをふり返ってみた。初冬の街の道のかなたに、街路樹が葉を落とした姿で立っていた。
桜花は人間が操縦するロケット推進機であり、爆撃機の胴体下部から発進できるように作られた、体当たり攻撃のための専用機であった。そのような特攻専用の兵器として、ほかにも人間魚雷などが開発されつつあったが、良太たちにその情報が伝わることはなかった。
11月24日、東京はアメリカの大型爆撃機B29による大規模な空襲をうけた。攻撃目標とされたのは、軍用機の製造工場だった。
東京をはじめとする大きな都市は、B29にる空襲を頻繁に受けるようになったが、日本は有効な対抗手段をとることができず、爆撃による被害が急速に拡大していった。
12月に入ってまもなく、良太は外出できる機会を得たが、訪問の予告ができないままに浅井家を訪ねることになった。
浅井家では良太の訪問を喜んでくれたが、予想していたことではあっても、千鶴と忠之の不在が良太を落胆させた。良太は千鶴と忠之に置き手紙を残すことにした。
良太は千鶴の母親にすすめられるまま、借りた用具を持って書斎に入り、千鶴の机で手紙を書いた。花瓶にはサザンカが活けられていた。
良太は2枚の手紙を書き終えると、首をまわして書棚に眼をむけた。棚の空いている所に、いくつかの花束らしいものが並べてあった。
書棚の前まで来てみると、花束に見えたものは造花であった。バラと芍薬それに沈丁花の造花が、それぞれ数本ずつに束ねられ、造花の材料とともに置かれていた。
良太は棚から造花をつかみだし、思わずそれを鼻に近づけた。香りを想像させるほど、それはみごとな沈丁花であった。千鶴がこれを作ったとは。千鶴は作り方をいつおぼえたのだろうか。千鶴はどういうつもりでこれを作ったのだろうか。
良太は千鶴への手紙に文字を加えた。
〈みごとな造花を見たら欲しくなった。勝手なことをしてすまないけれど、沈丁花の造花をもらいたい。一番小さいのをもらって帽子の内側に取り付けるつもりだ。〉
良太はまもなく浅井家を出て東京大学へ向かった。前年の秋に千鶴と訪れて以来の訪問だった。
良太は構内を見まわってから、講義をうけた建物の中に入った。誰もいない講義室の椅子に腰をおろすと、そこで受けた講義が遠い昔のことのように思いだされた。
良太は図書館の閲覧室に入り、学生時代に愛用した閲覧卓の椅子に腰をおろした。そこは窓際で明るく、書物を読むのに最もよい場所だった。
読書にうちこんでいた頃を思い返しつつ、良太は窓の外に眼をやった。出征がきまった前年の秋、そこから見た木は葉をまとっていたが、今は細い枝を通して遠くが見えた。
図書館に入ってきた教官らしい人物が、軍服姿の良太に訝しげな眼をむけた。良太は机の上から帽子をつかんで立ちあがり、静かな足どりで図書館をでた。時間にゆとりはあったけれども、大学をあとにして上野駅へむかった。
不忍池を通りすぎて曲がり角にさしかかったとき、良太はうしろをふり返ってみた。初冬の街の道のかなたに、街路樹が葉を落とした姿で立っていた。