魔法界にて、ノエルは長老たちに呼び出されていた。
 正直面倒くさくて仕方なかったので、すっぽかそうと思っていたのだがアルバに「逃げていても仕方ないんじゃないかな?」と朗らかな笑みで言われてしまい、それもそうなので大人しくそれに従うことにしたのだ。
 しかめっ面をする目の前の数人の長老たちに、自分は絶対にこうはならないぞ、と心の中で決める。
 ノエルが目の前でそんな失礼なことを考えているとは思わずに、一番年嵩に見える長老が厳かに口を開いた。
「ノエルよ」
「はい」
「そなたの使い魔、アリスが経営している洋菓子店に、人間の娘が働いているらしいな」
「そうですね」
 肯定したことにより、周りの長老たちがひそひそと話し始める。予想通りの反応に、彼女はそっとため息をつく。
「何か問題でも?人間と私たちの共存について任せたのはあなた方です。私の好きにさせてもらいますよ」
 ううむ、と、長く立派な白い髭を撫でつけ、低く唸る。
「それはそうなのだが。その娘は信頼に値する人間か?」
「もちろん。とてもいい子ですよ」
 当然のように大きくうなずくノエルに、再び長老は唸り上げる。
 それに、彼女は若干の苛立ちを感じる。勝手に自分を判断役に任命して、あげく、それに文句をつけるとはどういう了見だろうか。
 流石に腹が立ってきて、ノエルは目を吊り上げる。
「そんなにご心配なら、ご自身で会ってみればよろしかと思います。それなら文句はないでしょう」
 それに一際ざわめきが広がる。
「ノエル、大長老に対してなんて口の聞き方だ。流石に見過ごせぬぞ」
 一人が言うと、周囲の長老たちも文句を言い始める。
 嫌気がさして、杖を取り出しかけたところで、大長老が口を開く。
「静まれ」
 さして大きな声でもないのに、その一言でしんと静まり返る。
「…ノエルの言うことも一理ある。ワシがその娘を試させてもらおう。異論はないな?」
「はい」
 うなずきながら、ノエルは心の中で佳乃に謝る。
(ごめんね、佳乃ちゃん)
 そうして、その場はお開きとなった。
 

 軽快な音が店内に響く。Notaの制服に着替えた佳乃は、いつものようににっこりと笑った。
「いらっしゃいませ」
 入ってきたのは大柄な男性…いや、人間じゃない、いわゆる獣人と呼ばれる存在だろうか。だった。
 耳と尻尾を見る限り、狼だろうか。
 少し荒い茶色の毛並みを持つ耳と尻尾に、鋭い黄色がかった瞳をしている。
 初めて会う獣人に、佳乃はこくりと唾を飲み込む。
「…何かお探しでしょうか?」
「……ガトーショコラを、食べたい」
 思ってもみなかった単語が出てきて、佳乃は目を瞬かせる。
「ガトーショコラ、ですか」
「あぁ」
 しばらく無言で、お互いに見つめ合う。
「…おかしいだろうか。俺のような者が、甘いものを欲することは」
 何も言わない佳乃に不安に思ったのか、獣人が耳と尻尾を下げる。それに、佳乃は慌てて首を横に振った。
「そんなことはありません!ただ、どうしてガトーショコラなのかな、と」
 店内には他にも様々な洋菓子があるのに、なぜわざわざガトーショコラに限定するのか。
 もっともな疑問に、今度は獣人の方が目を瞬かせた。
「仲間が、言ってたんだ。人間が作る菓子の中で、ガトーショコラというチョコレート菓子が絶品だと。それを聞いて、この店なら気軽に買いに来れるかと思って…やってきた」
 少しだけ気恥ずかしそうに目を逸らしながら話す獣人に、彼女は思わずおかしそうに笑うを
「なるほど。では、少々お待ちください。店長に確認して参ります」
 それにうなずいて、彼は物珍しそうに店内を見渡し始める。佳乃は、そんな獣人を微笑ましく思いながら厨房へと足を向けた。
 

 獣人が来たとの知らせを聞いたアリスは、目を丸くした。
「珍しいわね。あの種族がこんなところまで来るなんて」
「あ、やっぱり珍しいんですね。当たり前なのかもしれないけど、私も初めて会いました」
 それにうなずいてから、アリスはノートを取り出す。
「きっと、その獣人が言っているのはこのクラシックガトーショコラのことだと思うわ。少し話を聞いてみましょう」
 そう言って、アリスは厨房を後にする。佳乃もまた、それに続いた。

 店内の焼き菓子コーナーを観察していた獣人は、二人の足音にぴくりと耳を動かす。その様子に、佳乃はやはり耳がいいんだな、と呑気に考える。
「お客様がご所望の品はこちらでしょうか?」
 すっとイラストを見せる。獣人はそれを覗き込むと、こくりとうなずいた。
「たぶん、そうだと思う」
「では、今からお作りしますので小一時間ほどお待ちいただけますか?ちょうど今の時間帯なら空いてますので、すぐにご用意できます」
「…じゃあ、待つ」
 少し考えた末にそう答えた獣人に、アリスはにっこりと笑う。
「承りました」
 そうして、ガトーショコラ作りが始まった。
 
 アリスのガトーショコラ作りを見学しようと思ったのだが、それよりも獣人への好奇心の方が勝っていたので佳乃はその場に残ることにした。
「…お前は人間なのか?」
 お互いに向かい合う形になって座って数秒。獣人の方が話しかけてきた。
「はい。人間ですよ。獣人さんのお名前、なんていうんですか?」
「ラウラだ」
「私は佳乃です。ラウラさんは、お仲間さんと一緒に暮らしてるんですよね。皆さん、仲が良いんですね」
 それに、彼は緩く首を振る。
「そういうわけではない。力関係が均一になるように簡単に振り分けられてるだけだ。喧嘩もよくする」
「喧嘩、ですか?」
「いわゆる殴り合いだ。勝った方が自分の意見を通すことができる」
 なるほどと佳乃はうなずく。たしかにラウラの体はとても逞しい。
「じゃあ、ラウラさんのその体は強い証拠になるますね!」
 ラウラは少し驚いたように目を丸め、首をかしげた。
「てっきり、人間はこういう話を嫌うと思っていた」
 それに、佳乃は目を瞬かせる。そして、うーん、と小さく唸りをあげた。
「そうですねぇ…たしかに、暴力での喧嘩はあんまり良いとは言えませんけど、ラウラさんたちのそれは自分の意思を貫き通したい、とか、生きることに必要なことなんですよね?」
 暴力での解決を好ましいとは思わない。けど、その考え方は偏見だし、実際に弱肉強食というような言葉もあるくらいだ。別に過剰に苛まれることではないだろう。
 佳乃の問いかけに、彼はうなずく。
「でしたら、いいと思うんです。それに、私がそれを否定する権利なんてありませんからね」
 にっこりと笑う佳乃に、ラウラはなるほどとうなずいた。彼女の言っていることはもっともだ。
「ヨシノはまだ若いのに、考え方が達観しているな」
「そうですか?ありがとうございます」
 少し照れたように笑う佳乃に、彼もまた口元に笑みを浮かべる。
「お前のような人間が増えれば、俺たちのような者たちも生きやすくなるのにな。現実は厳しい」
 そういえばこの店は、魔女と人間が本当に共存できるのかを試すために存在しているのだ。今のところ問題は起きていないが、もしも何か事件でもあったらどうなってしまうのだろう。
 急に押し黙った佳乃に、ラウラは不思議そうに首をかしげた。
「ヨシノ?」
「あ、ごめんなさい。ちょっと考え事してました」
「そうか。さっきの話だが、俺はお前のような人間に会えてよかったと思っている。人間への考え方が変わった」
 ぎこちなく笑うラウラに、佳乃は嬉しそうに笑う。
「そう言ったもらえると私も嬉しいです!ガトーショコラを食べても、いつでもいらっしゃってくださいね。ここのお菓子は全部美味しいんですよ」
「ああ、そうさせてもらう。お前に会うのも楽しみだ」
「私ももっとラウラさんとお話ししたいです!」
 その時、ちょうどアリスが厨房からトレーを持ってきた。
「楽しそうで何より。こちらがガトーショコラになります」
 にっこりと笑って、彼女はそっとラウラの前にガトーショコラとフォークを置く。
「一応、佳乃の分も用意したのだけど食べる?」
「もちろん!あ、でもいいんですか?」
 一応まだ勤務中であるので、少しためらいがある。
「大丈夫よ。気にしないで」
 言いながら、彼女は佳乃の前にもガトーショコラを置く。少し申し訳なく思いながらも、欲望には抗えずにいただきますと言ってからフォークを握る。
 一口大に切って、口元へと運んだ。
「美味しい…」
 程よい甘さとほろ苦さに、佳乃はうっとりと頰に手を添える。
「それは良かった。お客様もどうぞ?」
 まだ手をつけずにじっとガトーショコラを見つめているラウラに、アリスは不思議そうに首をかしげながらも促す。
「…ああ、ではいただこう」
 妙緊張感を漂わせて、ラウラはフォークでガトーショコラを切り、ゆっくりと口の中入れる。
 一口目を飲み込み終えたかと思えば、すでに切ってあったガトーショコラをもう一口だべる。それを繰り返し、無言で食べ続けるラウラに、アリスと佳乃は顔を見合わせおかしそうに笑った。
 佳乃もまた、負けじとガトーショコラを次々に食べていく。
 それからはもう無言で食べ始めた二人を前に、アリスは苦笑した。

 あっという間に食べ終えた二人は、満足げにため息をひとつつく。
「…とてもうまかった。仲間の言う通りだ。今度は仲間も連れてきてもいいだろうか?きっとこのガトーショコラを気にいると思う」
「もちろんです。お待ちしておりますね」
 嬉しそうに笑って答えるアリスに、ラウラはうなずく。
「本当に美味しかったです。ラウラさんのおかげで私も得しました」
 にこにこと笑う佳乃に、ラウラはおかしそうに笑った。
「それはよかった。店主、このガトーショコラを持ち帰ることはできるか?」
「できますよ」
 トレーにカラになった皿やフォークをかたしながら、アリスはうなずく。
「では、二つ頼む。母と妹にも食べさせてやりたい」
「ラウラさん、妹さんいるんですね!いいなぁ」
「近々結婚するんだ。その祝いに何か食べさせてやろうと思っている。妹は人間の食べるものなど食べたことがないだろうから、物珍しさも相まって気にいるだろう」
 その話に、佳乃はぱっと顔を輝かせる。
「わぁ、おめでとうございます!」
「ありがとう、妹にも伝えておく」
 薄く笑うラウラにうなずいて、はたと今日久しぶりに会った悠斗の話を思い出す。彼もまた、妹の誕生日に何かを贈りたいと言っていた。
「あの、アリスさん。相談があるんですけど…」
 申し訳なさそうに切り出した佳乃に、アリスは首をかしげた。


 翌朝。学校についた佳乃は、悠斗が登校してくるのを今か今かと待ちわびていた。
 見るからにそわそわとしているので、遊びに来ていた友紀が不思議そうに首をかしげる。
「なんか、今日佳乃ちゃん会ってからずっとそわそわしてるよね。何かあるの?」
 その問いかけに、彼女はまってましたと言わんばかりにきらきらと目を輝かせる。
 佳乃ちゃんはいつも元気で可愛いな、などと呑気に考えていると、佳乃はぽんと軽い音を立てて手を合わせる。
「あのね、岬くんの妹さんが後少しでお誕生日なんだって。それで、昨日何をプレゼントしたらいいかわからないって言ってたから、私も考えてみたの。そしたらね、昨日バイト先で思いついたんだけど、岬くんの手作りお菓子をプレゼントしたらどうかな、って思うんだ。それで、昨日店長さんにお店で作ってもいいか聞いてみたら、おっけいしてもらったの!あとは岬くん本人に聞いてみるだけ!」
 意気込む佳乃に、パチパチと友紀は拍手を送る。
「すごい。頑張ってね〜」
 にこにこと朗らかに笑う友紀の視線の先には、口元に人差し指を立ていたずらっぽく微笑む悠斗の姿が。
「俺が何だって?」
「うわぁ!!」
 急に後ろからちょうど話に出ていた張本人の声が聞こえてきて、佳乃は驚きの声をあげる。
「岬くん!いつからそこに」
 予想通りの反応におかしそうに笑いながら、悠斗は答える。
「つい今し方。ちゃんと挨拶しながら教室入ったんだけど、お前気づかねぇからさ。試しに脅かしてみようと思って」
 いたずらが成功したと、友紀と目を合わせくすくすと笑う悠斗に、佳乃はショックを受ける。
「ひ、ひどい…岬くんだけでなく友紀ちゃんまで…!」
「あはは、ごめんねぇ。佳乃ちゃん、いつ気づくのかな?ってつい気になっちゃって」
 好奇心には勝てないものだ。
 しばらくじとっと二人を見つめていたが、彼女は諦めたようにため息をつく。そのタイミングを見計らって、悠斗がにかりと笑った。
「そんで?俺が何だって?」
「あ、そうそう。昨日、岬くん妹さんへのお誕生日プレゼント、何を贈ればいいかわからないって言ってたでしょ?それで、私も考えてみて、提案があるんだけど。私のバイト先で、一緒に何かお菓子を作ってあげようよ!きっと喜ぶよ」
 それに、彼は虚をつかれたような顔をし、次に眉を寄せる。
「それはありがたい話だけど、いいのか?流石に迷惑だろ」
「私も最初はそう思ってたんだけど、試しに店長さんに相談してみたら、全然おっけいだって。むしろ手伝ってくれるそうです」
 心優しいアリスの顔を思い浮かべ、彼女は心の中でアリスに対して合掌する。本当に彼女には感謝の気持ちしかない。
「うーん…」
 佳乃の言葉に、悠斗は考えこむように唸りをあげる。そして、ちらりと彼女をみた。
「じゃあ、そうさせてもらうか。せっかく三鷹が考えてくれたし、妹も喜びそうだ」
「決まりだね!岬くん、土曜日暇?」
「残念ながら、俺はいつでも暇だよ」
 堂々と言ってのけた悠斗に、佳乃はおかしそうに笑った。土曜日が楽しみだ。