そんなはずない、と思いかけて、心当たりがあることに気付く。二人とも飲み会から帰ってきた後、無防備に抱き合ったことが一度だけあった。俺は仕事で二日完徹した後の打ち上げで、優衣はアルコールに弱いくせに場の雰囲気で飲みすぎたとかで、お互い理性が飛んでいた。だけどまさか、あの一回だけで。
 うまく現実が飲み込めなかった。どうしていいか分からずに止まったままの俺の手を、優衣が自分の腹部に持って行って、そっと押し当てた。
「ここに、いるの。私たちの家族」
 まだなんの膨らみもない、ぺったんこのお腹。
「……困る?」
 呆然として言葉が出ない俺に向かって、怖々と、優衣が尋ねる。
 正直、言葉の意味を理解して初めに浮かんだのは、怖れだった。確固とした基盤もない、自分を養うだけで精一杯の俺に、守るものができるという恐怖。ただのアシスタントの俺と、学生の優衣に、子供なんて育てられるのか。
 それでも、優衣が言った『家族』という言葉に、じわじわと心の中に温かなものが広がっていく。
 小さい頃に失った、血の繋がった家族。無条件に愛おしいと思えるような存在。
 優衣が体を起こして、俺の頬をそっと両手で包み込む。そのまま額と額をくっつけて、穏やかな声で言った。
「私ね、ずっとあなたに家族を作ってあげたかった。一人ぼっちじゃないんだよ、って言ってあげたかったの。だから、子供ができたってわかった時、すごく嬉しかった」
 もちろん、不安な気持ちもあったよ、と優衣の声が少し曇る。
「ガクに言わずに堕ろそうか、とも正直考えた。でもね、やっぱりできないって思ったの。この子を堕ろして何もなかったように今までの生活を続けたって、私は自分を許せないと思うし、後悔し続けると思う。それより、どんなに苦労したって三人で生きていくほうがずっといい。お金がなくても、自由がなくても、ガクとこの子がいれば、私は絶対に笑っていられる」
 額に彼女の熱を感じながら、とても落ち着いた、優しい気持ちに包まれていた。凪いだ海に浮かんでいるような、心地よい安心感。
「結婚しよう」
 その言葉が、するりと口から滑り出てきた。
 不安だらけで、なんの保証もないけれど。優衣となら、きっと乗り越えられる。
 至近距離で見つめる彼女の目が、みるみる潤んでいく。うん、と大きく頷いて、ふにゃっと緊張の解けた様子で笑った。
「もう、ガクは一人じゃないよ」
 ずっと、そばにいてあげる。
 そのままそっと、彼女の唇に口付けた。