つぎの日の夕方、良太と忠之は沢田につれられて、講演会の会場に入った。会場はほぼ満員になっており、聴衆のほとんどが学生だった。
 定刻ちょうどに講師が現れた。白い夏用の士官服に身を包んだ海軍士官を、学生たちは大きな拍手をもって迎えた。
 講師は自己紹介を終えるとすぐに、南太平洋の戦況について語ったが、その多くは公表されていることだった。良太が不満を覚えていると、講師は学徒の在り方について語り始めた。
 海軍士官が学生の役割を論じるにおよんで、良太はその講演会の目的を理解した。軍はいよいよ学生を対象に何かを始めるらしい。
講師は語った。我々に大和魂があるように、米国人には米国魂が、支那人には支那魂があることを忘れてはならない。ここまで戦ってきて、米軍の戦意がきわめて高いことがわかった。その米軍の中核をなすのは、軍に志願した学生である。彼等は祖国のために挺身し、祖国の名誉のために戦うことに、無上の誇りを抱いていることがわかった。現今の戦争を主導するのは航空機だから、彼等はとくに空軍に志願し、米国空軍において中核的な役割を担っている。そのような米国の学徒に比して、はるかに勝る大和魂を持つ諸君は、皇国の興廃がかかるこの戦争において、自らの役割を自覚しなければならない。諸君は愛国心と大和魂を自らに問わなければならない。
 講師は演台から一冊の冊子を取りあげた。講師によれば、それは先ごろ刊行された学徒出陣なる定価30銭の冊子であり、日本の学徒が読むべきものである、ということであった。
講演を聞き終えた学生たちは、緊張した面持ちで会場をあとにした。良太たち3人は、互いに感想を述べながら夜の街を歩いた。
「あの将校は、アメリカの学生を誉めながら、俺たちに奮起を促したんだから」と良太は言った。「もしかすると、俺たちに志願をせまる前触れかも知れないな」
「学徒出陣とか言ったな、あの本の名前。良太が言うように、俺たちも出征することになるかも知れんぞ」
 下宿に帰るための別れ道にきたが、良太は忠之たちといっしょに浅井家に向かった。
 夜の本郷は、東京の街とは思えないほど暗かった。夜風にざわつく庭木の音が聞こえるほどに、人影の少ない街は静寂だった。見あげると、きれいな星空だった。千鶴と交わした約束が思い出された。千鶴といっしょに出雲の星空を眺めたい。その日が訪れるのはいつのことだろう。
 浅井家に着いたとき、時刻はすでに8時を回っていたけれども、千鶴に請われるままに良太は書斎に入り、いつものように並んで腰をおろした。
 良太は講演会の感想を語った。
「戦争が長く続いたら、良太さんも出征することになるのかしら」と千鶴が言った。「怖いわ、私。いつまで続くのかしら、この戦争」
「心配することはないよ、たとえ出征するようなことになっても、絶対に死なずに還ってくるよ。けがひとつしないで」と良太は言った。
 良太は思った、学生に出征命令がくだされる日も遠くはないという気がする。たとえそうなったとしても、俺は戦死することなく、千鶴のそばに還って来なければならない。俺は千鶴とともに人生を歩まねばならないのだ。
 良太は言った。「千鶴と約束したんだからな、いっしょに人生を送ると。出征することになったとしても、俺は絶対に千鶴のところに帰ってくるよ」
 千鶴が良太をのぞきこむようにして言った。「嬉しい、良太さん。そのほうが好き、千鶴と呼んでもらうほうが」
 千鶴がこれほど喜ぶのなら、もっと早くから千鶴と呼んでやればよかった、と良太は思った。俺にとっても、そのほうがずっと好ましい。
「千鶴だよ」良太は千鶴の髪に手をふれた。「これからは千鶴と呼ぶことにする」
 千鶴が「良太さん」と呟くようにして言った。
「何だい、千鶴」
「呼んでみたかっただけなの」と千鶴が答えた。
 良太が千鶴に腕をまわすと、千鶴は首をまわして眼を閉じた。良太は千鶴を抱きよせて顔を近づけた。