「今日も疲れたね。」
野口さんは、授業が終わるとすぐに僕のところへ来た。野口さんが仲良くしている女子たちに少し冷やかされながら。
「今日は行ってみたいとこがあるんだ。」
彼女は、またすたすたと僕の前を引っ張るように歩いていく。時々こっちを振り向いては、笑顔をみせて再び前を向いて歩いていく。彼女の歩調は、モンスターと戦っているときのように早かった。
「きみって、歩くのが早いんだね。」
「え、ごめん。早かった? ついつい楽しくて。」
彼女は、歩調を緩めて僕の隣へ来た。
「全然、嫌とかそんなんじゃなかったんだ。ごめんね。」
彼女の顔色を伺うと、そんなに暗い顔をしていなかったので安心した。
「ここなの。」
彼女の指さした方をみると、広い砂場のようなところにさまざまな器具がおいてある場所があった。
「公園ていってね、子どもたちとかが遊ぶところなんだって。」
彼女はそういうと、いろんな遊具を使って遊び始めた。ほらみて、これも。彼女の無邪気な笑顔なら、いつまでも見ていられると思った。
「きみってこの世界に来てから前よりも楽しそうにしているよね。それは、この世界が気に入っているからなの?」
僕は尋ねる。
「この世界も気に入ってるよ。だけど、もっと嬉しいことがあるから。」
ブランコを漕いでいた足をとめて、僕のことを見上げた。
「嬉しいこと?」
「うん、モンスターのこと以外を考えているレオナルドに出会えたこと。一緒にいられること、かな。それはそうと、なんだったの?」
え? 僕の頭は一瞬、真っ白になってしまった。彼女の質問が何の話か気づくのに時間がかかってしまった。
「ああ、コウタの話か。」
そうそう、と彼女は何事もなかったかのように頷いた。
「コウタはさ、マナブの恩人だったんだ。」
「というと?」
「マナブって本当に人見知りで、入学当初だれに話しかけられても頷くとか挨拶くらいしかできなかったんだって。それで、ずっとひとりでいたんだ。」
「そうだったのね。」
僕は、彼女の横のブランコに腰かけた。体重の重みで、ブランコが静かに揺れた。
「そこに、話しかけてきてくれたのがコウタでさ。コウタは、マナブと仲良くしてくれただけじゃなくて、内気なマナブのことを変えてくれた恩人でもあるらしいよ。」
「野口ミワさんも、日記にマナブくんとコウタくんのことを書いていたの。最近マナブくんが明るいのは、コウタくんのおかげだろうって。二人が一緒にいるのをみるのが本当に楽しいって。そんなコウタくんがどうして……。」
彼女は悲しそうな顔をしていた。自分のことかのように心を痛めていた。
「それは僕にもやっぱりわからない。だけど、コウタが暴言を吐き始める前、なんだかコウタの元気が少しずつなくなっていたんだ。」
最初はわからないくらいの異変だった。だけど、何度も何度もコウタとのトークを見返したからこそ確信した。コウタにきっと何かがあったのだと。
「元気がなくなっていたの?」
「そう、理由まではわからないんだけどね。でもマナブならきっと、その変化にも気づいていたんじゃないかと思うんだ。それで、コウタの気持ちを受け止めるように既読だけし続けているんだと思う。傷つきながら、だけど。」
胸が苦しかった。マナブのことを思うと、マナブがどれだけ苦しい思いをしていたのかを考えると、深い闇のなかに沈みこんでしまったような気分になってしまう。ふと、彼女の手が僕の背中に触れた。優しく背中をさすってくれる。温かい。
「マナブもこの世界で戦っていたのね。」
なるほど、最初に神が言っていた言葉の意味がようやくわかった。僕らの元いた世界と形こそ違えど、マナブもこの世界で必死にもがいて苦しんで戦っていたんだ。
「マナブは強いやつだよ。」
「マナブに戻ってきてほしいと思う?」
彼女は優しく尋ねた。
「いや、まだ戻っても苦しいだけだよ。もっと、状況がよくなれば……。」
そのとき、マナブのスマホが音を立てて震え始めた。うわ、と僕は声をあげておどろいてしまった。
「電話の着信よ。トークの着信よりも長いのよ。」
彼女は笑いながら、僕に電話をとるよう促す。
「そういったって、相手は……。」
僕は画面をみて驚いた。相手は、コウタだった。
「もしもし。」
僕の声は緊張で少し震えていた。
「あの、コウタです。」
いや、コウタの声の方がもっと震えていた。
「ごめん急に。その、謝りたくて……。」
あまりに急な出来事に、僕は戸惑ってしまった。なぜ、急に。スマホを持つ手まで震えてきた。僕が無言でいるので、コウタはそのまま続けた。
「わかってる。俺には謝る資格すらもないって。それに、つい昨日まで俺はお前を傷つけ続けていたんだから驚くよな。ごめんな。」
コウタの声は、優しかった。こういう時、マナブならなんていうんだろう。僕は必死で言葉をひねり出す。
「いや、驚いただけだよ。」
「君らしいな。ははっ……。」
コウタは笑いながら、鼻をすすりはじめた。泣いているのだろうか。
「コウタ?」
「いや、ごめん。俺がこんなこと言える立場じゃないんだけど、まさかマナブとこうしてまた喋れる日が来るなんて思わなかったんだ。」
「僕もだよ。嬉しい。」
「ありがとう、マナブ。やっぱりお前は良いやつすぎるよ。妹のカナエちゃんもだけどな。」
突然コウタの口からカナエ、という言葉が飛び出したものだから僕は驚いて固まってしまった。
「あ、いや。そのカナエちゃんのことは怒らないでやってほしいんだ。まあお前が怒るようにも思えないけど。今朝、カナエちゃんが俺のところへきて、マナブのことで話があるから放課後時間をあけてほしいって言ってきてさ。あの子も肝座ってるよなほんと。」
コウタは少し笑った。僕と登校している途中に、さっさと行ってしまったと思っていたけれどコウタのところへ行っていたのか。
「それで、ついさっき話してきたんだ。単刀直入に言うと、怒られた。いや、年下の子に怒られるなんて滅多にないからメンタルやられちゃったな。でも、それ以上に俺はお前を傷つけたってわかってる。」
コウタはそれから、これまでの行いの理由を話し始めた。自分の両親が4カ月ほど前から仲が悪くなってしまったこと、暴言を吐き始めた2カ月前には急遽別居を始めてしまったこと。そのことが誰にも言えずに落ち込んでいたとき、マナブから両親と旅行へ行った話を聞かされて、逆ギレしてしまったこと。
「マナブに両親のことを言っていなかったからマナブが無神経だなんていうつもりは、これっぽっちもない。単なる俺の逆ギレで、ストレスのはけ口にしていただけなんだ。どこかで思っていたのかもしれない、こいつなら受け止めてくれるかもって。本当にサイテーだよな。」
コウタは、それからしばらく鼻をすすり続けた。
「コウタ、気を悪くしてしまってごめん。異変に気づいていたのに、かける言葉もみつからずにお前を苦しめ続けてごめん。それから、コウタは僕の恩人だ。僕のことを救ってくれてありがとう。ずっと、ちゃんと言いたかったのに言えていなかったんだ。ありがとう。」
僕は、マナブの心を拾うように努力した。マナブ、きみにこの瞬間を味わわせてあげたかった。僕が今ここにいてごめん。
「マナブ……。本当にすまなかった。本当にすまなかった。」
コウタはしばらくマナブに謝り続けた。
「もしも、マナブが許してくれるのなら。もう一度だけ俺にチャンスをくれないか。友達に、戻ってくれないか。お前を失いたくない。」
「コウタ、もちろんだよ。コウタを失いたくないのは僕も同じだ。」
コウタは嬉しそうに何度も何度もありがとうを繰り返した。コウタは電話を切る前に思い出したように一言付け加えた。
「お前、よかったな。野口さんのこと。」
いや、違うんだよ。僕がそう否定した言葉はすでに、コウタの耳には届いていなかった。電話を切ったころにはすっかり日が落ち始めていた。
「仲直りしたんだね。」
彼女はずっと隣で耳を傾け続けてくれていた。
「ごめんね長い間。」
「いいのよ。これで、マナブくんも戻ってきてくれるのかな。」
「うん、僕は彼にこの世界へ戻ってきてほしいよ。」
僕がそういった瞬間、頭のなかで声が響いた。
「戻りたくなったようだな。」
あたりが霧のようなものに包まれていく。横にいた彼女の姿もみえなくなっていく。
「エレン、エレン。」
「大丈夫だ。彼女とはまた会える。」
「それなら良かったけど。リミットはまだあるんじゃないの?」
「リミットというのは、本当に最低ラインをさしている。きみもマナブも帰りたいと思うようになった今、きみたちをとどめておくわけにはいかないんだ。」
神の予想外の発言に僕は驚いた。
「マナブも帰りたいと言っているの?」
「ああ、きみにこの世界へ帰ってきてほしいと言っていたよ。」
僕と同じことを言っている。なんだか少し、嬉しくなってしまった。
「マナブと話すことってできる?」
それは僕が一番願っていることだった。
「本来ならこのような時間をとることは許されていない。時間にもなんとか余裕を持つことができたからご褒美だ。二人で話す時間を設けよう。特別な計らいだからね。」
「君が規則を破るなんて珍しいね。ありがとう。」
「今回だけだけどね。」
神の声はそこで途切れた。僕の周りを包む霧の奥に、人影がみえた。……マナブだ。シルエットですぐにわかった。彼を見た途端、僕の胸はなぜだか熱くなった。
「マナブ、マナブ。」
僕は思わずマナブに駆け寄り、抱きしめた。
「マナブ、お前よく頑張ったな。お前の頑張りは、ちゃんと実っているから。こっちの世界にきたらわかる。だから、安心して帰っておいで。」
マナブは、微笑んで僕の肩をぽんとたたく。
「ありがとう。君こそよく頑張ったよ。僕にはきみの代わりなんて見つからない。あっちの世界には、きみを必要としている人がいくらでもいるんだよ。」
今までだれに言われてきたよりもその言葉が、一番心にしみた。僕の代わりがいない。僕が戻ってあの世界を救わないと。
「それと、ひとつ謝りたいことがあるんだ……。」
少し気まずそうに僕は謝る。
「野口さんもリンクしてたことは知ってるよね?」
マナブは驚いた顔で、うなずく。
「その相手が、向こうの世界で僕とバディを組んでた子だっていうのもあって、しばらく僕ら一緒にいたんだ。放課後、カフェに行ったりなんかしてね。そしたら……その、みんなに疑われているかもしれない、その付き合っているのかって。」
マナブはその言葉を聞くと、一度離れた僕にもう一度抱きついてきた。
「ありがとう、レオナルド。よくやってくれたよ君は。」
「え?」
まさかの反応に僕は固まってしまった。
「その、野口さんのことが好きだったんだけど元の世界に戻ったら、喋れなくなっちゃうんじゃないかなって心配してたんだよ。その流れがあるなら、僕も勇気を出して誘ってみるよ。思いも、ちゃんと伝える。」
マナブは、僕の目をしっかりと見据えてそう言った。マナブがここまで肝の据わったやつだったとは。放課後デートはともかく、さすがにそんな噂を立てられたら気まずいとでも言うのかと思った。
「僕も、頑張るよ。エリンに、思いを伝える。」
マナブのおかげで僕も勇気が出せた。
「あ、それからカナエちゃんにお礼を言っといてよ。コウタとの仲直りを手伝ってくれてありがとうって。」
え? とコウタが嬉しそうに顔をほころばせたそのとき、神が話しかけてきた。
「そろそろ時間なんだけど。」
仕方ない。特例のことだから、時間を伸ばせさせるわけにもいかない。
「きみと会えなくなるのはさみしいけど、ずっと応援しているよ。」
僕はマナブに握手を求めた。マナブはその手をぎゅっと握り返した。
「ありがとう。僕も。元気でいてね。エリンとうまくいくことを願っているよ。」
マナブはふっと笑った。それと同時に霧が濃くなり、いつのまにかマナブの手がマナブが消えていた。気が付くと、僕は元の世界に戻っていた。
ここは、どこかの宿だろうか。あ、エリン。エリンは?
「エリンならいるよ。」
頭のなかで声がした。
「まだいたんだね。よかった。君にもお礼が言いたかったんだ。その、いろいろとサポートしてくれてありがとうね。」
「そんなことを言うなよ。まあこれからも君のことは見守っているよ。元気でな。」
神の声は、それを最後に聞こえなくなった。なんだかんだ良いやつだったな。ありがとう。
僕は部屋を飛び出す。
「エリン、エリン。」
周りを見渡すと、隣の部屋から同じようにきょろきょろと周りを見渡すエリンの姿がみえた。
「エリン、なんだよね?」
僕は恐る恐る尋ねた。
「そうよ。あなたはレオナルドよね?」
エリンは笑って尋ねる。
「そうだよ。レオナルドだよ。」
「エリン、きみに言いたかったことがあるんだ。」
僕は意を決してエリンの目を見つめる。ドクドク、と心臓の脈うつ音が聞こえてくるようだった。
「奇遇ね、私もよ。」
エリンはその愛らしい顔を、くしゃっとしてみせた。何の話か尋ねる余裕なんて僕にはなかった。なんせ、生まれて初めてのことだから。
「僕、その……。君のことが好きなんだ。」
「私は、ずっと前から好きだった。」
エリンははにかんだ表情で僕のことを見上げた。
「ちょっとおふたりさん。助けてほしいんだ。西の街にモンスターが出てきて……。」
50半ばくらいのおじさんが、僕らを呼んでいる。行くしかない。
「わかりました。すぐ行きます。」
駆け出した僕の手をエリンがそっと握った。今までは、いつ消えてしまってもいいと思っていた。でも、これからはそんなわけにはいかない。守るべき人、守りたい幸せができた。
マナブもきっと向こうの世界で同じようなことを思っているのだろう。僕は空に向かって手を伸ばした。
野口さんは、授業が終わるとすぐに僕のところへ来た。野口さんが仲良くしている女子たちに少し冷やかされながら。
「今日は行ってみたいとこがあるんだ。」
彼女は、またすたすたと僕の前を引っ張るように歩いていく。時々こっちを振り向いては、笑顔をみせて再び前を向いて歩いていく。彼女の歩調は、モンスターと戦っているときのように早かった。
「きみって、歩くのが早いんだね。」
「え、ごめん。早かった? ついつい楽しくて。」
彼女は、歩調を緩めて僕の隣へ来た。
「全然、嫌とかそんなんじゃなかったんだ。ごめんね。」
彼女の顔色を伺うと、そんなに暗い顔をしていなかったので安心した。
「ここなの。」
彼女の指さした方をみると、広い砂場のようなところにさまざまな器具がおいてある場所があった。
「公園ていってね、子どもたちとかが遊ぶところなんだって。」
彼女はそういうと、いろんな遊具を使って遊び始めた。ほらみて、これも。彼女の無邪気な笑顔なら、いつまでも見ていられると思った。
「きみってこの世界に来てから前よりも楽しそうにしているよね。それは、この世界が気に入っているからなの?」
僕は尋ねる。
「この世界も気に入ってるよ。だけど、もっと嬉しいことがあるから。」
ブランコを漕いでいた足をとめて、僕のことを見上げた。
「嬉しいこと?」
「うん、モンスターのこと以外を考えているレオナルドに出会えたこと。一緒にいられること、かな。それはそうと、なんだったの?」
え? 僕の頭は一瞬、真っ白になってしまった。彼女の質問が何の話か気づくのに時間がかかってしまった。
「ああ、コウタの話か。」
そうそう、と彼女は何事もなかったかのように頷いた。
「コウタはさ、マナブの恩人だったんだ。」
「というと?」
「マナブって本当に人見知りで、入学当初だれに話しかけられても頷くとか挨拶くらいしかできなかったんだって。それで、ずっとひとりでいたんだ。」
「そうだったのね。」
僕は、彼女の横のブランコに腰かけた。体重の重みで、ブランコが静かに揺れた。
「そこに、話しかけてきてくれたのがコウタでさ。コウタは、マナブと仲良くしてくれただけじゃなくて、内気なマナブのことを変えてくれた恩人でもあるらしいよ。」
「野口ミワさんも、日記にマナブくんとコウタくんのことを書いていたの。最近マナブくんが明るいのは、コウタくんのおかげだろうって。二人が一緒にいるのをみるのが本当に楽しいって。そんなコウタくんがどうして……。」
彼女は悲しそうな顔をしていた。自分のことかのように心を痛めていた。
「それは僕にもやっぱりわからない。だけど、コウタが暴言を吐き始める前、なんだかコウタの元気が少しずつなくなっていたんだ。」
最初はわからないくらいの異変だった。だけど、何度も何度もコウタとのトークを見返したからこそ確信した。コウタにきっと何かがあったのだと。
「元気がなくなっていたの?」
「そう、理由まではわからないんだけどね。でもマナブならきっと、その変化にも気づいていたんじゃないかと思うんだ。それで、コウタの気持ちを受け止めるように既読だけし続けているんだと思う。傷つきながら、だけど。」
胸が苦しかった。マナブのことを思うと、マナブがどれだけ苦しい思いをしていたのかを考えると、深い闇のなかに沈みこんでしまったような気分になってしまう。ふと、彼女の手が僕の背中に触れた。優しく背中をさすってくれる。温かい。
「マナブもこの世界で戦っていたのね。」
なるほど、最初に神が言っていた言葉の意味がようやくわかった。僕らの元いた世界と形こそ違えど、マナブもこの世界で必死にもがいて苦しんで戦っていたんだ。
「マナブは強いやつだよ。」
「マナブに戻ってきてほしいと思う?」
彼女は優しく尋ねた。
「いや、まだ戻っても苦しいだけだよ。もっと、状況がよくなれば……。」
そのとき、マナブのスマホが音を立てて震え始めた。うわ、と僕は声をあげておどろいてしまった。
「電話の着信よ。トークの着信よりも長いのよ。」
彼女は笑いながら、僕に電話をとるよう促す。
「そういったって、相手は……。」
僕は画面をみて驚いた。相手は、コウタだった。
「もしもし。」
僕の声は緊張で少し震えていた。
「あの、コウタです。」
いや、コウタの声の方がもっと震えていた。
「ごめん急に。その、謝りたくて……。」
あまりに急な出来事に、僕は戸惑ってしまった。なぜ、急に。スマホを持つ手まで震えてきた。僕が無言でいるので、コウタはそのまま続けた。
「わかってる。俺には謝る資格すらもないって。それに、つい昨日まで俺はお前を傷つけ続けていたんだから驚くよな。ごめんな。」
コウタの声は、優しかった。こういう時、マナブならなんていうんだろう。僕は必死で言葉をひねり出す。
「いや、驚いただけだよ。」
「君らしいな。ははっ……。」
コウタは笑いながら、鼻をすすりはじめた。泣いているのだろうか。
「コウタ?」
「いや、ごめん。俺がこんなこと言える立場じゃないんだけど、まさかマナブとこうしてまた喋れる日が来るなんて思わなかったんだ。」
「僕もだよ。嬉しい。」
「ありがとう、マナブ。やっぱりお前は良いやつすぎるよ。妹のカナエちゃんもだけどな。」
突然コウタの口からカナエ、という言葉が飛び出したものだから僕は驚いて固まってしまった。
「あ、いや。そのカナエちゃんのことは怒らないでやってほしいんだ。まあお前が怒るようにも思えないけど。今朝、カナエちゃんが俺のところへきて、マナブのことで話があるから放課後時間をあけてほしいって言ってきてさ。あの子も肝座ってるよなほんと。」
コウタは少し笑った。僕と登校している途中に、さっさと行ってしまったと思っていたけれどコウタのところへ行っていたのか。
「それで、ついさっき話してきたんだ。単刀直入に言うと、怒られた。いや、年下の子に怒られるなんて滅多にないからメンタルやられちゃったな。でも、それ以上に俺はお前を傷つけたってわかってる。」
コウタはそれから、これまでの行いの理由を話し始めた。自分の両親が4カ月ほど前から仲が悪くなってしまったこと、暴言を吐き始めた2カ月前には急遽別居を始めてしまったこと。そのことが誰にも言えずに落ち込んでいたとき、マナブから両親と旅行へ行った話を聞かされて、逆ギレしてしまったこと。
「マナブに両親のことを言っていなかったからマナブが無神経だなんていうつもりは、これっぽっちもない。単なる俺の逆ギレで、ストレスのはけ口にしていただけなんだ。どこかで思っていたのかもしれない、こいつなら受け止めてくれるかもって。本当にサイテーだよな。」
コウタは、それからしばらく鼻をすすり続けた。
「コウタ、気を悪くしてしまってごめん。異変に気づいていたのに、かける言葉もみつからずにお前を苦しめ続けてごめん。それから、コウタは僕の恩人だ。僕のことを救ってくれてありがとう。ずっと、ちゃんと言いたかったのに言えていなかったんだ。ありがとう。」
僕は、マナブの心を拾うように努力した。マナブ、きみにこの瞬間を味わわせてあげたかった。僕が今ここにいてごめん。
「マナブ……。本当にすまなかった。本当にすまなかった。」
コウタはしばらくマナブに謝り続けた。
「もしも、マナブが許してくれるのなら。もう一度だけ俺にチャンスをくれないか。友達に、戻ってくれないか。お前を失いたくない。」
「コウタ、もちろんだよ。コウタを失いたくないのは僕も同じだ。」
コウタは嬉しそうに何度も何度もありがとうを繰り返した。コウタは電話を切る前に思い出したように一言付け加えた。
「お前、よかったな。野口さんのこと。」
いや、違うんだよ。僕がそう否定した言葉はすでに、コウタの耳には届いていなかった。電話を切ったころにはすっかり日が落ち始めていた。
「仲直りしたんだね。」
彼女はずっと隣で耳を傾け続けてくれていた。
「ごめんね長い間。」
「いいのよ。これで、マナブくんも戻ってきてくれるのかな。」
「うん、僕は彼にこの世界へ戻ってきてほしいよ。」
僕がそういった瞬間、頭のなかで声が響いた。
「戻りたくなったようだな。」
あたりが霧のようなものに包まれていく。横にいた彼女の姿もみえなくなっていく。
「エレン、エレン。」
「大丈夫だ。彼女とはまた会える。」
「それなら良かったけど。リミットはまだあるんじゃないの?」
「リミットというのは、本当に最低ラインをさしている。きみもマナブも帰りたいと思うようになった今、きみたちをとどめておくわけにはいかないんだ。」
神の予想外の発言に僕は驚いた。
「マナブも帰りたいと言っているの?」
「ああ、きみにこの世界へ帰ってきてほしいと言っていたよ。」
僕と同じことを言っている。なんだか少し、嬉しくなってしまった。
「マナブと話すことってできる?」
それは僕が一番願っていることだった。
「本来ならこのような時間をとることは許されていない。時間にもなんとか余裕を持つことができたからご褒美だ。二人で話す時間を設けよう。特別な計らいだからね。」
「君が規則を破るなんて珍しいね。ありがとう。」
「今回だけだけどね。」
神の声はそこで途切れた。僕の周りを包む霧の奥に、人影がみえた。……マナブだ。シルエットですぐにわかった。彼を見た途端、僕の胸はなぜだか熱くなった。
「マナブ、マナブ。」
僕は思わずマナブに駆け寄り、抱きしめた。
「マナブ、お前よく頑張ったな。お前の頑張りは、ちゃんと実っているから。こっちの世界にきたらわかる。だから、安心して帰っておいで。」
マナブは、微笑んで僕の肩をぽんとたたく。
「ありがとう。君こそよく頑張ったよ。僕にはきみの代わりなんて見つからない。あっちの世界には、きみを必要としている人がいくらでもいるんだよ。」
今までだれに言われてきたよりもその言葉が、一番心にしみた。僕の代わりがいない。僕が戻ってあの世界を救わないと。
「それと、ひとつ謝りたいことがあるんだ……。」
少し気まずそうに僕は謝る。
「野口さんもリンクしてたことは知ってるよね?」
マナブは驚いた顔で、うなずく。
「その相手が、向こうの世界で僕とバディを組んでた子だっていうのもあって、しばらく僕ら一緒にいたんだ。放課後、カフェに行ったりなんかしてね。そしたら……その、みんなに疑われているかもしれない、その付き合っているのかって。」
マナブはその言葉を聞くと、一度離れた僕にもう一度抱きついてきた。
「ありがとう、レオナルド。よくやってくれたよ君は。」
「え?」
まさかの反応に僕は固まってしまった。
「その、野口さんのことが好きだったんだけど元の世界に戻ったら、喋れなくなっちゃうんじゃないかなって心配してたんだよ。その流れがあるなら、僕も勇気を出して誘ってみるよ。思いも、ちゃんと伝える。」
マナブは、僕の目をしっかりと見据えてそう言った。マナブがここまで肝の据わったやつだったとは。放課後デートはともかく、さすがにそんな噂を立てられたら気まずいとでも言うのかと思った。
「僕も、頑張るよ。エリンに、思いを伝える。」
マナブのおかげで僕も勇気が出せた。
「あ、それからカナエちゃんにお礼を言っといてよ。コウタとの仲直りを手伝ってくれてありがとうって。」
え? とコウタが嬉しそうに顔をほころばせたそのとき、神が話しかけてきた。
「そろそろ時間なんだけど。」
仕方ない。特例のことだから、時間を伸ばせさせるわけにもいかない。
「きみと会えなくなるのはさみしいけど、ずっと応援しているよ。」
僕はマナブに握手を求めた。マナブはその手をぎゅっと握り返した。
「ありがとう。僕も。元気でいてね。エリンとうまくいくことを願っているよ。」
マナブはふっと笑った。それと同時に霧が濃くなり、いつのまにかマナブの手がマナブが消えていた。気が付くと、僕は元の世界に戻っていた。
ここは、どこかの宿だろうか。あ、エリン。エリンは?
「エリンならいるよ。」
頭のなかで声がした。
「まだいたんだね。よかった。君にもお礼が言いたかったんだ。その、いろいろとサポートしてくれてありがとうね。」
「そんなことを言うなよ。まあこれからも君のことは見守っているよ。元気でな。」
神の声は、それを最後に聞こえなくなった。なんだかんだ良いやつだったな。ありがとう。
僕は部屋を飛び出す。
「エリン、エリン。」
周りを見渡すと、隣の部屋から同じようにきょろきょろと周りを見渡すエリンの姿がみえた。
「エリン、なんだよね?」
僕は恐る恐る尋ねた。
「そうよ。あなたはレオナルドよね?」
エリンは笑って尋ねる。
「そうだよ。レオナルドだよ。」
「エリン、きみに言いたかったことがあるんだ。」
僕は意を決してエリンの目を見つめる。ドクドク、と心臓の脈うつ音が聞こえてくるようだった。
「奇遇ね、私もよ。」
エリンはその愛らしい顔を、くしゃっとしてみせた。何の話か尋ねる余裕なんて僕にはなかった。なんせ、生まれて初めてのことだから。
「僕、その……。君のことが好きなんだ。」
「私は、ずっと前から好きだった。」
エリンははにかんだ表情で僕のことを見上げた。
「ちょっとおふたりさん。助けてほしいんだ。西の街にモンスターが出てきて……。」
50半ばくらいのおじさんが、僕らを呼んでいる。行くしかない。
「わかりました。すぐ行きます。」
駆け出した僕の手をエリンがそっと握った。今までは、いつ消えてしまってもいいと思っていた。でも、これからはそんなわけにはいかない。守るべき人、守りたい幸せができた。
マナブもきっと向こうの世界で同じようなことを思っているのだろう。僕は空に向かって手を伸ばした。