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 長い長い昔話を終えて、日南子ちゃんを見ると、彼女は声を出さずに涙だけ流していた。
「なんで日南子ちゃんが泣くの?」
「すみません……」
 不思議な子だな、と思った。自分はあれだけのことをされても泣かなかったのに、他人の話でこんなに泣くなんて。
 転がっていたティッシュの箱を渡して、前にもこんなことがあったな、と思い出す。あの写真を見て、ボロボロ泣いていたのもこの場所だった。
「私が見た写真、その時のものだったんですね」
 涙を拭きながら、日南子ちゃんが納得したように言った。
「ホントは外に出す気なんて全然なかったんだけど、新堂さんがえらく気に入って、勝手に持ってっちゃって」
 ずっと現像もせずに置いてあって、時間が経ってようやく整理する決心がついた、優衣が写った写真たち。その中に混ざっていたあの写真を、新堂さんが目ざとく拾い上げた。
「あの時は、人目にさらされるのがすごく嫌だったんだけど。日南子ちゃんの心に響いたんなら、出してよかったのかもな」
 同じような気持ちを抱いてあの写真を見てくれた人がいたなんて、全く知らなかったけど。自分の撮ったものが誰かの救いになったのなら、それはすごく幸せなことだと思う。
 なかなか涙が止まらない日南子ちゃんを見て、なんだか少しおかしくなった。
「よくそんなに涙が出てくるね」
「すみません、止めようと頑張ってはいるんですけど」
「無理に止めなくてもいいよ。なんだか俺の分まで泣いてくれてるみたいだ」
 少し首をかしげて日南子ちゃんが俺を見る。
「結局、優衣が死んでから、一回も泣けなかったんだよ。今でも、どんだけ悲しくても、涙は出ない」
 どこか感情を司る部分が、あの時壊れてしまったんじゃないかと思う。あれ以来、苦しかったり、悲しかったりする時があっても、泣くことができなかった。単純に、それほど心が揺さぶられることがなかったからかもしれないけれど。
「今でも、好きですか? 優衣さんのこと」
 静かな声で、日南子ちゃんが聞いた。ずっと問いかけていた自分の心の中を、改めて見つめ返す。
「……わからない」
 わからない。情けないけど、それが俺が出せた答えだった。
「最近まであんまり考えることもなかったんだ。たまにふっと思い出す程度で。でも、今思うと、考えないように蓋をしてただけかもしれない」
 もう引きずってなんかいないと思っていたけど、結局俺は十年前のままなのかもしれない。あの、全て置いて逃げた時のまま、ただ自分の気持ちから目を背けるのに慣れてしまっていただけなのかも。
「正直、今の今まで、自分の気持ちから逃げようとしてた。何も考えたくなくて、優衣のことも日南子ちゃんのことも、放り投げようとしてた」
 ーー日南子ちゃんが、こんなに真っ直ぐぶつかってきてくれるまでは。
 脱げ、といえば、怯むと思った。泣き出して、そのままここから出て行ってくれればいいと思って、わざと追い詰めるように行動した。傷つけたとしても、それでいいと思った。    
 自分が傷つくのが怖かったから。
 彼女が自分の服に手をかけた時も、きっと最後まで脱ぐことなんてできないだろうと思っていた。写真を撮る、と言ったのは、そう言えば手を止めると思ったから。それでも、彼女は最後まで手を止めなかった。それどころか、顔を上げて真っ直ぐに俺を見た。
 写真なんて、本当は撮る気はなかった。それでもシャッターを押してしまったのは、彼女があまりに綺麗で……凛としていて、形に残したいと思ってしまったからだった。
「もう、逃げんのやめにしないとな」
 独り言のように呟く俺の言葉を、日南子ちゃんは黙って聞いていた。
「私に何か、できることはありますか?」
 真剣な言葉に、思わず笑みがこぼれた。この子はきっと、自分のことを後回しにする癖がある。
「悪いけど、君の気持ちに答えられるかどうかはわからない。それでも、ちゃんと考えるから……俺が答えを出せるまで、待っててくれる?」
 こくん、と大きく頷く彼女の目には、もう涙はなかった。