◆

 ドアの向こうからカシャン、と何かが落ちる音がした。反射的に顔を向けると、そこには、真っ青な顔をしてこちらを見ている日南子ちゃんがいた。
 咄嗟に腰を浮かせたけど、彼女はあっという間に顔を背けて走り出していた。声をかけることもできずに、そのままただ後ろ姿を見送る。
 全部、聞かれた……?
「追いかけなくていいんですか?」
 腕を絡みつかせたまま、美咲ちゃんが耳元で愉快そうに囁いた。
「いつから気付いてたの?」
「多分、最初から」
 私がここに来てすぐ彼女の姿が見えたので、と悪びれずに言う彼女の腕を、少し手荒に振りほどいた。
 失くしたピアスを探している、とメールが来たのは、二人で過ごしてから数日後のことだった。嫌な予感がして、カメラバッグの中を探ると、ポケットの中に入っていた。こんなところ、偶然入るわけがない。わざと入れたんだろう。
 昔はこういうことをする子じゃなかった。付き合っている頃は、こちらの負担になりそうなことは言わなかったし、二人でいても楽だった。会わなくなったのだって、俺が先回りして逃げただけだ。お互い割り切って楽しく過ごせればそれでいい、そう俺が思っていることをちゃんとわかってくれていた。
 スタジオにピアスを取りに来た時は、入ってくるのも躊躇うくらい遠慮がちだったのに、なぜかある一瞬を境に雰囲気が変わっていた。日南子ちゃんの存在に気付いたからだったんだろうけど、挑発するような言葉を並べて、強引に迫ってきた。
 それに乗った、俺も悪いんだろうけど。
「何がしたいの?」
 わざとピアスを忍ばせてみたり、日南子ちゃんに見せつけてみたり。昔の美咲ちゃんからは想像できないことばかり。
「だって悔しかったんだもの」
 俺を睨みつける彼女の目に、少し涙が滲んだ。不意のことに驚いて、苛立ちとともにぶつけようとしていた言葉を飲み込む。
「昔の私は少し近づこうとしただけで避けられたのに、あの子はどうしてそれが許されるの? 面倒な女だって思われないように精一杯振舞って、なのに離れていっちゃったのに。ここに来ることだって、私にとっては特別だったのに、あの子は当たり前みたいに近づいてきて……私と何が違うの? 私じゃなんでダメだったの?」
 顔を歪ませた彼女に、何も言葉を返せなかった。まともに顔が見れずに目を伏せると、彼女はそのまま無言で出て行った。
 あんなふうに泣くなんて、知らなかった。勝手に、もっと冷めた子だと思い込んでいた。あんなに気持ちを押し殺していたなんて、気付かなかった。
 結局俺は、誰に対しても傷つけるような関わり方しかできないんだ。身勝手で、臆病な俺には。
 ドアの向こうに、日南子ちゃんが落としていった袋が見える。
 きっともう、ここには来ないだろうな。
 寂しさと安堵が入り混じった複雑な気持ちだった。あの笑顔を見れなくなるのは寂しいけれど、今の俺にはあの真っ直ぐな目に向かい合う気力もない。
 どうせすぐ、距離を置くつもりだったんだ。それが多少早まっただけ。これでいい。
 一人でいるほうが、俺には合ってる……。
 一つ、大きく息を吐いた。モヤモヤした気持ちを全て、吐き出したかった。