服を干し終わった桐原さんが、自分のカップを持って戻ってきて、今度はソファに座ってくれた。やっぱり、立ったまま見下ろされるより安心する。
「寒くない?」
 声が、いつもの穏やかな桐原さんだった。
「大丈夫です」
「落ち着いたら、送ってくから。怖い思いさせてごめん」
「謝らないでください。私が勝手にやったんだから」
 ここで桐原さんに謝られたら、意味がない。私が自分の意志で、思いを伝えるためにやったんだから。
 彼は、ふ、と優しく笑って、ありがとう、と呟いた。
 また少し、沈黙が降りる。でも、さっきの緊張感はなくて、コーヒーみたいな温かい空気が流れた。
 しばらくして、桐原さんが口を開いた。
「少し、昔話に付き合ってもらっていい?」
 どきっとした。
 ずっと知りたいと思っていた、桐原さんの過去。なくした、大事なものの話。
 それを、教えてくれるってこと?
 無意識に息を潜めた私を、桐原さんが困ったように見た。
「そんな大した話じゃないんだけど」
「聞きたいです」
 姿勢を正した私からゆっくり目線を外して、手の中のカップに向ける。
「俺、昔、結婚してたんだ」
 何気なく言うから、一瞬意味を掴みそこねた。
 え、結婚……?
 驚いてポカンとする私をちらっと見て、苦笑する。
「バツイチ、ってことですか?」
 私の質問に、うーん、と首をひねって考える素振りを見せる。
「離婚した、ってわけじゃないからバツイチっていうのかよくわからないんだけど」
 カップをじっと見つめながら言った。そこに、何か答えが書いてあるかのように。
「死んだんだ、奥さん。結婚してすぐに。……お腹の中の子供と一緒に」