絵里がハンドバッグをあけて何かをとりだした。封をしないままの白い封筒だった。絵里はその封筒をさし出しながら言った。
「松井さんに受け取ってもらいたいと思って。もし、よかったらだけど」
 封筒の中にはカセットテープが入っていた。ラベルに記された文字を見たとたんに、16年前の記憶が誘いだされた。ラベルには僕のへたな字で、〈ショパンのピアノ協奏曲第2番、シューマンのピアノ協奏曲〉と記されていた。
 絵里の声が聞こえた。「覚えてるでしょ、そのテープ。何度も聴いているうちにすっかり気にいって、私がクラシックを好きになるきっかけになったテープ。その曲をもっときれいな音で聴いてみたくなって、松井さんと一緒にヘッドホンを買いに行ったわ。覚えてますか、あの時のこと」
 絵里がこのテープをまだ持っていたとは、と思いながら、僕はひと言「おぼえているよ」と答えた。
「松井さんのおかげでクラシックを聴くようになったし、松井さんのおかげで勇気を出してがんばれるようにもなって、そのおかげで幸せにもなれたのよ、わたしは。そういう意味でも松井さんに感謝してるのよ」
 もしかすると、絵里は夫とのことを話しているのではないか。坂田から聞かされたところによれば、絵里が夫と結ばれた経緯には音楽が関わっていたはずだ。
「それにしても、ずいぶん古いテープが残っていたんだね」と僕は言った。
「ロンドンに持ってくるCDやテープを選ぼうとしたとき、それが見つかったの。私をクラシック好きにしてくれたテープだし、そのために幸せになれたんだと思うと、なんだかお守りみたいな気がしてね。だから、持ってきちゃった、こんなとこまで」
 やはり絵里は夫とのことを話しているのだ、と思った。音楽を通して夫と出会うことができたことを、そして、クラシック音楽に関心を持つきっかけを与えた僕に感謝していることを、いかにも絵里らしいやり方で僕に伝えようとしているのだ。
「こんなお守りは、もう無くてもいいわけだね、今の絵里さんには」と僕は言った。
「もしかしたら、ロンドンで暮らすことに自信がついたからかも知れないけど」
 そうかも知れないと思った。絵里はいかにも幸せそうだし、明らかに自信をもって生きている。今の絵里には必要がないのだ、幸せを守るために何かを頼りにすることなどは。
 絵里は続けた。「松井さんとここで会うことになってから、急に思いついたの、そのテープを返そうって。それがいちばん良さそうに思えたのよね、なんとなく。ごめんなさい、なんとなくだなんて」
 絵里の心の内がわかるような気がした。僕が贈ったこのテープが絵里の幸せに幾分かは関わっているにしても、僕を思い出させる品物をいつまでも持っていたくはないはずだ。テープを僕に返すということは、絵里にとって好ましいことに違いない。
 僕はテープに眼をとめたまま、「このテープ、今日の記念にもらっておくよ。ありがとう、絵里さん。わるいけど、僕は何も用意してこなかった」と言った。
「とてもすてきな贈り物をいただいたのよ、わたしは」と絵里が応じた。「松井さんらしい祝福の言葉。あれ以上の贈り物はないもの」
 僕は機内持ち込み用の小さなバッグに、未熟だった自分を思い出させる、そして、絵里に祝福の言葉を贈った日の記念になるカセットテープを入れた。
 搭乗手続に向かわねばならない時刻になっていた。絵里と語り合った時間は一時間に満たなかったけれども、僕には大きな満足感があった。
 絵里に手をひかれている子供の足に合わせて、保安検査場へ向かう通路をゆっくりと歩いた。
「おじさんにバイバイしようね」絵里が笑顔で子供を抱きあげた。「松井さん・・・・それじゃ、気をつけて。会えてうれしかったわ」
「僕もだよ。会えてよかった。ほんとにありがとう、ここまで来てくれて」
 僕は女の児に「バイバイ」と別れのあいさつをした。絵里は子供の手をとって、小さくふりながら「バイバイ」と言った。僕は「それじゃ、お元気で」と声をかけ、ふたりに背を向けて歩きだした。
 ゲートの前でふり返ると、子供を抱いた絵里が手をふった。僕も同じようにかた手をあげた。ゲートを通ってからもう一度ふりかえると、子供の手をひきながら歩いて行く、幸せそうな絵里のうしろ姿があった。

 客室乗務員に声をかけられて我に返った。飲みものが配られている。
 受け取った缶ビールのふたをあけ、口をつけながら窓の外に顔を向けると、夕方の雪原に似たかげりを見せて雲海がひろがり、白い波のかなたは暗い空とつながっている。かすかに赤みを帯びた色あいが、夕焼けのなごりの空を思わせる。
 ヨーロッパでは夕焼けを見なかった。初めて訪れたヨーロッパだというのに、曇っている日が多くて残念だった。それどころかケルンは寒かった。
 あの裏通りをふるえながら歩いたせいで絵里に会えたのだから、ケルンが寒かったことには感謝すべきだろう。あの喫茶店で若いふたりづれを見ているうちに、絵里に会ってみたいという気持ちがつのり、それが僕をロンドンへ向かわせることになった。その結果とはいえ、ようやくにして、絵里に祝福の言葉を贈ることができた。
 坂田や絵里と出会ったあの年から、すでに16年が経っている。さほどに長い歳月とは言えないにしろ、過ごしてきたその歳月に、さまざまな体験と記憶が積み重なっている。その中には輪郭が薄れているものすらあるはずだが、16年前のあの年にかぎれば、ひっぱり出した記憶には、どんなものにも鮮やかな形が残っている。出会った人にまつわることも、心にきざんだ想いのことも。
 新宿の大衆酒場で坂田と語り合ったとき、同じ会社で仕事に励んでいた頃のことが話題になった。
 坂田が言った。「覚えているか松井、お前が会社をやめる少し前に、こんな感じの店で話し合ったことを。仕事に対する技術者の執念を話題にしたよな」
「執念を燃やしてこそ困難な目標を達成できる・・・・吉野さんの持論だったよな」
「吉野さんに伝えておくよ、お前が国際学会で発表するためにドイツへ行くことを。ついでに」と坂田は言った。「お前の執念がほんものだということもな」
 坂田から僕のことを聞いたら、吉野さんは喜んでくれるに違いない。それはともかく、僕がいまでも吉野さんに感謝していると知ったら、吉野さんはどんな想いを抱くことだろう。
 ビールのあき缶をテーブルに置き、窓の外に眼をやると、雲海はいつの間にかかげりを増している。だれが雲海と名づけたのだろうか、この茫漠とした白い拡がりに。はてしなく連なる雲の海には、いくつもの白く輝く雲の山がある。何者かの意志が作りあげたかのような雲の形は、山というよりも白い塔と呼んだほうが似つかわしい。
「これからだ、ほんとに執念を燃やすのは」
 雲の塔を見ながらつぶやいた言葉が、いつになく強く胸に響いた。
 これまでに幾たび自分に言い聞かせたことだろう、〈執念を燃やせば必ずこれを達成できる〉という言葉を。その言葉は僕を励まし、困難な課題に立ち向かう勇気を与えてくれた。その言葉を頼みに努めていると、自分の力が増大してくることを実感できた。そして実際に、困難な課題を克服するための知恵がわきだした。吉野さんに指導してもらった期間はわづか半年だったが、今もなお、僕は吉野さんに励まされている。
 これまでに、多くの人とさまざまなことがらに出会った。それらを縁と呼ぶのであれば、16年前に出会った縁は、僕にとってどんな意味を持つのだろうか。坂田と絵里、吉野さんや野田課長、そして、あの会社で経験し、学んだこと。
 機内放送が始まっている。どうやら放送は終わるところらしい。どんなことが伝えられたのだろうか。
 隣の乗客は椅子をたおして、気持ちよさそうに眠っている。向こうのほうではふたりの乗務員が、笑いながら立話をしている。気にするほどの機内放送ではなかったらしい。
 椅子を倒して眼をつむる。エンジンの音が聞こえる。無数の音源にとり囲まれているみたいだ。その音に意識をむけ続けていると、ぬるま湯に浮かんでいるかのように、気分がゆったりとしてきた。体のあらゆる感覚がうすれている。意識はむしろ鮮明だ。心だけの存在になったような感じだ。
 閉じたまぶたの裏に雲海がひろがる。雲海が次第に明るさを増す。雲の波間にただよっているような気分だ。波の裏から湧きでるように記憶が浮かぶ。その記憶に情景がかさなる。記憶に伴う感情と想いが、胸の奥からにじみ出てくる。
 大学を卒業したばかりのあの頃、太陽光発電には関心がなかった。僕が目指していた目標は、すぐれたスピーカーの開発だった。
 絵里と出会ったのは、スピーカーに取りくみ始めてから間もない頃だった。仕事に情熱をもやす一方で、感情に引きずられるままに絵里とつきあった。単純で未熟だった僕は、都合よく事態が運ばれることを安易に期待し、優柔不断な自分を甘やかしていた。そして結局は、未熟な自分を嘆くという結果になった。とはいえ、あのように未熟だったからこそ、今の自分があるのだと言えなくはない。あの頃の僕が、そのことに思い及ぶことはなかったのだが。
 あれから16年の歳月が流れて、僕は今ここにいる。日本を遠く離れたロンドンで、ようやくにして絵里に祝福の言葉を贈ることができた。自分の未熟さを意識し続けることから、どうにかこれで決別できそうな気がする。
 もしかすると、僕は人生の過程で必要としていたのではなかろうか、あの年のいくつかの出会いと体験を、さらにまた、それらを起点に新たな道へと踏み出すことを。悔恨と反省をしいられるなかで、僕は未熟さからの脱却を願った。出会いと体験からは希望と夢を与えられ、技術者として生きる道の方角を選んだ。
 それにしても、人生とはほんとうに不思議なものだ。僕は中学校の1年生まで成績劣等生だった。その僕が、今は技術者としてこんな生き方をしている。あのオーディオ装置が僕の部屋になかったならば、そして、あの時期に僕が音楽につよく惹かれなかったならば、僕はどのような人生を歩むことになっただろうか。