プロローグ 雲海

飛行機が滑走を始めた。
 遠くに見える空港ビルが、ゆっくりと窓のふちに入ってゆく。ヨーロッパを訪れてから初めてではないか、日ざしに映える建物を見るのは。こちらで過ごした一週間は、ほとんどいつも曇り空だった。
 空港ビルが見えなくなった。あそこで絵里と別れてから30分あまりだ。自宅に向かっている絵里はまだ電車の中だろう。僕と過ごしたロビーでのひと時を、絵里はどんな気持ちで振り返っているのだろうか。
 窓からの視界がのびてゆく。ロンドンの都心から遠くないはずだが、空港のまわりはどうやら田園地帯らしい。訪れる予定になかったイギリスだ。ここに立ち寄るために観光先を減らすことになったが、それと引きかえにして絵里との再会がかなった。1時間にも満たなかったとはいえ、初めて訪れたヨーロッパでの最たる思い出は、ヒースロー空港で絵里と語り合ったこと、ということになりそうだ。
 もしかすると、絵里と会うことも、ヨーロッパを訪れた目的のひとつだったのではないか。幸せになっている絵里を見るために。その絵里に祝福の言葉を贈るために。絵里との再会をはたした今ではそのように思える。日本を発った一週間前には、ロンドンに立ち寄ることすら予定になかったのだが。
 絵里がロンドンで暮らしていることを知ったのは、2ヶ月前の8月だった。ドイツへ出かけるまでに調べておきたいことがあり、東京へ日帰りの出張をした日だ。

 暑い日だった。仕事をおえて建物から出ると、冷房で冷えた体に湿気がまつわった。太陽はビルのうしろに隠れていたが、暑さは少しも衰えていなかった。流れる汗をふきながら、僕は地下鉄の駅へ急いだ。
 勤務先から直行してきた坂田と新宿駅で待ち合わせ、駅から歩いて行ける大衆酒場に入った。
 上京したついでに坂田と会う習慣ができたのは、僕が名古屋へ移った10年ほど前からだ。上京するたびに会うというわけでもないが、その日はどうしても坂田と話したかった。ヨーロッパから帰ったばかりの坂田から、旅行の体験談を聞きたかったので、電話をかけて会う約束をしておいた。
 僕の訪問先がフランクフルトということもあり、坂田はドイツでの体験から話しはじめた。幾つもの観光地を訪ねて、存分に見てきたという坂田がうらやましかった。学会が終われば間もなく帰国しなければならないので、僕の観光はフランクフルトとその周辺に限られていた。
 坂田の話にしばらく耳を傾けてから、僕は口をはさんだ。
「お前でも、苦労したり失敗したことがあっただろう。参考にしたいからさ、そういうのがあったら話してくれないか」
「ということは、お前でもやっぱり不安なんだな」
「初めてのヨーロッパにひとりで行くんだし、それに、おれは英会話に自信がないからな」
「ヨーロッパはおれも初めてだから、パックツァーに参加するつもりだったけど、ロンドンにいる絵里と電話で話しているうちに、思い切って一人旅をしてみようという気持になったんだ。まだ話してなかったけど」と坂田は言った。「絵里はロンドンに行ったんだよ、4ヶ月ほど前に」
 坂田の妹が結婚して横浜で暮らしていることは、数年前に彼の口から聞かされていた。その絵里がロンドンにいるとは、いったいどういうことだろう。
「だんながロンドンへ転勤になったものだから、絵里もいっしょに行って、向こうで暮らしてるんだ。そういうわけで、最初の二日ほどは絵里の家に泊めてもらって、ロンドンの付近を見てまわったんだが、その二日間で自信がついたんだよな、フランスやドイツもひとりで何とかなりそうだって」
「それにしても意外だな、絵里さんがヨーロッパで暮らしているというのは」
「急に転勤することになって、絵里もずいぶん心配していたんだよ、ロンドンで生活することに。ところがな、たった3ヵ月で慣れたっていうんだ、あの絵里が。案外とそんなもんだよ。お前も行ってみればわかるさ。慣れたにしてもゆだんはできないし、ときには困るようなことも起こるだろうけど」
 ふだんは思い出すことさえなかった絵里が、いきなり身近な所に姿を現したような気がした。あれから10年以上が経っているから、おそらく絵里も変わっていることだろう。それにしてもあの内気な絵里が、ロンドンでどんな暮らしをしているのだろうか。
 僕たちはそれから1時間ほど話し合ったが、絵里について触れることはなく、話題の多くは坂田の体験談だった。
 それからの2ヶ月を、僕は時間に追われながら過ごした。休む暇もないほど忙しかったが、間もなく訪れるヨーロッパと、そこで暮らしている絵里のことが心にうかび、しばしば仕事の手をとめさせた。日本を遠く離れたロンドンで、絵里はどのような日々を送っているのだろうか。もうすぐそのヨーロッパへ行くことになる。ロンドンを訪ねて絵里に会ったとしたら、どんな出会いになるのだろうか。そのように、絵里との再会場面を想像したことすらあったが、ロンドンに立ち寄る予定はなかったので、再会は空想でしかありえなかった。
 フランクフルトに着いたのは、学会が始まる三日前だった。その翌日には会場となる建物を訪ねて、場所の確認と会場の下調べをした。それらの用件をおえてから、時間をかけて街を歩いた。電気器具を扱う店があったので、ショーウインドウをのぞいて見ると、並べられている製品の多くは日本製だった。バブル経済が崩壊してから10年を経ても、日本の家電製品はブランドを誇示していた。
 つぎの日は、路面電車に乗って市街を見物してから、中央駅でケルン行き列車の発車時刻を調べた。そのあとは早めにホテルへ帰り、学会で発表するための準備をした。日本にいるときから時差に備えておいたので、苦労するほどの時差ぼけは感じなかった。
 英語での質疑応答には苦労したけれども、学会の場で僕は自分の役割をぶじにはたすことができた。二日間にわたって開かれた学会がようやく終わり、残っているのは観光を楽しむことだった。
 学会が終わったつぎの日は、朝食を早めにすませて駅に向かった。ケルンの天候はわからなかったが、フランクフルトが曇っていたので、折たたみの傘をバッグに入れた。
 列車がライン川に沿って走りはじめた頃から、僕は窓にはりついて外を眺めた。予想していたほどには広くない川を、大きな船が行き交っていた。白い鳥が数羽ほど、川面をかすめて飛んでいた。ぶどう畑の拡がる丘陵に古い城が姿を見せて、ラインをめぐる歴史を思わせた。最初の観光地にケルンを選んで良かったと思った。ライン川付近の風物を眺めることができたし、斜面に耕地が拡がる景観を日本の風景とくらべて、その土地に生きてきた人々の暮らしぶりを想うことができた。
 ケルンに着くとすぐに大聖堂を訪ねた。壮大なその建物を見物してから、長いらせん階段を歩いて塔に登り、ケルンの市街とまわりの景観を眺めた。
 大聖堂を出てからのあてはなかったので、付近の道をそぞろ歩いた。厚い雲に覆われていたため、誘われるようにして入った道は暗かった。前を行くふたりづれの他には人影がなく、走る車も見られなかった。狭い裏通りに添えられたアクセサリーのように、建物のすぐ壁ぎわに赤い車があった。通り過ぎてから振り返ってみると、小さなその車は永久にそこに停っているように見えた。建物に挟まれている道は静かで、石畳を踏む音が大きく鳴った。残響をともなう音を耳にしていると、歴史を語るその道を、過去に幾度も歩いたことがあったような気がした。10月の末とは思えないほどに寒くて、歩いているうちに体が冷えた。
 表通りに出るとカフェが見えた。暖かいコーヒーに誘われるまま、僕は店に向かって足を速めた。
 客のまばらな店でコーヒーをすすっていると、女の笑い声が聞こえた。ひくく抑えられていたけれども、その笑い声はいかにもうれしそうに聞こえた。僕は思わず声の主をさがした。少しはなれた席で、若いふたりづれが肩をよせあっていた。笑い声がふたたび聞こえ、女は男に体をよせて肩をゆすった。ふたりのうしろ姿を見ながら、並んで腰かけることを望んだのは女の方かもしれないと思った。いっしょに喫茶店などに入ると、絵里はいつも僕の横に並んだものだった。絵里を喜ばせるようなことを僕がしゃべると、絵里は肩をよせながら小さな声で笑った。
 ささやき交わすふたりを見ていると、いきなり、絵里に会いたいという気持ちがわきおこってきた。絵里はロンドンにいるのだ。ここまでやって来ながら、絵里に会わずに日本へ帰るというのは、むしろ不自然なことではないか。会わないまでも、電話で言葉を交わす程度のことはすべきではないか。電話番号なら坂田に聞けばよい。そのような思案をしているうちに、絵里の声を聴いてみたいという気持ちがふくらんできた。
 フランクフルトに帰りついたとき、日本では夜の11時に近い時刻になっていた。遅い時刻が気にはなったが、国際電話をかけることのできる公衆電話をみつけ、思いきって坂田に電話をかけた。
「ドイツにいると、ロンドンのすぐ近くまで来ているような気がするんだよ。ここまで来ていながら、絵里さんに声もかけずに帰ったら、絵里さんに対して失礼だろうと思うんだ」
 言いわけがましい言葉を口にしてから、絵里の電話番号を教えてくれと頼んだ。
 公衆電話の受話器をもどし、手帳に記した絵里の電話番号を見ると、新しいページの真ん中に、大きな数字が並んでいた。
 絵里にはホテルからかけることにして、それまでに心の準備をしておくことにした。
 夕食には早すぎる時刻だったが、通りすがりのレストランに入り、絵里にかける電話のことを考えながら食事をとった。電話をかけたら絵里はおどろくだろう。それだけならよいが、僕からの電話を迷惑だと思うかもしれない。そんな様子がうかがえたなら、早々に話をきりあげることにする。絵里の夫が電話に出るようなことになったら、どのように話をきりだしたものだろう。その場合には、絵里の兄の友人がヨーロッパを訪れたついでに、旧知の絵里に電話をかけた、と伝えるだけでよさそうだ。とはいえ、夫がそばに居ては絵里も話しにくいことだろう。
 絵里の夫が会社から帰宅する前に電話をかけたかったので、食事をおえるとすぐにホテルへ向かった。
 部屋に入って時計を見るとまだ4時半だった。1時間の時差があるロンドンは午後の時間帯といえたが、絵里が家に居るとはかぎらなかった。
 僕は絵里が在宅していることを願いつつ、冷蔵庫から出した白ワインを持って、電話の前の椅子に腰をおろした。
 僕はワインを飲みながら、旅行案内書でイギリスへ電話をかけるための手順を調べた。それをしっかり頭に入れてから、受話器をとりあげてボタンを押した。
 呼び出し音が聞こえると、電話で話し合っていた頃の絵里の声が思いだされた。「坂田です」と静かに応える声、あるいは、「絵里です」と嬉しそうに応えるうわずった声。
 しばらく続いた呼び出し音が消え、ようやく受話器から声が聞えた。
「ハロー、ズィスイズ、ホンダ」
 英語で応える声に一瞬とまどったが、僕は懐かしさにせきたてられるまま、大きな声で呼びかけた。
「ひさしぶりだね絵里さん、松井だよ。いま、ドイツのフランクフルトに来てるんだ」
 ぎこちない会話にならないように、僕は意識してかろやかな口調で話した。
 僕が言葉を切ったとたんに絵里の声が聞こえた。
「松井さんなの、ほんとに。久しぶりねえ、松井さん。フランクフルトにいるって、松井さんも旅行なの?」
 絵里の声には僕からの電話を快く受けいれている響きがあった。懐かしさを隠さないその声にほっとしながら、僕は電話をかけるに至ったわけを話した。太陽光発電に関わる学会に出席するため、数日まえからフランクフルトにいること。ロンドンのすぐ近くまで来ていながら、絵里に声をかけずに帰国するのは失礼だと思い、坂田から電話番号を教えてもらったこと。
 ぎこちない雰囲気になるどころか、僕たちの会話はむしろ快活にはずんだ。
 受話器を通して聞こえる絵里の声は、記憶していたそれと変わらなかった。誠実な人がらがにじみでるような話しぶりも昔のままだった。
 明るくはずんだ会話に気持ちが昂ぶっていた。受話器を置くとすぐに立ちあがり、僕はしばらく室内を行ったり来たりした。懐かしさと満足感が、そして、ほっとするような気持ちがあった。
 ベッドの上で仰向けになり、絵里との会話を思いかえした。絵里の声を耳に甦らせながら、僕はあらためて思った。絵里の声は以前のままだった。話し声から受ける印象も、あの頃の絵里を想わせるものだった。
 絵里の姿が思い出された。草原の風に髪をなびかせながら、嬉々とした笑顔をうかべている絵里。その笑顔にはまだあどけなさがある。うつむきかげんに去ってゆく絵里のうしろ姿が、悔恨の感情をともなって思い出された。あのとき絵里は21歳だった。あれからすでに16年が経っている。声は以前と変わらなかったが、絵里の笑顔とあの瞳は、付き合っていた頃のままであろうか。
 白い天井を見ながら、絵里に会ったものかどうかと考えた。できればロンドンに立ち寄ってほしいと言った絵里に、航空券が手に入りさえすればそのようにすると答えた。懐かしさに駆られるままに電話をかけたけれども、会うことには気おくれするようなところがあった。絵里の声を聴いたらますます会ってみたくなったが、絵里は本心から僕に会いたがっているのだろうか。空港に出向くことが、絵里の負担になりはしないだろうか。
 つぎの日、その翌日のルフトハンザ航空の予約をキャンセルし、かわりにロンドン経由で帰国する手続きをした。それをすませてから絵里に電話をかけて、ロンドンに寄り道することを伝えた。絵里の喜ぶ声がうれしかった。ヒースロー空港での手続きに時間を要しても、絵里とゆっくり語り合うことはできるはずだった。
 その日はハイデルベルクを観光するつもりだったが、ロンドン行きの手続きなどに時間をとられたために、予定を変えてフランクフルトで1日を過ごすことになった。
 旧市街にあるゲーテの家を訪ねて、家の内部や展示品を見てまわった。ゲーテが使った羽根ペンや、紙に残されている筆跡を見て、学生時代に読んだ〈若きヴェルテルの悩み〉を思い出した。
 ゲーテの家を出てしばらく行くと、フランクフルトの大聖堂があった。建物の内外を見てもまだ時間があったので、街を見物しながら散歩することにした。道なりに歩いてゆくと大きな橋があった。マイン川のほとりだった。
 川にそった道をそぞろ歩いていると、ゲーテが活躍した時代の景観が想われた。ゲーテがかつて散策したかも知れないその道を歩いて、僕は新市街にあるホテルへ帰った。
 今朝はアラームが鳴る前に眼がさめた。朝食をすませるとすぐにホテルを出て、フランクフルトの空港へ向った。
 飛行機は少し遅れてヒースロー空港に着いた。乗り継ぎ手続きに予想外の時間を要したために、絵里と約束した時刻に遅れることになった。絵里が電話で教えてくれた場所に着いたとき、約束していた時刻を10分あまり過ぎていた。
 絵里は約束した場所で待っていた。ひとめで絵里だとわかったが、子供をつれている姿にとまどいをおぼえた。記憶の中の21歳の絵里と子供づれの姿が、束の間のとまどいを経てから重なった。あれから16年が経ったのだ。
 絵里はにこやかな笑顔をうかべ、明るい声でよびかけてきた。僕はその声に応えながら、絵里から受ける印象が、以前とは異なっていることに気づいた。かつての絵里はどことなく心もとなげに見えたものだが、目の前でほほえんでいる絵里には、そのようなところが少しもなかった。とはいえ、僕の前にはまぎれもない絵里がいた。やわらかいアルトの声ときれいな瞳、そして、控えめなものごし。
 絵里の横で幼い子供が僕を見あげていた。僕は子供の前にしゃがんで、絵里が教えてくれた名前で呼びかけた。女の児はむじゃきな笑顔で応えてくれた。歳はいくつかと問いかけると、女の児が小さな声で「にさい」と答え、2歳になったばかりなのだと絵里がつけ加えた。そのような言葉を交わしているうちに、絵里を眼にした瞬間に覚えたとまどいが薄れた。
 僕たちは場所を見つけて、ロビーのベンチに腰をおろした。
 眼の前を人々が行きかう騒々しいロビーで、時間に追われながら絵里と語り合った。乗り継ぎの手続きに時間をとられたために、そこで過ごせるのは1時間たらずだった。
 絵里は東京や大阪と比較しながら、ロンドンの特徴などを語った。僕は初めて訪れたヨーロッパの感想を、そして、10年前から暮らしている名古屋のことや、そこで取り組んでいる仕事について話した。
 ぐずる子供をあやしていた絵里が、顔をあげると前を見ながら言った。
「おぼえてるでしょ、松井さん。出雲の砂浜で星を見たこと」
 幾つもの想いが胸の底をよぎった。ときめきに似た想い、悔恨の情、そして懐かしさ。
 僕は答えた。「おぼえているよ」
 そのひと言を口にしている束の間に、情景が鮮やかに蘇った。夜の砂浜。満天の星と天の川。砂にねそべっている僕の横には絵里がいる。
 絵里は膝に乗せていた子供を抱きなおした。
「私って、引っ込み思案だったのに、松井さんとは随分おしゃべりになれたし、思いきっていろんなこともできたのよね」
 絵里は何を話すつもりだろうかと思いながら、僕は絵里が続けるのを待った。
「松井さんと出会えてとてもよかったわ。短い期間だったけど、ほんとに楽しかったし、それに・・・・」と絵里が言った。「松井さんのおかげで、私にも勇気があるということがわかったから。なんだか大げさな言い方みたいだけど」
 絵里に対する想いの記憶がよみがえり、16年まえに引き戻されたかのように、絵里がいとおしく思われた。
「だからね、松井さんに感謝してるのよ、わたしは」
 僕は気はずかしいような気持になった。絵里から感謝される資格があるとは思えない。それどころか、絵里は僕を責めてもよいはずではないか。
 絵里が言葉を止めているので、僕はうながされているような気持ちになった。
「絵里さんには勇気が似合っているよ」
「わたしに?」と言って絵里は僕を見た。
 絵里は膝に乗せた子供に向きなおり、「そうかも知れないわね、引っ込み思案の私には」と言った。
 どうしたわけか、運命の赤い糸という言葉が思いだされた。絵里と最後に会ったとき、涙をうかべながら絵里が口にした言葉だ。
 僕は心の中で言った。「あれからも、運命の赤い糸を自分で結ぼうとしてがんばったのか、絵里さんは」
 その時ふいに、絵里に祝福の言葉を贈りたくなった。
「僕は知ってたよ、絵里さんが最高に幸せになっていることを。そのことを坂田から聞いて嬉しかった。ほんとうに嬉しかったよ」
 絵里が声にだして笑った。絵里の幸せな想いがそのまま表れている笑顔と声だった。
「どうもありがとう。ずいぶん大げさに祝福されたみたいだけど、とても嬉しい、松井さんからそんなふうに言われると」
 胸のうちに想いが湧いた。ようやくにして、絵里に祝福の言葉を贈ることができた。ロンドンに立ち寄って絵里と再会したのは、まさにそのためだったのだ。その想いに誘いだされるようにして、安堵感に似た感情がうかんだ。
 絵里がハンドバッグをあけて何かをとりだした。封をしないままの白い封筒だった。絵里はその封筒をさし出しながら言った。
「松井さんに受け取ってもらいたいと思って。もし、よかったらだけど」
 封筒の中にはカセットテープが入っていた。ラベルに記された文字を見たとたんに、16年前の記憶が誘いだされた。ラベルには僕のへたな字で、〈ショパンのピアノ協奏曲第2番、シューマンのピアノ協奏曲〉と記されていた。
 絵里の声が聞こえた。「覚えてるでしょ、そのテープ。何度も聴いているうちにすっかり気にいって、私がクラシックを好きになるきっかけになったテープ。その曲をもっときれいな音で聴いてみたくなって、松井さんと一緒にヘッドホンを買いに行ったわ。覚えてますか、あの時のこと」
 絵里がこのテープをまだ持っていたとは、と思いながら、僕はひと言「おぼえているよ」と答えた。
「松井さんのおかげでクラシックを聴くようになったし、松井さんのおかげで勇気を出してがんばれるようにもなって、そのおかげで幸せにもなれたのよ、わたしは。そういう意味でも松井さんに感謝してるのよ」
 もしかすると、絵里は夫とのことを話しているのではないか。坂田から聞かされたところによれば、絵里が夫と結ばれた経緯には音楽が関わっていたはずだ。
「それにしても、ずいぶん古いテープが残っていたんだね」と僕は言った。
「ロンドンに持ってくるCDやテープを選ぼうとしたとき、それが見つかったの。私をクラシック好きにしてくれたテープだし、そのために幸せになれたんだと思うと、なんだかお守りみたいな気がしてね。だから、持ってきちゃった、こんなとこまで」
 やはり絵里は夫とのことを話しているのだ、と思った。音楽を通して夫と出会うことができたことを、そして、クラシック音楽に関心を持つきっかけを与えた僕に感謝していることを、いかにも絵里らしいやり方で僕に伝えようとしているのだ。
「こんなお守りは、もう無くてもいいわけだね、今の絵里さんには」と僕は言った。
「もしかしたら、ロンドンで暮らすことに自信がついたからかも知れないけど」
 そうかも知れないと思った。絵里はいかにも幸せそうだし、明らかに自信をもって生きている。今の絵里には必要がないのだ、幸せを守るために何かを頼りにすることなどは。
 絵里は続けた。「松井さんとここで会うことになってから、急に思いついたの、そのテープを返そうって。それがいちばん良さそうに思えたのよね、なんとなく。ごめんなさい、なんとなくだなんて」
 絵里の心の内がわかるような気がした。僕が贈ったこのテープが絵里の幸せに幾分かは関わっているにしても、僕を思い出させる品物をいつまでも持っていたくはないはずだ。テープを僕に返すということは、絵里にとって好ましいことに違いない。
 僕はテープに眼をとめたまま、「このテープ、今日の記念にもらっておくよ。ありがとう、絵里さん。わるいけど、僕は何も用意してこなかった」と言った。
「とてもすてきな贈り物をいただいたのよ、わたしは」と絵里が応じた。「松井さんらしい祝福の言葉。あれ以上の贈り物はないもの」
 僕は機内持ち込み用の小さなバッグに、未熟だった自分を思い出させる、そして、絵里に祝福の言葉を贈った日の記念になるカセットテープを入れた。
 搭乗手続に向かわねばならない時刻になっていた。絵里と語り合った時間は一時間に満たなかったけれども、僕には大きな満足感があった。
 絵里に手をひかれている子供の足に合わせて、保安検査場へ向かう通路をゆっくりと歩いた。
「おじさんにバイバイしようね」絵里が笑顔で子供を抱きあげた。「松井さん・・・・それじゃ、気をつけて。会えてうれしかったわ」
「僕もだよ。会えてよかった。ほんとにありがとう、ここまで来てくれて」
 僕は女の児に「バイバイ」と別れのあいさつをした。絵里は子供の手をとって、小さくふりながら「バイバイ」と言った。僕は「それじゃ、お元気で」と声をかけ、ふたりに背を向けて歩きだした。
 ゲートの前でふり返ると、子供を抱いた絵里が手をふった。僕も同じようにかた手をあげた。ゲートを通ってからもう一度ふりかえると、子供の手をひきながら歩いて行く、幸せそうな絵里のうしろ姿があった。

 客室乗務員に声をかけられて我に返った。飲みものが配られている。
 受け取った缶ビールのふたをあけ、口をつけながら窓の外に顔を向けると、夕方の雪原に似たかげりを見せて雲海がひろがり、白い波のかなたは暗い空とつながっている。かすかに赤みを帯びた色あいが、夕焼けのなごりの空を思わせる。
 ヨーロッパでは夕焼けを見なかった。初めて訪れたヨーロッパだというのに、曇っている日が多くて残念だった。それどころかケルンは寒かった。
 あの裏通りをふるえながら歩いたせいで絵里に会えたのだから、ケルンが寒かったことには感謝すべきだろう。あの喫茶店で若いふたりづれを見ているうちに、絵里に会ってみたいという気持ちがつのり、それが僕をロンドンへ向かわせることになった。その結果とはいえ、ようやくにして、絵里に祝福の言葉を贈ることができた。
 坂田や絵里と出会ったあの年から、すでに16年が経っている。さほどに長い歳月とは言えないにしろ、過ごしてきたその歳月に、さまざまな体験と記憶が積み重なっている。その中には輪郭が薄れているものすらあるはずだが、16年前のあの年にかぎれば、ひっぱり出した記憶には、どんなものにも鮮やかな形が残っている。出会った人にまつわることも、心にきざんだ想いのことも。
 新宿の大衆酒場で坂田と語り合ったとき、同じ会社で仕事に励んでいた頃のことが話題になった。
 坂田が言った。「覚えているか松井、お前が会社をやめる少し前に、こんな感じの店で話し合ったことを。仕事に対する技術者の執念を話題にしたよな」
「執念を燃やしてこそ困難な目標を達成できる・・・・吉野さんの持論だったよな」
「吉野さんに伝えておくよ、お前が国際学会で発表するためにドイツへ行くことを。ついでに」と坂田は言った。「お前の執念がほんものだということもな」
 坂田から僕のことを聞いたら、吉野さんは喜んでくれるに違いない。それはともかく、僕がいまでも吉野さんに感謝していると知ったら、吉野さんはどんな想いを抱くことだろう。
 ビールのあき缶をテーブルに置き、窓の外に眼をやると、雲海はいつの間にかかげりを増している。だれが雲海と名づけたのだろうか、この茫漠とした白い拡がりに。はてしなく連なる雲の海には、いくつもの白く輝く雲の山がある。何者かの意志が作りあげたかのような雲の形は、山というよりも白い塔と呼んだほうが似つかわしい。
「これからだ、ほんとに執念を燃やすのは」
 雲の塔を見ながらつぶやいた言葉が、いつになく強く胸に響いた。
 これまでに幾たび自分に言い聞かせたことだろう、〈執念を燃やせば必ずこれを達成できる〉という言葉を。その言葉は僕を励まし、困難な課題に立ち向かう勇気を与えてくれた。その言葉を頼みに努めていると、自分の力が増大してくることを実感できた。そして実際に、困難な課題を克服するための知恵がわきだした。吉野さんに指導してもらった期間はわづか半年だったが、今もなお、僕は吉野さんに励まされている。
 これまでに、多くの人とさまざまなことがらに出会った。それらを縁と呼ぶのであれば、16年前に出会った縁は、僕にとってどんな意味を持つのだろうか。坂田と絵里、吉野さんや野田課長、そして、あの会社で経験し、学んだこと。
 機内放送が始まっている。どうやら放送は終わるところらしい。どんなことが伝えられたのだろうか。
 隣の乗客は椅子をたおして、気持ちよさそうに眠っている。向こうのほうではふたりの乗務員が、笑いながら立話をしている。気にするほどの機内放送ではなかったらしい。
 椅子を倒して眼をつむる。エンジンの音が聞こえる。無数の音源にとり囲まれているみたいだ。その音に意識をむけ続けていると、ぬるま湯に浮かんでいるかのように、気分がゆったりとしてきた。体のあらゆる感覚がうすれている。意識はむしろ鮮明だ。心だけの存在になったような感じだ。
 閉じたまぶたの裏に雲海がひろがる。雲海が次第に明るさを増す。雲の波間にただよっているような気分だ。波の裏から湧きでるように記憶が浮かぶ。その記憶に情景がかさなる。記憶に伴う感情と想いが、胸の奥からにじみ出てくる。
 大学を卒業したばかりのあの頃、太陽光発電には関心がなかった。僕が目指していた目標は、すぐれたスピーカーの開発だった。
 絵里と出会ったのは、スピーカーに取りくみ始めてから間もない頃だった。仕事に情熱をもやす一方で、感情に引きずられるままに絵里とつきあった。単純で未熟だった僕は、都合よく事態が運ばれることを安易に期待し、優柔不断な自分を甘やかしていた。そして結局は、未熟な自分を嘆くという結果になった。とはいえ、あのように未熟だったからこそ、今の自分があるのだと言えなくはない。あの頃の僕が、そのことに思い及ぶことはなかったのだが。
 あれから16年の歳月が流れて、僕は今ここにいる。日本を遠く離れたロンドンで、ようやくにして絵里に祝福の言葉を贈ることができた。自分の未熟さを意識し続けることから、どうにかこれで決別できそうな気がする。
 もしかすると、僕は人生の過程で必要としていたのではなかろうか、あの年のいくつかの出会いと体験を、さらにまた、それらを起点に新たな道へと踏み出すことを。悔恨と反省をしいられるなかで、僕は未熟さからの脱却を願った。出会いと体験からは希望と夢を与えられ、技術者として生きる道の方角を選んだ。
 それにしても、人生とはほんとうに不思議なものだ。僕は中学校の1年生まで成績劣等生だった。その僕が、今は技術者としてこんな生き方をしている。あのオーディオ装置が僕の部屋になかったならば、そして、あの時期に僕が音楽につよく惹かれなかったならば、僕はどのような人生を歩むことになっただろうか。


 父がオーディオ装置を買い替えたとき、古い装置は僕の部屋に置くことになった。音楽好きの父が使っていたものだから、その装置の性能はかなりのものだったに違いない。いずれにしても、そのことがきっかけになって、僕は音楽に親しむようになった。僕は小学校の6年生だった。
 最初のうちはラジオを聴くだけであったが、それもしだいにFM放送のクラシック音楽を聴くことが多くなった。中学生になったころには、父が集めたLPレコードのいくつかが僕の愛聴盤になっていた。
 音楽を聴く楽しみが深まるにつれ、僕はオーディオ装置そのものに対して強い関心を抱くようになった。オーディオマニアの従兄に相談しながら、アンプやテープデッキの内部を観察したり、従兄がゆずってくれた真空管アンプを使ってスピーカーを鳴らしてみたりした。そのうちに、それだけではあきたりなくなって、従兄と同じようにアンプなどを自分で作りたくなった。そのためには電子回路に関する知識を身につける必要があった。
 中学1年生の2学期がおわるころ、従兄が選んでくれた参考書を頼りにして、電気についての勉強を始めた。電気に関する入門書だと聞かされていたけれども、僕には随分むつかしかった。苦労しながらの勉強であったが、つらいとは少しも思わず、むしろそれを楽しんでいた。そのような僕の姿が、父と母はむろん兄をも驚かせ、それにもまして喜ばせることになった。その頃の僕は勉強ができず、家族に不安を与えていたからだ。
 僕は興味のあることには熱中できたけれども、そうではない対象に対しては、集中力の維持がむつかしかった。おそらくそのために、まともな成績は一部の科目だけだった。まだ小学生の頃、僕はすでに自覚していた、自分は能力的に劣っているらしい、と。そのような僕が電子回路を学ぼうという気持になれたのは、まともな成績の科目が少しはあったからだろう。幸いにもと言うべきか、僕は小学生の頃から電気に対して強い興味を抱いていた。テレビは番組を楽しむためのものであるだけでなく、それ自体が好奇心の対象でもあった。遠くのできごとが眼前に映しだされるのはどうしてだろう。テレビを発明したひとは、どのようにしてそれを発明したのだろうか。そのような僕の好奇心は、理系の多くの事物や事象に対して向けられたのだが、なかでも電気は特別な対象だった。オーディオ装置を作りたかったのは、自作の装置で音楽を聴いてみたかったからだが、電気で動作するオーディオ装置に対する関心が、強く背中を押してくれたからでもあった。
 電気の勉強を始めてから数か月を経た頃、電気に関する僕の知識は中学生のレベルを越えていた。僕はいつのまにか、能力的に劣っているとの思いこみから抜けだし、むしろ自分の能力に自信を抱くようになった。中学2年生の1学期には学習塾に通うことをやめたが、僕の成績は急速に向上していった。成績が良くなるにつれて、高校への進学に対する意欲が高まった。それだけでなく、将来の大学進学をも意識しはじめた。3年生になってからは、電子回路の勉強を中断して、受験勉強に全力をそそいだ。そのような努力をした結果、中学校を卒業するころには、成績優秀者のひとりになっていた。
 高校生になると、参考書を読むだけではあきたりなくなって、こづかいを貯めては電子工作に励むようになった。オーディオをきっかけにして入った道だが、高校時代に作ったのは、トランシーバなどの実用品だった。
 電子回路の独学が、数学などの成績をおし上げてくれたけれども、不得手な教科がいくつかあったので、大学の受験では1年ほど浪人生活をした。
 大学に入って2年が過ぎたころには、将来の就職希望先がすでに決まっていた。音響機器や映像機器を製造する会社で、父が愛用していたスピーカーのメーカーでもあった。僕はどうしてもその会社に入りたかった。筆記試験につづいて行なわれた面接試験では、それまでに蓄えていた知識を披瀝しながら、スピーカーの開発に対する意欲をけんめいにうったえた。そのような働きかけが功を奏したのだろうか、望みがかなって採用されることになった。
 そして、僕は大学の電子工学科を卒業し、かねてから希望していた会社に入社した。ぶじにそこに就職することができたので、その会社でスピーカーを開発したいという夢をなかば実現できたような気がした。

 通勤を始めてから苦労したのは朝寝坊のくせだった。目覚まし時計を手の届かないところに置いて、ベルをとめた後でふたたび眠ることがないようにするなど、自分なりに努力をしていたのだが、母が用意してくれた朝食をとらずに家を出ることもめずらしくはなかった。
 毎朝7時に家を出てバス停に向かった。三鷹市の南はずれで深大寺にも近いその辺りには、いなか町に似た風情があって樹木が多い。通勤を始めてからしばらく経つと、道すじの眺めはあわただしく変わった。家々の庭の落葉樹が葉をひろげ、生け垣の花が道をかざった。幼い頃から通いなれた道だが、朝の光のなかで見るその光景は新鮮だった。それはおそらく、そのような時刻に外出したことがなかったからだろう。
 三鷹駅で下りの電車に乗ったあと、さらにバスを乗りついで工場についた。そこまで付きそってきた寝不足感をふりはらい、気持ちを引き締めて僕は工場の門を入った。

 坂田とはじめて言葉を交わしたのは、入社して三日目のことだった。新入社員研修が始まり、学生気分の残滓を払い落とされた日だ。
 ひとつのプログラムが終わった休憩時間に、隣の席で資料を見ている仲間に話しかけてみた。それまで互いに口をきかなかったが、気さくな口調で応えてくれた。胸につけた名札に坂田とあった。
 その会社を選んだ理由や、仕事に対する夢を語り合っているうちに、僕と坂田は意気投合し、研修はいつも並んで受けるようになった。
 坂田も東京の生まれで、大学は違うけれども、僕と同じように電子工学科を出ていた。家族と暮らしていた墨田区からでは、通勤に時間がかかり過ぎるということで、坂田は工場に近い独身寮に入っていた。
 初めての給料が振り込まれた日に、僕は坂田と飲みにでかけた。渡された給料袋には明細書しか入っていなかったけれども、記念すべきその日を坂田と祝いたかった。
 飲み歩いた経験を持たなかった僕と坂田は、立川の街をうろついたあげくに、学生がコンパの後で入りそうな雰囲気の店に入った。
 僕たちはビールを飲みながら話し合った。日本が工業国として発展し続けようとするのであれば、企業間の競争がいかに激しかろうと、製造業で働く者を経済的にもっと優遇すべきではないか。
「ほんとはな、おれも少しは興味があったんだ、もっと給料がいいところに」と坂田が言った。「銀行なんかに入ったのも結構いるんだよ、おれの同期の奴にも。データや情報の処理をやるんだろうけどな」
「コンピュータをやるしかないだろな、おれたちが銀行に入ったとしたら。お前には向いてないような気がするけど」
「だからやめたよ、そういうところは。せっかくいろんなことを勉強したのにさ、好きでもないコンピュータの仕事に限定されたくないからな」
「4年もかけて仕入れた知識だからな」と僕は言った。
 そうは言ったけれども、僕はそれほどまじめな学生ではなかった。朝寝坊の僕は1時限目の講義をほとんどさぼっていた。
「お前もおれも技術者になるわけだが」僕にビールを注ぎながら坂田が言った。「どんな奴だろうな、技術者になりたがるのは」
 僕は坂田と議論した。理科系と称される人は、どうしてそのような道を選ぶのか。
 人には好奇心があるから、理系の学問は誰にとっても興味深いはず。だが、理系の学問を学ぶには、系統的に知識を積み重ねてゆく必要があるため、欠かすことのできない知識のどこかに不足した部分があると、その先へは進めなくなることがある。そのようなとき、欠けている知識を補充した上で、さらに前に進もうと努めるような人が、理系人間と呼ばれるのではないか。その人たちがそれを理解したいという気持ちに駆りたてられるのは、理系の学問に適した才能に恵まれているからというより、理系の事象や学問に対する興味に強く背中を押されるからだろう。
 僕は自分自身の体験を語った。中学1年生まではまったくの成績劣等生だったこと。オーディオに対する興味におされて始めた電気の勉強が、僕に自信をもたらす結果になったこと。
 僕の話を聞いて坂田は言った。「今の日本では、小学校や中学校で落ちこぼされたら、そこから這い上がるのに苦労するわけだが、落ちこぼされている子供の中には、お前みたいなのがたくさんいるのかも知れないぞ。先生の話をろくに聞かずに、自分が興味を持っていることだけを考え続けているような子供が。そんな子供はほんとうは普通以上に集中力があっても、勉強する気も能力もないと決めつけられるんじゃないのかな、いまのような偏差値教育の中では」
「長岡半太郎や本多光太郎も、小学校時代には勉強ができなかったそうだから、今の日本に生まれていたら、世界的な学者にはなれなかっただろうな」
「今の日本では、小学校でつまずいた子供は催眠にかかってしまって、自分には能力がないと思い込むようになると思うな。そうなると、たとえ努力をしたところで、催眠にかかっているために勉強は身につかないわけだ。お前の場合には運が良かったんだよ。オーディオ装置に興味を持ったおかげで、うまい具合に催眠から醒めることができたんだからな。電子回路を勉強したきっかけが音楽というのは、お前だけかも知れないけどな」
「詳しいんだな、教育のことに」と僕は言った。
「本を1冊読んだだけだよ。偏差値教育と詰込み教育の問題をとりあげた本を」
 その言葉を聞いて、坂田はずいぶんレベルの高い読書家だと思った。僕が読むのはおもに科学雑誌や週刊誌で、教養のための書物はほとんど読まなかった。
 坂田はさらに続けた。「こんなことも書いてあったな。小学校の低学年では理科好きな子供が多いのに、高学年になると理科嫌いが多くなるというんだ。好奇心を満たすことより、知識を詰め込むことが重視されたり、友達と成績を競わされたりするんだからな、そんな理科がおもしろいはずがないよ」
「おもしろそうな本だな。貸してくれないか。おれも読んでみたいよ」と僕は言った。
 坂田としばらく話しているうちに、彼もまた小学生の頃から理科好きだったことがわかった。そのような坂田と僕は、技術者をめざして同じ会社に入社したのだった。
「どこに配属されるにしてもだよ、新聞社や銀行の仕事よりはおれに向いているはずだからな」と坂田が言った。
 4月の末には辞令が出され、配属される職場が決まるはずだった。
「あのな」口調を変えて坂田が言った。「おれの妹は銀行なんだ」
「へー、そうか。もしかしたら、お前よりも妹の給料がいいんじゃないのか」
「そうだとしゃくだからな、給料の話はやめとくよ、妹とは」坂田は笑いながら応じ、そして続けた。「今度いっしょに就職したんだ、妹も。おれより三つ年下だ。妹は短大でおれが1年ほど浪人したからな。かわいい奴だぞ。会ってみたいと思わんか」
 坂田の言葉と笑顔にうながされ、僕は「ありがとう、なんだか自分に自信を持てそうな気がするよ、お前からそんな言いかたをされると」と応じた。
 儀礼的なその言葉を口にしたとき、心の隅を佳子の影がかすめた。
「だったら紹介するよ、そのうちにな」と坂田が言った。
 坂田の言葉に僕は黙ってうなずいた。佳子のことを話すべきだと思いながらも、雰囲気を壊しそうな気がして口にしなかった。
 妹のことに僕がそれほど興味を示さないと見たのか、坂田はすぐに話題を変えた。   とりとめのない会話に興じていると、いつの間にか話題は政治のことになっていた。政治にはそれほど関心がなかったので、僕のほうから話すことは少なかったが、坂田は社会問題や政治について熱心に語った。
 日本の政治の現状をなげく坂田と話していて、僕は1週間前に会った高校時代からの友人を思いだした。新聞社に入社したばかりの友人は、ジャーナリストとしての夢を熱心に語った。友人と話し合って以来、ジャーナリストというものにたいして、僕は正義漢のイメージを抱いていた。僕が友人のことを話すと坂田は言った。
「正義感を持たないジャーナリストなんて存在価値が無いだろう。それにさ、なによりもだよ、ジャーナリストには見識や良識といったものが必要だと思わんか。ひとりよがりでわがままな正義をふりかざされたら、迷惑をこうむるどころじゃないからな」
「さっき話したような政治家は、要するに存在価値がないわけだ」
「政治家になってほしくないのは利己的な奴だ。政治は政治家のためのものじゃないからな。使命感や正義感、勇気に倫理感……もちろん実行力も必要だ。とにかく、いろいろあるけどさ、政治家にはどれも必要なんだよ。そう思わんか」
 坂田の話に触発されるままに僕は考え、そしてしゃべった。酔いにまかせてしゃべっていると、いつになく自分が知的になっているような気がした。
 坂田はずいぶん酔っていたはずだが、話の内容や議論の展開には少しも乱れたところがなかった。政治や社会について語っている坂田は、しらふの時よりもむしろ理知的に見えた。僕は坂田に敬意を表わしたくなった。
「いろんなことを知ってるし、随分考えてもいるんだな。お前をみならって少しはおれも考えることにするよ、政治とか社会のことを」
「お前だってよく考えてるじゃないか。よかったよ、久しぶりにこんな議論ができて。おれが知っているのは、新聞で読んだ程度のことだけど、たまにはこんな話をするのもいいもんだよな」
 いつかまた、このような機会を持ちたいものだと僕は思った。
 まわりには僕たちと同じように、大声で議論をしているグループがあった。僕たちはときおり何かを注文し、たまにビールを追加しながら、長い時間をそこで過ごした。
 店を出たときにはふたりとも深く酔っていた。ふらつく坂田をささえるようにして立川駅へ向かった。
 坂田は高尾行きの電車に乗るまぎわまで僕に語り続けた。坂田の別れのあいさつはプラットホームに響きわたったが、それがまわりの人に与えた不快感はそれほど強くはなかっただろう。声は乱れていても言葉はじつに爽やかだった。僕もずいぶん酔っており、悲鳴をあげそうな胃を抱えていたが、それでも気分は爽快だった。

 土曜日の午後おそく、1週間ぶりに佳子と会った。
 佳子は両親や妹といっしょに埼玉県に住んでおり、英語の教師として県内の中学校に勤務していた。佳子と会うために、僕は毎週のように埼玉まで出かけた。電車とバスを乗り継いで行くこともできたが、多くの場合、借りた父の車を運転して行った。車の運転を楽しむことができたし、その方が僕にとっては便利でもあったが、その土曜日は武蔵野線の電車を利用した。
 従妹の幸子が佳子を紹介してくれたのは、まだ大学が冬休中だった前年の正月だった。佳子は幸子の同級生であり、僕と同じく大学の3年生だった。他には女の友達がなかったし、佳子とは気が合ったので、それ以来、僕は佳子と親しくつきあった。
 その3月に佳子が大学を卒業し、故郷の埼玉で教師になってからは、土曜日の午後か休日にしか会えなくなった。
 その日も、いつものように佳子と早めの夕食をとった。アルバイトの収入が頼りだった学生時代とちがい、サイフの中身を気にすることはなかった。
「もしも私がお見合いをすると言ったらどうする、滋郎さん」いたずらっぽい笑顔を見せて佳子が言った。
 とうとつにおかしな冗談を聞かされたような気がした。
 僕は佳子の笑顔を見つめながら言った。「なんだよ、いきなり。佳子がどうして見合をするんだよ」
「もっとびっくりすると思ったのに・・・・。でも、ほんとよ。どうする、滋郎さん」
 佳子は両ひじをつき、組んだ手にあごを乗せたまま、挑発するような言い方をした。佳子の笑顔が僕のとまどいを楽しんでいた。
「じらさないで言えよ。何があったんだ」
 佳子は1週間前の日曜日に起こったできごとを話した。約束していた訪問先でひとりの男を紹介されたこと。それが意図して仕組まれたものだったと知って驚いたこと。自分たちにとっては事件といえるそのできごとを、僕たちはデートの話題にして楽しんだ。
 静かに流れていた音楽がトロイメライに変わった。僕たちはチェロで演奏されるトロイメライに送られながらレストランを出て、店の駐車場で佳子の車に乗った。
 その日は佳子の車でホテルに入った。大学を卒業した直後にはじめて入って以来すでに幾度か経験していたものの、かんたんな手続きをするにも多少の緊張をおぼえた。佳子はすでに慣れたのか、僕よりも落ちついているように見えた。
 とくに約束したわけではなかったが、僕たちは結婚を前提にしたつき合いをしていた。とはいえ、大学を卒業したばかりであって、しかも日常の慣れの中に浸っていたので、僕は結婚を近い将来のこととは考えていなかった。
 佳子とは武蔵野線の沿線で待ち合わせることが多く、駅まで僕が車ででかけ、そこで佳子とおち合うのがいつものやり方だった。僕が電車を利用したその日は、佳子が駅まで送ってくれた。
 電車に揺すられながら、レストランで佳子と話したことを思いかえした。佳子は見合いのことを話したとき、自分たちの結婚のことを話題にしたかったのだろうか。佳子に結婚を急ぎたい気持ちがあれば黙っているはずはないから、見合いの話はたんなる話題にすぎなかったのかもしれない。それはともかく、と僕は思った、もしも佳子が望むなら、早めに結婚するのも悪くはない。
 新入社員研修が終わろうとするころ、職場配属の辞令を渡された。僕の配属先は希望がかなってスピーカー部だったが、ビデオ機器の開発を希望していた坂田は、アンプを製造する部門に配属された。
 新入社員研修が終わるとすぐに、僕たちはそれぞれの職場に別れていった。僕はスピーカー部の第1開発課に配属され、5年ほど先輩の小宮さんについて、スピーカーの振動板を開発することになった。CVDという技術を使うその仕事に、小宮さんは1年前から取り組んでいるとのことだった。
 最初の1週間は、あたえられた資料を読みつづける毎日だった。小宮さんが渡してくれた資料は、仕事に必要な知識を修得するための参考書や、文献をコピーしたものだった。スピーカーについては豊富な知識を持っているつもりだったが、それらの資料を理解するためには努力を必要とした。僕ははりきって、そして夢中でそれに取り組んだ。
 職場の資料棚には多くの文献や資料があった。僕はそれらを自宅に持ち帰り、夜おそくまで読んだ。もともと朝寝坊の僕がそのようなことをしたので、母にたたき起こされてもバスに乗り遅れることになった。数日の間に2度目の遅刻をしたとき、上司の野田課長からきつい言葉で叱責された。小宮さんが忠告してくれた、自宅でいくら努力をしても、そのために遅刻をすれば、サラリーマンとしてはマイナスにしか評価されないのだ、と。
 そのような努力をつづけて、僕は多くの知識を身につけた。配属されてからひと月もたたないうちに、小宮さんの相棒として実験にとりくむようになっていた。
 先輩たちが提出したレポートの中に、とくに僕を惹きつけるものがあった。報告者は吉野となっていたが、その先輩はすでに他の職場に移っていた。
「面白いですね、このレポート」僕は小宮さんにレポートを見せながら言った。
「たいしたもんだな松井、吉野さんのそれがわかるのか。レポートというより提案だけどな、それは」
「ちょっと変わった形になりますよね、このアイデアで作ると」
「そうかも知れんけどさ、ほんとに音が良ければ売れるだろ、きっと」
「どんなふうに鳴るのか聴いてみたいですね、このスピーカー」
「いいアイデアだけど、どういうわけか試作もしなかったんだ」と小宮さんは言った。
 吉野という先輩の提出したレポートが、資料棚にはいくつもあった。いずれも考えかたが明快で説得力のあるものだった。会ったことのない吉野という先輩に僕は敬意を抱いた。小宮さんに聞いてわかったことは、吉野さんは第2開発課の係長だったが、前年の春に回路設計の部門に移っているということだった。
 小宮さんといっしょに振動板の材料を試作しては、高音領域用のスピーカーに適したものかどうかを調べ、その結果をもとにしてさらに実験をくりかえした。毎週月曜日の午前中に開かれる会議で、小宮さんが実験の進みぐあいを報告した。
 第1開発課には四つのグループがあり、それぞれのテーマにとりくんでいた。月曜日の定例会議で、各グループのリーダーが仕事の進捗状況を報告すると、野田課長がそれから先の進め方について指示を与えた。課長になって4ヶ月とのことだったが、野田課長は会議の席で部下をきびしく指導した。そのような野田課長の姿が、その頃の僕には頼もしく見えた。

 僕が実験に加わってからひと月が過ぎても、試作は少しも進まなかった。製品化されているスピーカーは先輩たちの努力の結晶であり、それを越えるものを容易に作れるわけがなかったのだが、少しも進展しない試作に僕はあせりをおぼえはじめた。その職場で6年目になる小宮さんは、そんな僕をはげましながら試作を進めようとした。
 複合材料の利用を思いついたのは、図書室で学術雑誌を見ているときだった。性質の異なる素材を組み合わせることにより、優れた特徴を引き出そうとするその考え方は、スピーカーの材料にも応用できそうに思われた。僕はすばらしいヒントを与えられたような気がした。僕は昼休になると図書室へ行き、参考になりそうな資料をしらべた。
 そのアイデアが浮かんだのは、会社から帰る途中の電車の中だった。家に着くなり自分の部屋にこもって、そのアイデアを具体的な形にするための検討を始めた。
 それからの数日、夜おそくまで知恵をしぼってアイデアをまとめた。単なるアイデアのままに終わらせたくはなかったので、それを開発案として提案することにした。
 そこまでのすべてを自宅で進めていたし、小宮さんにはそのことを話してもいなかったので、いきなり提案書を見せて小宮さんを驚かすことになった。その提案書を検討するには時間がかかりそうだからと、小宮さんはそれを自宅に持ち帰ることにした。
 翌日になって小宮さんが返してくれた提案書には、数ヶ所にエンピツで意見が記入してあった。最後のページには、〈良く考えられたアイデアであり、検討してみる価値はあるが、振動板の重さが気になるところだ〉というコメントが記入してあった。
 僕はそのアイデアに自信があったので、すぐにも課長に提案したかった。小宮さんは野田課長の反応を気にしていたが、提案することには反対しなかった。僕は勇んで野田課長の席へ向かった。
 僕の説明を聞きながら提案書を見ていた野田課長は、僕が途中まで話したところで口をひらいた。
「君はまだわかっていないようだな、会社で仕事をするということの意味が」
 なぜ咎められるのか分からないまま、僕は野田課長を見つめた。野田課長の威圧的な眼に、会議の席で部下を責めるときと同じような冷たさを感じた。
「いいか、松井くん」と野田課長は続けた。
 野田課長は教えさとすような口調で話した。小宮さんと僕が取り組んでいる仕事は、充分に検討された開発案にもとづいたものである。新入社員が思いついたアイデアを検討している暇はない。社員は与えられた仕事に全力をつくすべきであり、それ以外のことにエネルギーを費やすならば、場合によっては職務怠慢になる。
 野田課長の言葉を聞いて僕は混乱し、そして強い怒りをおぼえた。僕は落胆と憤りを胸にしながら自分の席にもどった。小宮さんは僕を見るなり立ちあがり、実験室で話し合おうと僕をうながした。
 実験室に入るなり、僕は野田課長に対する怒りをぶちまけた。提案書をまとめるために仕事をさぼったことはない。与えられた仕事に全力をつくしたうえで、さらに努力して提案書を作りあげたのだ。野田課長はそのような僕の熱意を認めようとしないばかりか、課長の方針に忠実ではない部下だときめつけた。野田課長には僕の提案書を検討してみようという気持ちがなさそうだ。そのような提案書を提出したこと自体が、野田課長には不快なことらしい。それどころか、野田課長は職務怠慢という言葉すら口にした。野田課長のあの発言をを許すことはできない。あのような人の下では仕事をしたくない。
 小宮さんは奨めてくれた。吉野係長を訪ねて僕の提案書を見てもらい、意見を聞いたらどうか、と。
 その翌日、小宮さんは吉野係長に電話をかけて、僕が相談に乗ってもらえるように依頼してくれた。その夕方、僕は吉野係長の職場がある建物に向かった。
 笑顔で迎えてくれた吉野さんは、小宮さんから聞かされていたように、気さくで親切そうな人だった。僕がお礼の言葉を口にすると、吉野さんはそれをさえぎるように、「わかってる、小宮くんから話は聞いている」と言った。
 吉野さんは空いていた隣りの席の椅子をひきよせ、そこに腰かけるようすすめてくれた。僕は提案書をさしだしてから椅子に腰をおろした。
 吉野さんは提案書に眼をおとし、そのまま黙って読みはじめた。僕は高い評価を期待しながら、吉野さんが読み終えるのを待った。
 読み終えた吉野さんは、提案書に眼を向けたままで言った。
「入社してから2ヵ月あまりで、こんな提案書が書けるんだから、たいしたもんだよ、君は。小宮くんが感心するわけだよな」
 僕はわくわくしながらその続きを待った。
 吉野さんは続けた。「だけどな、ちょっと問題があるんだよ、この開発案には」
 吉野さんは僕の開発案にえんぴつでコメントを記入しながら、問題となるところを説明してくれた。
 僕の提案書には製作過程に技術上の問題があるだけでなく、たとえ試作してみたところで、従来製品を超える性能を期待できないものだった。僕は吉野さんの説明を聞き、そのことを充分に理解することができた。
 その開発案が採用されることに大きな期待を抱いていたので、それが無価値なものとわかって僕はショックを受けた。心の中で僕は思った。もしかすると、野田課長も見抜いていたのではなかろうか、僕の開発案に問題があることを。
 吉野さんは僕を慰めるように語りかけてきた。
「ちょっと問題はあるにしてもだ、会社に入ってすぐにこんなアイデアを出せるんだからな、たいしたもんだよ君は。本当に良いアイデアというのは、開発課なんていう組織じゃなくて、個人の中にひらめくものなんだ。いっしょうけんめいに努力していると、神様がアイデアを与えてくださるというわけだよ。がんばるんだな、松井君。僕も応援するから。これからは、君のような技術者が力を発揮すべき時代だからな」
 吉野さんが低く語りかける声には、僕を鼓舞してくれる力があった。誉めてくれるその言葉を、僕は素直に受け取ることができた。吉野さんから受ける印象とその言動が、吉野さんに対する僕の信頼感を確たるものにした。提案書に技術的な問題があるとわかって落胆したが、吉野さんから励まされたことで自信を無くさずにすんだ。
 吉野さんの職場を出たときは、すでに定時を1時間ほど過ぎていた。スピーカー部にもどって事務室に入ると、残業をしていた小宮さんが立ちあがり、僕をうながして実験室に向かった。
 実験室に入るなり小宮さんが言った。「それで、どうだった、あの提案書」
 僕は吉野さんから指摘された問題点を小宮さんに伝えた。
「おかしなやつだな松井は」と小宮さんが言った。「あれほど自信を持っていたアイデアがだめだとわかったのに、案外に元気じゃないか」
「小宮さんのおかげで吉野さんに会えたし、いろいろと教えてもらえたからですよ。すごい人ですね、吉野さんは」
「あんな人がここを出されたなんて信じられるか。よくわからんよな、会社の人事というのは」と小宮さんは言った。