良太はその午後も遅くなってから浅井家を訪れ、忠之の部屋で千鶴や沢田をまじえて語りあった。そのあと、浅井家で用意された夕食をとり、入浴してから下宿に帰った。
早朝に起床して始まった一日が終わった。日記をつけさえすれば、あとは寝るだけだった。
良太はノートを持って寝床に入り、腹ばいになってペンをにぎった。
〈前日の20日に浅井家にて壮行会をしていただく。忠之や沢田と共に馳走にあずかり、ご家族を交えて歓談す。なごやかな宴のごとき壮行会だった。そのまま浅井家に泊めてもらう。浅井家の御厚意に深く感謝す。
今日は明治神宮外苑競技場で文部省などの主催になる壮行会。雨の中を千鶴を含めた4人で千駄ケ谷へ。
スタンドを埋め尽くした数万人の気持を受けつつ雨の中を行進。あの数万人の気持は、国民すべての願望に通じている。戦局の前途容易ならざるとき、自分は如何ほどにその期待に応えることができるだろうか。今はただ我らの出征に意義あれかしと願うのみ。〉
日記をそこで終えることにした。ノートを閉じてふとんの上に仰向けになると、千鶴のことが想われた。千鶴は何をしているのだろうか。握り飯を作る用事があったから、そのぶん千鶴は早く起きたはず。もう寝床に入っているのかも知れない。濡れた制服を冷たく感じながらの食事だったが、あの握り飯はうまかった。
まもなく良太は眠りにおちた。
その夜、千鶴は疲れをおして書斎に入り、机の上に日記用のノートを置いた。
〈神宮外苑競技場での出陣学徒壮行会。雨の中を良太さんと岡さんに純ちゃんと私の4人で千駄ケ谷に向かった。雨のためか式は少し遅れて開始。
先頭の集団が現われたとたんに全身が震えるほどの感動におそわれた。声をかぎりに良太さんたちに声援を送った。総理大臣や文部大臣が演説したが、私はほとんど聞かずに整列している良太さんたちだけを見ていた。
良太さんは午後遅くに来てくださった。見なれた制服姿ではなく毛糸のシャツを着ておいでだった。岡さんの部屋に4人で集まって話し合った。
良太さんの感想。雨の中を行進していると、スタンドから呼びかけているこの人たちのために、日本に生まれ育った者のために、自分たちは出征して征くのだという気持ちが沸きあがってきた。それを聞いて、私は良太さんたちに感謝しなければならないと思った。私たちは感謝しながら、出陣される良太さんたちの無事を祈らなければならない。
岡さんの感想。良太さんたちが出征されるのだから、理科の学生も何らかの形で戦争に参加しなければならない。岡さんはそのために何ができるか考えているとのこと。
良太さんは徴兵検査を受けるために故郷へお帰りになる。しばらく会えないけれど、十日ほど待てばまた会える。良太さんを送って玄関を出たとき、あちこちから虫の声が聞こえた。虫の声を聞きながら、良太さんとしばらく立ち話をした。こんな戦争をしているときでも、虫の世界は平和なとき変わっていないはず。人間はどうして戦争などをするのだろうか。
大学を休学した純ちゃんが明日には横浜の家に帰り、出雲から帰ってきた良太さんが代わりに入られる予定。しばらくの間とはいえ、良太さんはここでお暮らしになる。良太さんのためにできるだけのことをしてあげたいと思う。〉
今このとき、良太さんは下宿で何をしておいでだろうか。お疲れのはずだから、もしかしたらすでにお休みになっているのかも知れない。昨日の夜、岡さんが冗談に良太さんの寝相のことを口になさった。良太さんの寝顔を見たい気がするけれど、いつになったら見ることができるだろうか。
千鶴はノートを引き出しに入れ、机の前をはなれた。
早朝に起床して始まった一日が終わった。日記をつけさえすれば、あとは寝るだけだった。
良太はノートを持って寝床に入り、腹ばいになってペンをにぎった。
〈前日の20日に浅井家にて壮行会をしていただく。忠之や沢田と共に馳走にあずかり、ご家族を交えて歓談す。なごやかな宴のごとき壮行会だった。そのまま浅井家に泊めてもらう。浅井家の御厚意に深く感謝す。
今日は明治神宮外苑競技場で文部省などの主催になる壮行会。雨の中を千鶴を含めた4人で千駄ケ谷へ。
スタンドを埋め尽くした数万人の気持を受けつつ雨の中を行進。あの数万人の気持は、国民すべての願望に通じている。戦局の前途容易ならざるとき、自分は如何ほどにその期待に応えることができるだろうか。今はただ我らの出征に意義あれかしと願うのみ。〉
日記をそこで終えることにした。ノートを閉じてふとんの上に仰向けになると、千鶴のことが想われた。千鶴は何をしているのだろうか。握り飯を作る用事があったから、そのぶん千鶴は早く起きたはず。もう寝床に入っているのかも知れない。濡れた制服を冷たく感じながらの食事だったが、あの握り飯はうまかった。
まもなく良太は眠りにおちた。
その夜、千鶴は疲れをおして書斎に入り、机の上に日記用のノートを置いた。
〈神宮外苑競技場での出陣学徒壮行会。雨の中を良太さんと岡さんに純ちゃんと私の4人で千駄ケ谷に向かった。雨のためか式は少し遅れて開始。
先頭の集団が現われたとたんに全身が震えるほどの感動におそわれた。声をかぎりに良太さんたちに声援を送った。総理大臣や文部大臣が演説したが、私はほとんど聞かずに整列している良太さんたちだけを見ていた。
良太さんは午後遅くに来てくださった。見なれた制服姿ではなく毛糸のシャツを着ておいでだった。岡さんの部屋に4人で集まって話し合った。
良太さんの感想。雨の中を行進していると、スタンドから呼びかけているこの人たちのために、日本に生まれ育った者のために、自分たちは出征して征くのだという気持ちが沸きあがってきた。それを聞いて、私は良太さんたちに感謝しなければならないと思った。私たちは感謝しながら、出陣される良太さんたちの無事を祈らなければならない。
岡さんの感想。良太さんたちが出征されるのだから、理科の学生も何らかの形で戦争に参加しなければならない。岡さんはそのために何ができるか考えているとのこと。
良太さんは徴兵検査を受けるために故郷へお帰りになる。しばらく会えないけれど、十日ほど待てばまた会える。良太さんを送って玄関を出たとき、あちこちから虫の声が聞こえた。虫の声を聞きながら、良太さんとしばらく立ち話をした。こんな戦争をしているときでも、虫の世界は平和なとき変わっていないはず。人間はどうして戦争などをするのだろうか。
大学を休学した純ちゃんが明日には横浜の家に帰り、出雲から帰ってきた良太さんが代わりに入られる予定。しばらくの間とはいえ、良太さんはここでお暮らしになる。良太さんのためにできるだけのことをしてあげたいと思う。〉
今このとき、良太さんは下宿で何をしておいでだろうか。お疲れのはずだから、もしかしたらすでにお休みになっているのかも知れない。昨日の夜、岡さんが冗談に良太さんの寝相のことを口になさった。良太さんの寝顔を見たい気がするけれど、いつになったら見ることができるだろうか。
千鶴はノートを引き出しに入れ、机の前をはなれた。