その場に流れる空気がぎこちない。日南子ちゃんも言葉少なで、俺も何を話せばいいかわからない。
 とにかく体を温めてもらおうと、熱い飲み物を用意しに奥にある流しに向かう。お湯を沸かしながら、気持ちを落ち着かせようと目を閉じた。そりゃあ、いい話であるわけないとは思っていたけれど、あんなに頼りなげな目で見られてはたまったもんじゃない。不安に揺れる、怯えた目。いつもの真っ直ぐな視線からは程遠い。
 二人分のカップを持って戻ると、彼女はまだ入口に立ったままだった。
「どうしたの? こっちおいでよ」
 彼女は躊躇うように言う。
「でも、カーペットが濡れちゃいます」
「そんなのどうでもいいよ」
 なんでそんなことにまで気を遣うんだ。思わず険のある声になる。
「話があるんだろ? それともそこにずっと立ってる気?」
 怒っているわけじゃない、なのにいつも通りに話せない。怖がらせるだけだとわかっているのに、気持ちがささくれだって落ち着かない。
 日南子ちゃんはゆっくりと靴を脱いで、ソファではなくカーペットの端にちょこんと座った。俺もソファに座る気にはなれなくて、彼女の前にカップを置くと反対側の本棚にもたれて立った。
 俯く彼女の髪から、またぽたり、と水滴が落ちるのを、見つめていた。沈黙が重い。
「話って、なに?」
 先に沈黙が耐え切れなくなったのは俺の方で、できるだけ穏やかな声で聞いた。今度は成功しただろうか。
「君を傷つけたんだったら謝る」
 はっと彼女が顔を上げた。その視線を受け止められずに、今度は俺が俯く。
「俺を、どんな男だと思ってたのかは知らないけど。なんとも思ってない子とでもああいうことできるし、そっちのほうが楽だと思ってる。君に好意を持ってもらえるほど、上等な人間じゃない」
 じっとこちらに注がれる視線を感じる。
「俺のことなんて放っといて、他に目を向けたほうがいいよ」
 早く幻想から抜け出したほうがいい。きっとそのほうがお互いのためだ。俺もこんな不安定な気持ちにならなくてすむ……。
「知ってます」
 けれど彼女は、逃げようとする俺の狡さに真っ向から挑んできた。
「容子さんや理恵さんから聞いてます。誰とも深く関わろうとしない、分からずやで頑固者だって」
「意外とはっきり言うね」
「だって私もそう思うから」
 話の展開が読めなくて戸惑う。顔を上げると彼女の強い瞳と視線がぶつかった。
「勝手に私の気持ちを決めつけないでください。憧れでも恋愛の真似事でもありません。私は桐原さんが好き」
 さっきまでの不安の色が消えて、真っ直ぐな光が宿る。強い視線をぶつけられて、たじろぐ。
「……俺は誰も好きにはならない」
 彼女の強さと正反対の、弱々しい声で呟いた。
「それでも構いません」
 彼女の視線は揺らがない。どうしてそんなに、真っ直ぐ人を見れるのか。
「私のこと、好きにならなくてもいいです。それでも、近くに行きたい」
 こくり、と彼女の華奢な喉が鳴った。
「体の関係だけでも、構いません」