アルセーヌとツェツィリアは現世とは異なる世界、『エデン』に居る。
広大な草原で……
ふたりは何を話すのでもなく、暫くの間、並んで座っていた。
アルセーヌは、自分でも不思議であった。
謎めいた、美しい少女ツェツィリアの事を少しでも早く、そして詳しく知りたい。
間違いなく、強い強い気持ちがあるというのに……
反面、「焦る事はない」という余裕の気持ちも同時にあったのだ。
「え? あ!」
突如!
ふたりの目の前に、直径30㎝くらいの水晶球が出現していた。
誰が何をどうやったのか、魔法使いのアルセーヌにも不明であった。
そして見る限り、ただの水晶球ではなさそうだ。
とんでもなく強い魔力が放たれていたし、表面は鮮やかな虹色に輝いている。
「こ、これは!」
思わずアルセーヌが驚けば、ツェツィリアは微笑む。
どうやら、ツェツィリアの仕業らしい。
「うふふ、これはね、魔導水晶……とても便利なのよ」
「魔導……水晶……」
「全世界の、過去現在未来を見通す素晴らしい魔道具……この世界でひとりぼっちの私が、寂しくならないよう……お父様がくださったの」
「お、お父様? さっきツェツィリアと一緒に迷宮に居たあの人?」
「ええ、そう。とても優しい、私の大好きなお父様よ」
「…………」
ツェツィリアの父?
あの謎めいた魔法使いか?
転移魔法も使いこなす恐るべき魔法使いだ。
彼女の父親にしては若すぎる気もしたが……
また何故、父とふたりきりで危険な迷宮に居たのか?
曖昧なツェツィリアの話は、今のアルセーヌには理解出来ない。
と、その時。
ツェツィリアがいきなり水晶球を指さした。
「ねぇ、見て」
アルセーヌが固唾を呑んで見守っていると、ツェツィリアは指を「ピン!」と鳴らした。
すると!
水晶球に映る光景は、アルセーヌにとっては見覚えのある王都の風景である。
そして、これまた彼が見慣れた石造りの建物が見えて来た……
「こ、ここは!」
「ええ、アルセーヌ。貴方が良く知っている場所ね」
「…………」
「あの建物は王都セントヘレナにある、創世神教会付属の孤児院……貴方が育った場所」
「…………」
やはり……ツェツィリアは、アルセーヌの素性を知っている。
ここは黙って……彼女の話を聞いた方が良さそうだ。
アルセーヌが無言になったのを見て、ツェツィリアはそのまま話を続ける。
「私は見た……貴方は16年前、誰もが凍える雪の日に……この孤児院の門前に捨てられていた……可哀そうに……」
「…………」
「天涯孤独な捨て子の貴方は……当然親の顔を知らない。でも腐らず、めげずに、たったひとりぼっちで、ずっと頑張って来た……まともに職にもつけず、仕方なく冒険者となり、辛い思いをしながら、今迄生き抜いて来た」
「…………」
「……私はね、この異界から魔導水晶を使って、ずっと見ていたわ、アルセーヌの事を」
「ツェツィリア……」
「貴方の生き方が私を救ってくれたのよ、アルセーヌ……」
「な? 俺が!?」
「ええ……貴方はとても不器用。だけど、ひたすら誠実……」
「…………」
「そんな貴方が励みとなり……同じく両親に見捨てられ、自暴自棄になり、怖ろしい悪鬼へ堕ちるはずだった……ひとりの女の子が救われたの……」
「お、同じく? そ、それに怖ろしい悪鬼!?」
アルセーヌは驚いて声を出した。
まずツェツィリアが自分と同じ捨て子だという事に。
そして『悪鬼へと堕ちる』……とは、一体どのような意味なのだろうと。
「ええ、私も貴方と同じよ……10年前に人里離れた不気味な森へ、たったひとり置き去りにされ、捨てられたのよ……」
「えええっ!? で、でもさっき、君はお父様って!」
またも驚き、アルセーヌは思わず尋ねた。
捨てられたのに……父が居る?
「…………」
対して、無言で真っすぐにアルセーヌを見つめ返すツェツィリアの顔には……
氷のように冷たい微笑みが、張り付いていたのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
両親に捨てられた筈なのに……
何故?
『お父様』と呼ぶ存在が居る?
そんなアルセーヌの疑問には答えず、ツェツィリアはまた話し始めた。
「貴方には正直に言う。それで……私を嫌いになっても構わないわ」
「そ、そんな!」
「いいえ、アルセーヌ。もし私が貴方の立場なら……嫌いになるのもありえる。仕方がないから……」
「…………」
「私を生んだ両親は人間よ。幼い私をあっさり捨てた鬼畜以下の奴等だけど、確かに人間。それは間違いない……」
「…………」
「でも私は……人間ではないの」
「え?」
ツェツィリアが……人間ではない!
あまりの事に、アルセーヌは言葉が出て来ない……
そんなアルセーヌを他所に、ツェツィリアは淡々と話している。
「普通の人間から……唐突に魔族が生まれる。貴方は聞いた事ある?」
「…………」
「その魔族が私……よ」
「…………」
「創世神様の悪戯というには、あまりにも過酷な運命……そんな運命の星の下に生まれたのが……私」
「ま、まさか!」
「そう……私ツェツィリアは人間ではない。人外の夢魔……夢魔モーラなの」
「えええっ!」
夢魔モーラ。
冒険者のアルセーヌも名前だけは知っていたが、幸いというか、まだ遭遇した事はなかった。
モーラは『獲物』の心臓から、魔力もしくは血を吸うと言われる少女の姿をした怖ろしい人外である。
凄まじい魔力を持ち、変幻自在で姿を自由に変えるとも言われていた。
そして……
ツェツィリアが言う通り、夢魔モーラは稀に人間からも生まれる事があるという……
あまりにも衝撃の事実に……
アルセーヌは呆然として、目の前のツェツィリアを見つめていたのであった。
ツェツィリアは夢魔モーラ!?
目の前の美しい少女が?
人間にしか見えない可憐な少女が?
到底、信じられない。
衝撃の事実を聞き、呆然とするアルセーヌを尻目に、ツェツィリアの『告白』は続いている。
遠い目をしながら、ツェツィリアは話す。
淡々と……
「母が……魔法使いの母は空腹を訴える私に……密かに魔力を与えていた。彼女は気付いていたの。私が魔族である事を」
「…………」
「その秘密が、ある日父親に知れた。父親は母を殴って罵《ののし》り、私をどこか遠く、もう戻れない場所へ捨てると決めた……」
「…………」
「人間ではない、私……人々から忌み嫌われる夢魔モーラであるが故に……」
「…………」
「実の両親から、人里離れた深い不気味な森へ捨てられた私は……飢えたゴブリン共の大群に囲まれ、あっさり餌になる……普通なら、すぐに死ぬ運命だった……」
「…………」
「ゴブリン共に生きながら喰われる……もうお終い……すんでの所で、私を助けてくれたのが、お父様なの……」
「ね、ねぇ、ツェツィリア! さっきから君が言ってる、そ、そのお父様って誰なの?」
アルセーヌは気になる。
ツェツィリアの言う『お父様』の正体とは一体、誰?
果たして何者なのか?
どうやら……
ツェツィリアは、『お父様』に対する質問には、まともに答えたくないらしい。
それより、アルセーヌがとても気になる事を言い放った。
「……ええ、お父様が私を助けてくれたのは、ほんのきまぐれ。でも魂の契約に基づき、私を鍛え、いろいろなものを与えてくれたのよ……」
「な? た、魂の契約って? な、何!?」
アルセーヌはそう言うと、周囲を見渡したが……
ツェツィリアの言う『お父様』らしき者は見当たらなかった。
もしもこの世界に居るのなら、あの男『お父様』へいろいろ問い質したい……
そう思ったのだ。
しかし改めて周囲を見回しても、自分とツェツィリアのたったふたりきり。
他に人間は見当たらない。
困って頭をかいたアルセーヌは、仕方なくもうひとつの疑問を、ツェツィリアへぶつけてみる事にした。
「ええっと……ツェツィリアが夢魔モーラって事は分かったけれど……何故俺なの?」
「うふふ」
「笑わないでくれよ。俺、真面目に聞いているんだから」
「あら、私は真面目よ。貴方をからかってなんかいないわ」
「だってさ。孤児院には他にも、親に捨てられた孤児が大勢居た筈だ……俺よりずっとカッコいい奴がいっぱい」
アルセーヌは思う。
確かに自分は孤児で不幸な境遇だ。
まじめに生きて来たという自負もある。
しかし……
地味な自分以上に、美しいツェツィリアには相応しい相手が居るとも思う。
アルセーヌは、またも己を卑下したのである。
そんなアルセーヌをツェツィリアはたしなめる。
悪戯っぽく笑って……
「うふふ、駄目よ、そんな事言っちゃ。私には、貴方を選んだはっきりとした理由があるわ」
「え? 俺を選んだ、はっきりとした理由」
アルセーヌは……選ばれた。
間違いなく、ツェツィリアに選ばれた。
大事なパートナーとして。
まだ半信半疑のアルセーヌへ、ツェツィリアは言う。
「さっきも言ったけれど、貴方は私を救ってくれた……くじけそうになる私の心を……いつもしっかり支えてくれたの……」
「…………」
「うふふ、じゃあ教えるね。理由は他にもあるの、それも3つもよ」
「3つも? 俺を選んだ理由が?」
「そうよ。さっきも言ったけど……まず貴方の生き方。誠実さ、つまり人柄よ。第2は貴方の力……」
「力?」
「うふふ、だって私は魔力を糧とする夢魔モーラ。いっぱい魔力を与えてくれる魔力供与士の貴方は、パートナーとしてぴったりじゃない?」
ツェツィリアの言葉を聞き、アルセーヌは納得し頷く。
誠実さはともかく、魔力を喰らう夢魔ならば……
彼女の言う通り、確かに魔力供与士の自分は、ぴったりのパートナーだと。
「な、成る程。だったら最後の3つ目は?」
「最後の……第3の理由は……貴方の持つ魔力の質が……最高だから。私と相性ピッタリなのよ」
「質が? さ、最高? 俺と君は相性がぴったりなのか?」
「その通り! 論より証拠……思い出してみて……貴方と私が抱き合った時の事を……」
「あ、ああ……」
アルセーヌは思い出した。
迷宮でツェツィリアと抱き合った甘美なひと時を……
まるで身体が、とろけたチーズのようだった。
いつも仕事で、事務的に魔力を与えていた時とは大違いだ。
魔力を出す瞬間に、思わず情けない声が出てしまったくらいである。
そしてツェツィリアも、甘い魅惑的な声で応えてくれた。
単なる魔力の交歓であそこまで感じるのだ。
もし男として、ツェツィリアを抱いたら……
一体どうなるのか?
想像しただけで、怖くなる。
否、期待に胸が打ち震えてしまう……
そんなアルセーヌの心の中を読んだように、ツェツィリアがまたもや悪戯っぽく笑う。
「ねぇ……アルセーヌ。私が……欲しい?」
「あ、ああ……ほ、欲しい! 君を抱きたい!」
「うふふ、安心したわ。貴方、健康な男の子ね。でも……」
「…………」
「アルセーヌ」
「…………」
「貴方が……本当に私を愛してくれるのなら……夢魔の私は……変われるかもしれない……」
ツェツィリアが謎めいた言葉を告げ、何故か口籠った、その時。
「少年!」
凛とした男の声が、いきなりアルセーヌの背後から響く。
声を聞いたツェツィリアが、にっこり笑う。
「あら? お父様」
「へ? お父様?」
ツェツィリアの声に反応し、アルセーヌも慌てて振り返った。
何という事だろう。
いつの間にか……
迷宮でアルセーヌが出会ったあの謎めいた男、
転移魔法で煙のように消えた魔法使いが居た!
10年前のあの運命の日……
恐怖に慄き、泣き叫ぶツェツィリアをゴブリンの大群から助けた魔法使いが……
ふたりの傍に立っていたのである。
異界エデンに居るアルセーヌとツェツィリアの傍らに、いつの間にか立っていたのは……
漆黒の法衣を着込み、同色の大きなマントをひるがえす。
長身痩躯の30過ぎそこそこの若い男だ。
彼こそがツェツィリアから『お父様』と呼ばれる謎めいた男……
そう、10年前に全属性の魔法を軽々と使いこなし、ツェツィリアの危機を救った男である。
青に近い色白の肌。
小さい顔。
なで肩まで伸びた、さらさらの美しい金髪。
「ぴしっ!」と鼻筋が通った端正な顔立ち。
切れ長の涼し気な目には感情が全く見えない。
碧眼の瞳に映るふたりを、まるで『もの』を見るように捉えていた。
不思議なのは……
森での救出劇から約10年の月日が流れ、当時6歳だった幼子のツェツィリアが美しい少女へと成長したのに……
この男の容姿は、10年前と全く変わっていない。
全く年を取った様子がないのだ。
当然アルセーヌは、その不思議な事実を知らない……
ぞくり……
アルセーヌに鳥肌が立った。
男のまとう、感情が伝わらない冷え冷えとした雰囲気が、アルセーヌへ底知れぬ恐怖を呼び起こす。
分かる。
魔法使いのアルセーヌには気配、魔力の波動で分かる。
冒険者としての感覚でも分かる。
この男は……人間ではない。
怖ろしい人外だと……
いきなり男が問う。
矢を射るような鋭い視線をアルセーヌへ投げかけて。
「少年……アルセーヌと言ったか? ツェツィリアに気に入られたようだな」
「あ、わわわ…………」
しかしアルセーヌは恐怖に囚われ、身体だけではなく、口も動いてくれなかった。
返事どころか、恐怖からろくに言葉が出ないのだ。
もしこの男に会えたら、いろいろ『事情』を聞こうと思っていたのに。
だが、すかさずツェツィリアがフォローしてくれた。
「そうよ、お父様。彼の名はアルセーヌというの」
男は肩をすくめ、ツェツィリアに向き直る。
「ふむ……ツェツィリア、どうだ?」
「見込んだ通り、彼は、アルセーヌには素晴らしい素質があります。私とは魔力の相性も最高です」
「素質、相性……成る程。だが性根は?」
アルセーヌの性格……
聞かれたツェツィリアは、きっぱりと言い放つ。
「せ、誠実です。信じられます」
「そうか? この少年は真面目ではあるが、豪胆さに欠ける、つまり極めて小心だ。……気持ちが相当弱いと見たが……」
男が指摘すると、何故かツェツィリアは必死に庇う。
アルセーヌの事を。
「ア、アルセーヌは! や、優しいだけです。優し過ぎるのですっ! 私がパートナーとなり、挫けないようしっかり支え助けますっ!」
「分かった。単にこの少年が下僕なら問題ないが……お前に相応しいかどうか……彼アルセーヌの試験をしよう」
男はピンと指を鳴らした。
瞬間!
またも、アルセーヌは足元の感覚を失い、あっさり意識を手放していた。
ただ意識がなくなる時。
「アルセーヌ、頑張って! 信じてる!」
という、ツェツィリアの熱い励ましが、確かにアルセーヌの耳へ響いたのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
やがて……
アルセーヌの意識が戻って来る。
いつのまにか、アルセーヌはどこかへ横たわっていた。
目を徐々に開けると、辺りの様子が変わっている。
何もない……のだ。
今迄あった楽園の大草原が、森が、頭上の大空が……
風もない、温かくも寒くもない。
そして、色さえもない。
周囲は真っ白な世界なのである。
「こ、ここは……」
どこだ?
と思わず声が出たアルセーヌに対し、
「ここは、私が創った別の異界。先ほどのエデンともまた違う場所だ」
「は!?」
いきなり『男』の声が響き、アルセーヌは吃驚して思い切り起き上がった。
「あ、貴方は!」
声の主は、やはりツェツィリアが『お父様』と呼ぶ男であった。
相変わらず漆黒の法衣姿でアルセーヌの前に、佇んでいる。
「少年よ、私の事は、ルイと呼べ」
ルイと名乗った男は淡々とした口調で、いきなり申し入れをして来る。
「ルイ……」
「そうだ! アルセーヌとやら、私と取り引きをしよう」
「取り引き?」
「うむ、ツェツィリアは魔導水晶でたまたまお前を見つけてから……何故か、ずっと執着している」
「俺に? 執着?」
「私は困っていた。お前が原因でツェツィリアは人の心を捨てきれず、夢魔モーラとして覚醒せず未だ完全体になれない」
「…………」
困っていた?
ツェツィリアが自分のせいで?
完全な夢魔になりきれない?
一体何を言っている?
この男……ルイの意図は、何なのだろう。
アルセーヌがつらつら考えていると、ルイは更に言う。
「まだ分からぬか? ツェツィリアはな、私の良き片腕になれるほどの逸材なのだ」
「え? ツェツィリアが?」
「ああ、そうだ。いっそ、事故に見せかけ、お前を殺しても良かったが……」
「え? 俺を殺す?」
「うむ、あの子が完全体になるには、お前という存在が邪魔だからな」
「あ、う……」
アルセーヌは絶句した。
ルイが、あっさり殺すと言い切る言葉の持つ恐怖。
淡々と、感情がない。
まるで人が、小さな虫けらを、無造作にひねり潰すような趣きだ。
「だが……もしもお前を殺せば、当時の幼いツェツィリアは生きる事に絶望し、自ら命を絶っただろう。だから私は、敢えてお前を見逃していた」
「…………」
「しかしツェツィリアは以前よりもずっと強くなった、心身ともに。それ故、お前が居なくても、もう死にはしない」
「…………」
「だが安心しろ……今更、お前を殺すつもりはない。ツェツィリアに免じて命だけは助けてやる」
「…………」
「その代わりアルセーヌ、お前からツェツィリアへ別れを告げよ。夢魔のお前など嫌いだ、もう二度と会わないと、きっぱり宣言するのだ」
「え?」
夢魔のツェツィリアに嫌いだと言え……二度と会うな。
ルイの持ちかけた『取り引き』とは……とんでもないものだった。
「永遠の別離を告げれば、お前の持つツェツィリアの記憶は完全に消去される。ツェツィリアからも同じくお前の記憶を消す」
「な、そんな!」
「ふむ、何故だ? 何か問題があるのか? ……お前には、そんなに動揺する理由がない筈だ」
慌てるアルセーヌを不思議そうに見て、ルイは首を傾げた。
そして、氷のように冷たい眼差しで、改めてアルセーヌを見据えたのであった。
ここで、初めてルイは笑う。
しかし、氷のように冷たい微笑である。
そして、何かまた話をするようだ。
「これは取引きだ。無論、ただとは言わぬ。お前がツェツィリアに二度と会わないと約束すれば……」
「…………」
「殺さないのは勿論、お前には優れた力と美しい結婚相手、そして高い身分を与えよう」
「え?」
まさに!
ルイはまさに、鞭と飴《あめ》を使い分けていた。
アルセーヌへ対し、散々死への恐怖をちらつかせながら……
今度は、とても甘い果実を与えると言うのだ。
心が翻弄されるアルセーヌは、どんどんルイに言いくるめられて行く……
まるで、見えない蜘蛛の糸にまかれた、身動きのとれない獲物のように……
「まずは力だが……結構な魔力はあるのに、ろくに魔法が使えないお前へ……上級魔法使いの力を与える」
「じょ、上級魔法使い…………」
「そうだ。お前を……様々な攻防の魔法が使える、複数属性魔法使用者《マルチプル》にする。水、火、風、地のうち、どれでも好きな属性をふたつ選ぶが良い」
「俺が複数属性魔法使用者、……す、凄い」
「ふむ! 更に結婚相手も与えよう。美貌を誇る、さる王国の王女だ。お前はその王女と結婚し、高い身分も得る。……父王の腹心たる王宮魔法使いの地位だ。要領良く立ち回れば次期国王も夢ではない」
美しい王女と結婚、王宮魔法使い、次期国王……
ルイの言葉は、まるで夢の世界へ行くような誘いに聞こえた。
当然、アルセーヌには信じられない。
「ま、まさか! そんな事!」
「まさかではない、可能だ。私にとってみれば全く容易い事なのだ」
「…………」
「アルセーヌ、お前にとっても悪い話ではあるまい」
ルイは自信たっぷりに言い切った。
無理もない。
ルイが告げた内容がもしも実現するならば、悪い話どころではない。
さえない無名のいち冒険者に過ぎぬアルセーヌにとっては、最高の条件と言っても良い。
「…………」
「アルセーヌ、お前はツェツィリアの過去を彼女から聞き、同情したのだろう?」
「…………」
「確かに、ツェツィリアは不幸だ。しかしお前に何の関係がある?」
「…………」
「所詮、縁もゆかりもない女。赤の他人、それも今日初めて会った女だ」
「…………」
「それどころか……人間のお前とは違い、怖ろしい夢魔だ」
「…………」
黙り込んだアルセーヌの心に、ツェツィリアの笑顔が浮かぶ。
美しいが……
とても寂しそうな笑顔である。
もっと……もっと……
楽しそうに、嬉しそうに、ツェツィリアには笑って欲しい……
アルセーヌは、そう思った。
ルイが、先ほど告げた言葉も甦る。
「お前が原因で、完全な夢魔になりきれない」と。
突如!
何かが弾ける。
アルセーヌの、固く閉じられた心の扉が勢いよく開いた音だ。
ツェツィリアの真摯な気持ちが、深い想いが……
アルセーヌは遂に分かったのだ。
親に見捨てられた、同じ境遇のアルセーヌを……
日々人間でなくなって行く、夢魔のツェツィリアが……
『心の支え』にしたという意味が、はっきりと理解出来たのだ。
そんなアルセーヌへ、更にルイの言葉が聞こえて来る。
「縁もゆかりもない見ず知らずの女と、もう会わない……たったそれだけを約束すれば、お前は最高の幸福を手に入れられる。……素晴らしいとは思わないか?」
ルイが、アルセーヌへ同意を求めた時。
不思議な事に……
アルセーヌの心の中に、先ほどのツェツィリアの笑顔とは全く違う、鮮明な映像が浮かび上がって来た。
シルバープラチナの髪を持つ、幼い女の子がたったひとり、暗い森に置き去りにされ……悲しみと恐怖で泣き叫んでいた。
そして、すぐにシーンは変わった……
同じ幼い女の子が……
先ほどの、エデンと言われる異界で……
これまた、ひとりきりで水晶球に見入っていた。
ずっとずっと熱心に……食い入るように……
どうやら……
ツェツィリアの幼い頃の記憶が、アルセーヌへ流れこんで来たらしい。
何故なのか、理由は分からないが……
心に映る女の子を、見守るアルセーヌの目には……
いつの間にか、大粒の涙が浮かんでいた。
だがツェツィリアの過去を見ずとも、アルセーヌの『答え』は最初から決まっている。
「…………思わない!」
断言したアルセーヌは、今迄の卑屈さが消え、堂々とルイを見据える。
「なに?」
ルイは驚いた声を出すが、冷たい表情は変わっていない。
平然としていた。
刺すような視線が、アルセーヌを鋭く射抜く。
だが!
アルセーヌは臆さず、首を横に振った。
そして、きっぱりと言い放つ。
「全然、素晴らしいなんて思わない! 力、結婚相手、身分が何だ! ルイ、貴方の提案など断るっ!」
「ほう、せっかく出した私の提案を断るのか……アルセーヌよ、理由を言え」
「ああ、言うさ! 俺はな、親に見捨てられ、周囲から散々馬鹿にされ、踏みつけられて生きて来た。さっきだって迷宮の奥で死のうと思っていた……」
「…………」
「だけど! こんな俺を励みにして、あの子は! ツェツィリアは! 人としての心を捨てずに、ずっとずっと生きていてくれた」
「…………」
今度は、ルイが黙り込んだ。
しかし、怒りもせず、不思議な事に『慈父』のような表情を浮かべていた。
アルセーヌは更に言う。
「そして! 俺に初めて生きる気力をくれた」
「…………」
「さっきだってそうだ! 頑張って、信じてるって、俺を励ましてくれたんだ」
「…………」
「ルイ、あんたのくれるものは……素晴らしいものかもしれない」
「…………」
「美しい王女と結婚、王宮魔法使い、次期国王。最高の幸福か……傍から見れば確かにそうだ。冒険者の俺には一生縁がないものばかりだろう!」
「…………」
「しかし……今の俺にとっては偽りの幸福に過ぎない」
「…………」
「……はっきりと分かったのさ。あの子の、ツェツィリアの俺への気持ちは……本物なんだって!」
「…………」
「俺はあの子を、これからも助けてあげたい。彼女の支えになれるのなら、絶対になってあげたい」
「…………」
「だから! 俺は、彼女の他には何も要らない。あの子さえ、ツェツィリアさえ傍に居てくれれば良い!」
「…………」
「俺はもっともっと、ツェツィリアの笑顔を見たいんだあっ!!!」
アルセーヌが大きく叫んだ瞬間!
ぱあああああん!!!
凄まじい音を立てて、真っ白な世界が砕け散った。
「あ!?」
気が付けば……
アルセーヌは、最初に来た異界、エデンに立っていた。
そして、目の前には……
大粒の涙を浮かべた、ツェツィリアが立っていたのである。
「あ、ありがとう……アルセーヌ……わ、私でいいの? 人間ではない夢魔の……こ、こんな私で……」
声を絞り出すように、ツェツィリアは言う。
どうやら……アルセーヌとルイのやりとりを聞いていたようだ……
アルセーヌも即座に、ツェツィリアへ言葉を返す。
心の底から、強い意思を籠めて。
「そうさ! 君が良い! 俺にはツェツィリアが絶対に必要なんだ!」
「アルセーヌ!!!」
「ツ、ツェツィリア!!!」
名を呼び合ったふたりは駆け寄り、固く抱き合った。
しっかり抱き合った。
もう二度と!
離れない!
とでもいうように……
先ほどのおそるおそるした、身体だけの抱擁とは全く違う。
アルセーヌとツェツィリアはお互いを想い、心と心でも抱き合っていたのである。
「ふむ……お前達の意思と気持ちは良く分かった。とりあえず一次試験は突破というところだな」
「え?」
「お父様」
聞き慣れた声が、唐突にした。
抱き合うアルセーヌとツェツィリアの傍らに、いつの間にかルイが立っている。
先ほどは、一瞬だけ慈父のような優しい表情をしたルイであったが……
今は一変し、全く感情を表してはいない。
冷たい氷のような眼差しで、ふたりを見つめていた。
ツェツィリアは、アルセーヌからそっと離れ、ルイへと向き直った。
「一次試験は突破? ……では、お父様。認めて下さるのですね? 私がアルセーヌと愛し合うパートナーになる事を……」
アルセーヌとツェツィリアがパートナーに……
問われたルイは、肯定も否定もしない。
軽く鼻を鳴らし、
「ふむ……だが、言うは易く行うは難し……だ」
と意味深な言葉を述べた。
その諺は、傍らで聞いたアルセーヌも知っている。
……口で言うのは簡単、しかし実行するのは難しいという意味だ。
ルイの言う意味は、アルセーヌにも分かる。
人間と異種族の愛を成就させるのは、不可能ではないが困難極まりない。
更にツェツィリアは、様々な種族に忌み嫌われる夢魔なのだから……
当然ツェツィリアも、ルイの言った事は承知している。
「はい……お父様の仰る通りですわ」
だが……
同意したツェツィリアへ、ルイは更に厳しく言い放つ。
「ツェツィリア、まだまだ認識が甘い……お前達の愛は、口先で言うほど簡単ではない」
「は、はい!」
「ぴしり!」と言われ、いつもは冷静に、落ち着いて話すツェツィリアが珍しく動揺する。
厳しい言葉を聞き、傍らでアルセーヌも唇を噛み締めていた。
ルイは更に言う。
「片や夢魔、こなた人間という、素性の全く違うお前達ふたりが……真に、愛し愛される関係になるには厳しい試練が生じる……」
「は、はい!」
「ふたりが愛を成就させる為には、いくつもの困難と逆境を乗り越えねばならぬのだ」
「はい、お父様! 頑張ります! ツェツィリアはどんな困難も、必ず乗り越えてみせます」
きっぱりと決意を述べるツェツィリアへ、ルイはひとつの質問を投げかける。
「だがツェツィリア……お前は私との契約を忘れてはいまいな? 魂の契約を」
「はい……それは分かっております」
ルイとツェツィリアの会話を、見守っていたアルセーヌであったが……
とても気になる言葉が聞こえ、つい口を挟んだ。
「け、契約!? ルイ! 契約って何だ!」
アルセーヌは思い出したのだ。
……ツェツィリアも言っていた。
それも……確か、魂の契約と……
ルイは、問いかけたアルセーヌを鋭い眼差しで見据える。
冷え冷えした怒りの波動が放たれ、急に辺りの大気が凍り付く……
「おい……小僧。確かに私を、その名で呼べとは言った」
「ひ!」
「だがけして呼び捨てにはするな……口の利き方に気を付けろ。二度は許さぬ」
口調こそ平たんではあった。
しかしアルセーヌの物言いが、ルイの機嫌を損ねたのは明らかだった。
「う!」
ルイの恫喝を聞き、アルセーヌは全身が硬直した。
まるで伝説の巨人の手で、強く握り潰されるような感触を覚える。
先ほどの会話でも感じた。
ルイは、アルセーヌなどあっさり殺すと。
虫けらのように……
可愛がっているらしいツェツィリアの『想い人』であったとしても、全く関係ないだろう……
ただならぬ雰囲気に、ツェツィリアがふたりへ割って入る。
「お、お父様、申し訳ありません! 私が彼に代わってお詫び致します」
失言したアルセーヌの代わりに、必死で詫びるツェツィリアをスルーし……
ルイは腕組みをし、小さく頷いた。
「まあ良い……小僧、お前の気持ちに免じて特別に答えてやろう。魂の契約とは文字通り、魂を対価に結ぶ契約だ」
「た、魂を対価に? で、ですか?」
アルセーヌは、ルイが言った、魂を対価とする契約を聞いた事がある。
魔導書で読んだ事もある。
確か……怖ろしい悪魔が持ちかける……死をもたらす契約だ。
「うむ……人の時間で計る事10年前……私はツェツィリアへ問うた。生きるか? それとも死ぬかと」
「生きるか、死ぬか……」
「その際、ツェツィリアは答えた。はっきり、生きたいとな……だが当時のこの子には素晴らしい素養はあっても、あまりに幼くひ弱だった」
ルイがそう言うと、ツェツィリアは我慢出来なかったのか、つい口を挟む。
「はい! お父様は命を助けてくださり……更に……心身ともに弱かった幼い私を鍛え、様々なものを与えて下さいました」
しかしルイは、ツェツィリアの言葉に反応せず、アルセーヌへ話を続ける。
「……時を経て、ツェツィリアが夢魔モーラへと完全覚醒し、身も心も完全な魔族となった時……魂を私に渡す。つまり魔界の住人となり、私の忠実な配下となる、そう約束したのだ」
ツェツィリアが、ルイと交わした『魂の契約』
完全な魔族となった彼女が、魂を明け渡し、魔界に棲むルイの配下となる。
『魂の契約』……
それはやはり、『悪魔の契約』同様に、怖ろしい死の契約だったのだ……
アルセーヌは『魂の契約』の内容を知り、慌てた。
絶対に、確かめなければならない。
「ル、ルイ様! そ、その契約が! 俺とツェツィリアがパートナーになっても取り消しにはならず有効だと、い、いや! ゆ、有効なのですか?」
「その通りだ……小僧。お前がもしツェツィリアのパートナーになっても、私とツェツィリアの契約は……解除されぬ」
「え? か、解除されない?」
「うむ! 先ほど私が言った通り……このまま時が経てば……ツェツィリアは人の心を失い、冷酷で無慈悲な夢魔と化すだろう。その時、魂の契約は完全に成立する……」
ルイの突きつけた非情な現実……
このままでは、ツェツィリアが人ではなくなり、完璧な夢魔モーラとなる。
運命の出会いをしたアルセーヌの下を離れ、闇深き魔界へと堕ちてしまう……
そうなれば、彼女とは永遠に会えなくなってしまう。
絶句するアルセーヌ……
「そ、そんな!」
「そんなもこんなもない……紛れもない事実だ」
「じゃ、じゃあ! ど、どうすれば! ツェツィリアが夢魔にならずに済みますかっ! お、教えて下さいっ!」
ツェツィリアを救いたい!
方法を知りたい!
ルイへ迫るアルセーヌは、徐々に考えが変わり始めていた。
……自分と会えなくなるなど、どうでも良い。
そう思い始めていたのだ。
両親が人間なのに……
ツェツィリアは夢魔モーラになど生まれてしまった。
更に、それが理由で……
彼女を生んだ実の両親から森に捨てられるという、過酷な運命を背負った。
悲運としか言いようがない不幸なツェツィリアを……
少しでも幸福にしてあげたい!
何故ならば、自分が……
親にあっさり捨てられた、心の辛い痛みを知っているから……尚更なのだ。
アルセーヌは、もう必死だった。
ルイならば、『解決方法』を知っているに違いない。
すがるしかない。
だがルイは、冷たくアルセーヌを突き放した。
「小僧! 甘ったれるな!」
「う、ぐ……」
ルイの声は、魔王の持つ威圧、つまり金縛りの効果でもあるのだろうか……
アルセーヌは、またも全身が硬直したのだ。
そんなアルセーヌへ、ルイは鼻を鳴らし、吐き捨てるように言う。
「愚か者めが。私は言った筈だ、お前達が往く道は果てしなく困難だと」
「ううう……」
「茨《いばら》の道へ進む事を、自ら選んだのだ」
「…………」
「どうすれば、ふたりが幸せになれるのか、他者になど頼らず、自分達で探してみせい」
「…………」
高い崖から、容赦なく突き落とされたようなショックを受け、アルセーヌは無言で俯いてしまった。
ふたりの往く道は茨の道……
ツェツィリアが、「覚悟はしている!」と宣言する。
「お父様、成し遂げます! 必ず! ふたりで幸せになってみせます!」
ここで……
突如ルイが、「にやり」と笑う。
アルセーヌへ、『最初の取引き』を持ちかけた時と同じ笑いだ。
「ふふ、小僧、お前がそこまで言うのならば、私と取引きをしようか? 先ほど以上にとても良い話だぞ……」
「と、取引き? 先ほどよりも!? と、とても良い話なんですか!」
アルセーヌは、甘い蜜に引き寄せられる蝶のように「ふわふわ」と、たよりなく身を乗り出した。
「そう、素晴らしい取引きだ」
話を聞いていたツェツィリアは、嫌な予感がした。
もしかしたら……
「お父様! ま、まさか!」
「ふふ……実は、ツェツィリアをすぐ人間にする方法がある」
「え? ほ、本当ですか、ルイ様っ!!!」
「お、お父様!」
「私にしか発動出来ない……禁呪。すなわち禁断の古代魔法があるのだ……」
「ツェツィリアを人間にする禁呪、禁断の古代魔法……」
「アルセーヌ。お前の魂と引き換えに、その魔法を発動してやろう」
「お、俺の魂!?」
夢魔のツェツィリアを、人間にする超絶魔法。
ツェツィリア自身、想像はしていたが……
父と慕うルイから聞いたのは、初めてであった。
しかし魔法発動の代償は……
想い人アルセーヌの魂なのである……
「お、お父様!」「……ル、ルイ……さ、様!」
ツェツィリアとアルセーヌの声が、同時に重なった。
しかしルイは、相変わらずツェツィリアを無視している。
「何だ、小僧」
「ほ、本当なんですか! 俺の魂を貴方へ渡せば、ツェツィリアがすぐ人間になれる……のですかっ!」
ルイに尋ねる、アルセーヌは……本気だ。
これは……とてもまずい展開である。
アルセーヌは……ルイに、もう魂を囚われ始めているのだ……
「だ、駄目! ア、アルセーヌっ!!!」
ツェツィリアは、アルセーヌを止めようと大声で叫んだ。
しかし、アルセーヌとルイの話は……
彼女の制止も関係なく、どんどん進んで行く。
「……ああ、約束しよう。但し、アルセーヌ……お前とも、ツェツィリア同様、魂の契約を結ぶ事となる」
ルイが約束をした瞬間、アルセーヌは躊躇なく言い放つ。
「な、ならばぁっ! 俺の魂をすぐ貴方へ渡すっ!」
「え? アルセーヌ!」
驚いたのは、ツェツィリアである。
まさか!
心が通い合ったとはいえ、アルセーヌが自分の為に何の迷いもなく命を投げ出すとは……
しかしアルセーヌは叫び続ける。
早く、早くと!
「ルイ様! すぐだ、すぐに魂を渡す! だからツェツィリアもすぐ人間にしてやってくれっ! そして解放してやってくれっ!」
遂に!
アルセーヌは、魂の契約を了解したのである。
「ア、アルセーヌゥゥゥ!!!」
思わず、ツェツィリアは絶叫した。
暴走するアルセーヌを止めないと!
しかし、アルセーヌは言う。
「俺は……さっきまで死にたいと思っていた人間だ。魂なんて惜しくない」
ルイも、獲物を完全に捕らえた喜びからなのか、にやりと笑う。
「ほう、アルセーヌ。さっきからお前はそう言っていたが……やはり死にたかったのか? ならば自分の魂など投げ捨てても構わないな?」
「ああ! こんな俺の魂で、彼女が……ツェツィリアが人間になり、幸せにもなれるのなら! 存分にやってくれっ!」
覚悟を決めたアルセーヌが、ルイと魂の契約を取り交わそうとした、その瞬間!
びしぃんっ!
アルセーヌの頬が大きく鳴った。
力を込め、ツェツィリアが平手で張ったのである。
「え?」
打たれた、アルセーヌの頬がみるみる赤くなって行く……
呆然と、頬を手で押さえるアルセーヌへ、
「馬鹿っ! アルセーヌの大馬鹿っ!」
「ツ、ツェツィリア……」
「馬鹿な事をしないで! 思い直して!! 魂を投げ捨てるなんて! そ、そんな事をして! あ、貴方が! 深き闇へ堕ちたら……」
「…………」
「もしも人間になれたって! 私は絶対、幸せにはなれないわっ! 駄目! 絶対に駄目よ! 駄目だからぁ!!」
叱責するツェツィリアの言葉が……
アルセーヌの魂へしみて行く……
愛する想い人の、温かい、思い遣る言葉がしみて行く……
「で、でも! あ、ありがとう……」
「…………」
「あ、ありがとうっ! 本当にありがとうっ!! アルセーヌっ! 大好き、貴方が大好きよっ! わあああああああんん!!!」
ツェツィリアは、呆然と立ち尽くすアルセーヌへ飛びつくと……
まるで子供のように、思いっきり号泣していたのであった。
ツェツィリアの住まう異界において……
アルセーヌは結局、ルイの提示した『魂の契約』を断った。
正確には……
アルセーヌとルウの会話へ、ツェツィリアが強引に割り込む形で止めたのである。
不思議な事に……
一旦アルセーヌが了解した魂の契約締結を、勝手に断られた形のルイであったが、怒るどころか何の感情も見せなかった。
ただひと言。
「全ては、お前達ふたりが選択する事だ」
淡々と言い放ち、転移魔法を使い、その場から姿を煙のように消したのである。
果たして、ルイの真意とはどこにあるのか?
完全な夢魔モーラと化したツェツィリアを、自分に仕える忠実な『片腕』として……
本当に魔界へ引き込みたいのか?
アルセーヌには……全く分からなかった。
更に……
ルイがいきなり消えた事も、アルセーヌにはとても気になった。
だが、ツェツィリアは全く意に介していない。
微笑みを浮かべ、静かに、囁くようにアルセーヌへ告げたのである。
「大丈夫よ、アルセーヌ。お父様はいつもそうなの」
「え? いつも?」
「うん、いつもあんな感じ……用事が済んだら、さっさと行っちゃうの……」
「…………」
ルイの意図を知りたいと、悩み黙り込むアルセーヌに対し、ツェツィリアは、突如『おねだり』をする。
「それより……私、貴方の家に行きたい」
「え? お、俺の家?」
「ええ、アルセーヌの家よ。今夜は貴方の家に泊まりたい」
「お、お、お、俺の家に!? と、と、泊まるぅ!? だ、だって!」
若い女子が……
自分の家に泊まる!?
今迄アルセーヌが経験した事のない未知の世界だ。
どぎまぎするアルセーヌを見て、ツェツィリアは悪戯っぽく笑う。
「うふふ、私……魔導水晶で見たわ。王都の女の子が『お持ち帰り』されちゃうの」
「おおお、お持ち帰りぃぃ!!!」
女子をお持ち帰りする……
その意味は……女子に全く縁のないアルセーヌだって知っている。
「お、お、お、俺はやってない。やってないからな、そ、そんな事ぉ!」
動揺するアルセーヌへ、憂い気な表情のツェツィリアが迫って来る。
小さく端麗な顔を寄せて来る。
そして、囁く。
咲き誇る花のように濃厚な甘い息が「ふっ」と、アルセーヌの鼻にかかる……
「ねぇ……嫌?」
「い、い、い、嫌じゃない……い、良いよ」
「ホント? ファイナルアンサー?」
「あ、ああ! と、泊まって良いよ」
「じゃあ決定ね! うふふふ」
どぎまぎしながら、アルセーヌがOKすると……
ツェツィリアの表情が一転。
官能的な香りを発する大人の女が、無邪気に……
まるで童女のような無邪気な笑顔となった。
というわけで……
気が付けば、不思議な事に……
アルセーヌは王都の自宅へと戻っていたのである。
夢魔のツェツィリアと……可愛い女子と共に。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
狭い……
ぎゅうぎゅうだ。
普段は、アルセーヌひとりきりで寝ている小さく粗末なベッド。
しかし今は……
ツェツィリアとふたり、一緒に寝ているのだ。
ふと見れば、たったひとつある窓から見えた外は真っ暗だった。
魔導時計の短針は、午前1時を指していた。
果たして異界でどれくらいの時間を過ごしたのか……
アルセーヌの居る世界――現世はもう真夜中なのである……
今ふたりが居るアルセーヌの部屋は、四方を薄汚れた壁に囲まれた小さな空間である……
ベッドが置かれ、様々な生活用品、魔導書が雑多に置かれた部屋。
空気も重く澱んでいて、あの広々として、清涼な空気に満ちた異界とは大違いだ。
アルセーヌは……
自宅に戻った時の、ツェツィリアの仕草、発した言葉を思い出す……
狭く汚い部屋なのに……
ツェツィリアは、大きく目を見開き、「わぁ」と小さく声を出した。
凄く嬉しそうに笑っていた。
「うふふふっ、これが男の子の部屋……アルセーヌの部屋なのね」
「あ、ああ、そうだ」
「ふうん……単に見るだけと……実際に来るのとでは大違いね」
「え? 見てたの?」
「うん……ごめんね……私、寂しくなると……魔導水晶で、いつもアルセーヌを見ていたの……」
寂しい時には……
いつもアルセーヌを見ていた……
ハッとしたアルセーヌが、ツェツィリアを見れば、彼女はとても切ない眼差しを送って来る。
「ねぇ……今夜は私をきゅっと抱っこして寝て……」
「えええっ!? きゅっと? だ、だ、抱っこ?」
「うん……私、いつもひとりぼっちで寝ていたから……さみしいの」
「…………」
「あの日……森へ置き去りにされた時から……ずっと」
「…………」
「ごめんね……我が儘言って……貴方なんか、ずっとひとりぼっちで眠っていたのに……」
ずっとひとりぼっち……
確かに、アルセーヌも、親に見放された、捨てられた日から……
生まれた日から、たったひとりで眠って来た……
でも……
今はひとりぼっちじゃない。
愛するツェツィリアが、傍に居るのだ。
「…………良いさ、ツェツィリア、一緒に寝よう」
「あ、ありがとう」
ツェツィリアは掠《かす》れた声で礼を言うと、アルセーヌへ「ひし!」と抱きついた。
そしてふたりは、ベッドへ入ったのである……
……アルセーヌも健康な男子である。
年頃の男子と女子が一緒に寝る。
となれば、どうなるか期待が高まった。
妄想が働き出す。
加えて、ツェツィリアの恰好が、アルセーヌの本能を刺激した。
会った時とは違う独特な黒いブリオーを、いつの間にか脱ぎ捨てたツェツィリアは……
薄い生地の、身体が透けて見える、これまた独特の肌着を着ていたからだ。
陶器のように真っ白な肌は勿論の事……
細い首すじ、やや膨らんだ可愛い胸、流れるような丸い腰、小さなお尻……
初めて会い、抱き合った時同様、彼女の髪と身体から甘い香りもする……
しかし、アルセーヌの期待に反して……
残念ながら、艶めかしい男女の行為は一切なかった。
ひとしきりアルセーヌに甘えたツェツィリアは、疲れていたのか、すぐ眠ってしまったから……
最初は興奮しきりだったアルセーヌも……
落ち着いて来ると、ツェツィリアをしっかり抱きながら余裕をもって彼女を見る事が出来た。
自分の胸の中で、軽い寝息を立て眠るツェツィリアは、安心しきった表情をしていた。
アルセーヌは改めて思う……
ツェツィリアは、いつも戦っている……
自分が、いつか人間ではなくなる不安、恐怖と……
見守るアルセーヌの心に、強い感情が起こって来る。
固い、決意の気持ちが。
この子は俺の宝物なんだ!
世界で一番大事な!
絶対に!
絶対に守ってやる!
こんな俺の、命に代えても……
必ず幸せにしてやるんだ!
いつしか……
アルセーヌも寝息を立て眠りに落ちた。
ふたりが初めて過ごす王都の夜は、静かに静かにふけて行った……
いつの間に、眠ってしまったのだろう……
小さな窓から差し込む朝陽の眩しい光を感じて、アルセーヌは目を覚ました。
と、同時に。
低い声だが元気の良い、挨拶の言葉が掛けられる。
「おはよう! アルセーヌ」
「あ、ああ! お、おはよう! ツェツィリア」
アルセーヌが慌てて身体を起こすと……
ツェツィリアは既に起きていた。
素裸に近い、肌着姿の彼女を見て、アルセーヌはつい目を背《そむ》けてしまう。
ツェツィリアが眠っている時、見守るのは平気だったが、いざ相手が起きていると、まともに正視出来ないのだ。
しかしツェツィリアは……
アルセーヌが顔を背け、自分を真っすぐに見てくれない事が、大いに不満のようである。
「駄目、アルセーヌ! 目をそらさないで! 私をしっかり見て!」
「だ、だって……」
われながら、自分でも情けないと思う……
女子に不慣れなアルセーヌには、ツェツィリアとのやりとり全てが初体験。
初めての連続なのである。
そんなアルセーヌへ、ツェツィリアはきっぱりと言い放つ。
「構わない! 貴方になら……アルセーヌだけには……全てを見られても、私、全然恥ずかしくなんかない!」
「う、うん……」
叱咤激励されて……
やっとアルセーヌは、ツェツィリアを正面から見た。
相変わらずツェツィリアの身体は美しい……
煌《きら》めくシルバープラチナの髪。
抜けるような白い肌……
やや幼さが残るが、綺麗な曲線で作られたまろやかな身体……
ピンク色の美しい瞳が、濡れたように光って、アルセーヌを「じっ」と見つめていた。
愛しい『想い人』を見て、アルセーヌは安堵する。
ツェツィリアは……確かに、自分の目の前に居る。
彼女は幻の存在ではなかったのだ……
昨日の『出会い』は、けして夢ではなかったと。
「ほう」と、軽くため息を吐いたアルセーヌへ、ツェツィリアは甘えておねだりする。
身体を「ぴたり」と寄せて来る……
「うふふ、……ねぇ、アルセーヌ。またぎゅって抱っこして」
「分かった」
「迷宮でしたみたいに……私に、美味しい魔力を頂戴《ちょうだい》」
「ああ、良いぞ」
アルセーヌはもう遠慮しない。
夢魔ツェツィリアの食事は『魔力』
そう、彼女から聞いていたから。
そもそも魔力供与は冒険者として慣れた仕事だ。
しっかりツェツィリアと抱き合い、言霊を唱え、魔力を放出する。
雑多なものが置かれた、アルセーヌの狭い部屋で……
ツェツィリアへ魔力が流れ込む瞬間、抱き合うふたりの身体が眩く光る……
同じだ!
と、アルセーヌは思う。
昨日の迷宮で抱き合った時の感覚も、ツェツィリアの存在同様、錯覚ではなかった。
まるで自分の身体が、「とろとろ」に溶けてしまうような陶酔感……
そして何故なのか気持ちに張りが出て、凄く前向きにもなって来る。
更にアルセーヌは……全く違う、新たな感覚も得ていた。
今迄はクランの一員として、仕事として……
金品などと引き換えに渡していた自分の魔力が……
運命ともいえる出会いを経て、渡すべき相手にプレゼント出来る。
世界で一番大切な宝物である『想い人』へ……
心を籠めて、惜しみなく奉げるという満足感に溢れていたのだ。
アルセーヌの魔力を受け入れ、感極まったらしいツェツィリアが満足そうに鼻を鳴らし、更に甘える。
官能的な声で囁いて来る……
何かが起こる。
特別なイベントの予感がする……
「ああ! 気持ち良いわ、アルセーヌ……唇へキスして……」
「え?」
「キスして」
「…………」
「実は私、生まれて初めてのキスなの……」
「ええっ?」
予感は的中!
何と、ツェツィリアはキスを求めて来たのである。
それも男子には嬉しい事に、彼女のファーストキスだと言う……
「貴方の唇で、優しく私の唇に触れてみて……そっとよ」
「わ、分かった」
ふたりは見つめ合い、そっと唇を合わせていたのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ツェツィリアと甘いキスを交わし……
アルセーヌは感激し「ぼうっ」としていた。
唇から喜びが全身に伝わり、ふわふわする。
ツェツィリアだけではなかった。
実は彼にとっても生まれて初めての……
ファーストキスなのである。
もてる奴から話にはいろいろ聞いていたけど……
やっぱり女の子の唇って……
凄く甘いんだ……
『素敵な思い出』を貰って大感動しているアルセーヌへ、
「アルセーヌ……昨日、私が言った事、覚えてる?」
と、ツェツィリアが悪戯っぽく微笑んで、尋ねて来た。
「ええっと……」
昨日は、ツェツィリアと話をした。
いっぱい、いっぱい。
数え切れないくらい……
身の上話から始まってず~っと……
ツェツィリアは、自身のいろいろな事を教えてくれた。
だから、返す答えはあり過ぎるくらいたくさんあるが……
『今の状況』を考えると、アルセーヌに求められた正解は分かる。
「俺とツェツィリアは、魔力の相性がぴったり、いや最高だって事?」
「うふふ、当たり! 嬉しいっ!」
「ああ、良かった」
アルセーヌはにっこり笑う。
ツェツィリアの期待に対し、見事に応えられ、彼も素直に嬉しい。
「私ね、貴方と抱き合ってとても良く分かったの。凄い偶然だったけれど……」
「偶然? 何が偶然なんだい、ツェツィリア」
「私がアルセーヌの魔力を、最高のご馳走にするのと同様に、貴方の身体も私の魔力を欲しているわ」
「ツェツィリアの魔力を? 俺の身体が欲している? そ、そうなんだ……」
「ええ、……私には分かるの」
「そ、そうか」
「うん! 私が貴方の魔力を貰う時、私の魔力も貴方へ流れ込むのよ……その時、貴方の眠れる素質が目覚め、隠された力が発動する」
「俺の眠れる素質? 隠された力?」
アルセーヌには、隠された力があるという……
しかし彼には、すぐにピンと来ない。
散々、使えない、能無しと罵られて来たからだ。
「ええ、自信を持って。貴方には素晴らしい力が隠されているのよ。そして、アルセーヌ。貴方はどんどん成長し、誰にも負けないくらいに強くなって行くわ」
考え込むアルセーヌの脇腹を、ツェツィリアはもどかしそうに「つんつん」と突いたのであった。
アルセーヌの部屋で起床してから1時間後……
ツェツィリアとアルセーヌは朝食を摂る為、王都中央広場付近のカフェに居た。
パンと紅茶だけという質素でシンプルな食事を済ますと立ち上がる。
食事に行こうよ!
朝ごはんを食べに!
部屋でそう誘われた時、アルセーヌは「え?」と首を傾げた。
ツェツィリアは魔力を糧《かて》とする夢魔の筈。
彼女に普通の食事が摂れるのだろうかと。
しかしツェツィリアいわく
心配は全く無用だと言う。
アルセーヌと普通の女子みたいに、仲良く食事をしたいと甘えるのだ。
冗談っぽく、「美味しいケーキは魔力とは別腹なの!」と言われた時には、つい笑ってしまった……
改めて彼女に聞けば……
夢魔として必要な魔力さえ補給していれば、食事は不要なのだが……
人間として、ちゃんと食事も出来ると言い張った。
焼き立ての香ばしいパンも美味しく食べられるし、熟成した香りの良い紅茶も楽しめると。
そう言われて、アルセーヌは安堵すると同時に、とても嬉しかったのである。
閑話休題。
今日、これから何をするのか……
だが、これからの予定はツェツィリアが既に考えているらしい。
彼女は小さく頷くと、アルセーヌへ出発を促す。
「さあ、アルセーヌ、そろそろ出かけましょう」
「出かける? どこへだい? ツェツィリア」
一瞬。
アルセーヌの胸がどきどきする。
期待にとても高鳴る。
このまま素敵な王都デートなのかと。
アルセーヌの頭の中を妄想が目一杯支配する。
しっかり手をつないで可愛いツェツィリアと、ふたり仲睦まじく街を歩く。
誰もがふたりを振り向くだろう。
だが、アルセーヌは容易に想像出来る。
不似合いだ!
という罵声が心の中で響き渡る。
「男の方がくそダサくてあの子には全く釣り合わない!」
と、酷い悪口も方々から聞こえて来た。
確信出来る。
リア充として、俺だけが叩かれるに決まっていると。
でも、アルセーヌは胸を張れる。
雑音など撥ね返せる。
この子は俺のかけがえのない大事な『彼女』だと主張出来るのだ。
侮蔑の眼差しをいくら投げかけられても、こちらも堂々と睨み返すと。
見果てぬ夢に大いに期待したアルセーヌであったが、現実はとても非情だ。
真面目な表情をしたツェツィリアの淡々とした答えが、アルセーヌの持つ、はかない『夢』を呆気なく打ち砕く。
「迷宮よ」
「め、迷宮?」
何それ?
と、アルセーヌは思った。
デートの話ではないのかと。
アルセーヌは、王都で若い男女がデートする場所だけは知っている。
だが、女性に無縁なアルセーヌは実際にデートなどした事はないが。
その知識は役に立つ事はない。
完全に「がっくり」したアルセーヌへ、
「ええ、アルセーヌ。今の貴方にはトレーニング、そしてトライアルが必要なの」
相変わらず真面目な顔付きで告げるツェツィリアを見て、アルセーヌの表情が改めて引き締まる。
俺は一体、何を浮かれていたのかと深く深く反省する。
更に……
アルセーヌはルイの発した厳しい言葉を思い出した。
今後ふたりが歩むのは『茨《いばら》の道』なのだと。
ツェツィリアを愛し慈しみ、けして夢魔にせず、最後まで守り抜く為には非常に困難な道が待っていると……
そのような意味だろう。
いずれ普通の人間になりたいというツェツィリアの悲願を叶える為にも、アルセーヌはもっともっと強くなる必要があるのだから。
しかし、アルセーヌの冒険者ランクは、底辺から数えて2番目のE。
現状では「強い」という表現には程遠い。
さてさて……
ツェツィリアの言うトレーニングとは訓練である事は予想出来る。
だけど具体的に何をするのか?
一体どこで自分は訓練を受け、鍛えられるのか?
またトライアルとは本当の実戦に備える為の戦いだと考えてはいるが……
つらつら考えたアルセーヌは、浮かんだ疑問の数々をツェツィリアへ尋ねてみる。
「ツェツィリア、俺のトレーニングって訓練だよな? それにトライアルって実戦に備えるって事か? 確かにこのままじゃ駄目駄目だよな」
「駄目駄目は言い過ぎでしょ? あくまで現状ではって事よ。アルセーヌの眠れる才能がちゃんと目覚めれば確実に強くなるわ。私が保証する」
「才能が目覚めれば、か……そう言われると不思議に力が湧いて来る。君を信じるよ、ツェツィリア」
「うふふ、そうよ、貴方を信じてる。だから私を信じてね。絶対よ、アルセーヌ」
明るくウインクする、ツェツィリア。
アルセーヌはふと彼女の辛い生い立ちを思い出した。
両親に捨てられても、大きな不安を抱えていても……
希望をけして捨てず、強く生きようとする。
健気で愛おしいと感じる。
と、同時に先ほどのつまらない『妄想』を思い出し、自分の甘さ、情けなさを痛感する。
ごめんよ、ツェツィリア。
俺は……
自分の事しか考えない駄目な男だ。
だけど……
君を大事にし、愛する気持ちは誰にも負けない!
「ああ、ツェツィリア。俺は君を信じる! 絶対に信じるよ」
アルセーヌの心には改めて、強く熱い誓いと決意が湧き上がる。
その思いを裏付けるように、「ツェツィリアを信じる!」彼は堂々と言い放ったのである。