忠之は受けとった手紙を机におくと、「県人会の者たちと、お前らの壮行会をやることになったんだ。せっかくだから出席しろよ。いい思い出になると思うぞ」と言った。
 良太は県人会にはめったに顔を出さなかったから、壮行会への出席はためらわれた。
「いつなんだ、その壮行会は」
「火曜日の夜だ、来週の。お前みたいに先月の壮行会に出られなかった者がいるから、もう一度やることになったんだ」
「そういうことなら、できたら出席することにするよ」と良太は言った。
 良太が自分の部屋に帰り、恩師への返事を書いていると、忠之が手紙を返しにきた。
「読んだぞ、この手紙」と忠之が言った。「気に障るところがあるかも知れないが、許してやろうぜ。俺にはいい親父だし、お前にはいい教師のはずだから」
「俺にとっては最高の先生だし、お前には最高の親父さんだよ、岡先生は」
「そうか………親父に返事を出してやってくれないか」
「ああ、お前の分も書いとくぞ」と良太は言った。
 その夜、千鶴は書斎の机でアルバムを見ていた。良太のための椅子はすでに横に並べてあった。
 入ってきた良太が椅子に腰をおろすと、千鶴は良太の前にアルバムを押しやった。
「私の大事な写真。千恵も持ってるのよ、同じようにして」
「子供の頃の千鶴に会えそうだな」
「見たいでしょう、私の子供の頃の写真」
 千鶴は腕をのばしてアルバムをめくった。
「これは七五三のとき。私も子供の頃にはかわいかったでしょ」
「その頃ここに下宿していれば、こんな千鶴に会えたのにな」
「そうよ、もっと早く来てくれたらよかったのに」
 その写真の並びには、千鶴が両親とともに写っている写真があった。
「眼鏡をかけてたんだな、千鶴のお父さんは」
「お母さんに言わせるとね、本を読み過ぎたからだって。この本棚の本をみんな読んだんだから仕方ないわよね」
「忠之が近眼になったのはなぜだか分かるか」
「どうしてかしら」
「俺よりも一冊だけ多く読んだからだよ」
 千鶴は声を抑えて笑い、「それなら、私はあと何冊ほど読めるかしら、近眼の心配をしないで」と言った。
「千鶴の眼がいいのは神様のおかげなんだよ」
「だったら、安心して勉強してもいいわよね」
「きっと、いい薬剤師になれるよ、千鶴は」
「うれしい、良太さんにそう言われると」と千鶴は言った。
 千鶴はアルバムをめくった。
「小学校一年生のわたしよ。入学式の日に玄関でお父さんが写してくださった写真。日曜日には、私が通った小学校にも行ってみましょうね」
「そうだな、千鶴のお転婆時代の学校は見ておきたいよ」
「いやだな、もしもそんな証拠が学校に残っていたら」
「そんなにお転婆だったのか、千鶴は」
「いやだわ、良太さん、もちろん冗談よ」
 父親がカメラを買ったので、千鶴には小学生時代の写真がたくさんあった。
「これは湯島天神で写した写真。日曜日にはここにも行ってみましょうか」
 千鶴はさらに次の写真を見せて言った。「小学校の運動会。千恵は走るのが速かったけど、私はあんまり得意じゃなかったわね」
 何枚かめくったところで千鶴は一枚の写真をさした。
「これは植物園でお父さんに撮ってもらった写真。私が女学校に入学した頃よ」
「千鶴がますます可愛くなった」
「はいはい、わかりました。それではもっとかわいいのをご覧にいれましょうか」
 千鶴は別のアルバムを引き寄せて中ほどを開いた。そこには同じ写真が二枚はさんであり、まだ貼りつけてなかった。祖父が写してくれたその写真には、良太と千鶴が並んで写っている。夏休みに帰省する良太に、文庫本にはさんで渡した写真と同じものだった。千鶴はその一枚を良太に渡した。
「とうとう世界で一番かわいくなった」
「へただわね、良太さんは。もうちょっとだけ遠慮した言い方をしなくちゃ」
「いいじゃないか、俺にとってはほんとにそうなんだから」
「うれしい」千鶴は良太に体をおしつけた。
「千鶴が俺の子供の頃を知りたいと思ったみたいに、俺も千鶴の子供の頃のことを知りたくなった。楽しみにしてるよ、小学校や幼稚園の見物」
「日曜日は昼前に出かけましょうね、お弁当をもって」と千鶴は言った。