理恵が、真剣なあまり睨むように俺を見る。俺も、静かに見返す。
 沈黙が続いた。理恵は何かを言いたそうに口を開きかけ、諦めて閉じ、を繰り返す。俺の方は何も言う気がない。沢木さんは理恵を見守りながら、それでも黙ったままだ。きっとこの場で自分が口を開くべきではない、とでも思ってるんだろう。
 やがて理恵が目を逸らして、お手洗いに行ってくる、と小さく呟いて席を立った。
 沢木さんが息を吐いた。その場の緊張が緩んだ。
「追いかけなくていいんですか」
「今はほっといた方がいいだろ。一人で落ち着きたいだろうし」
 いつの間にかグラスを空にしていた沢木さんが、店員をつかまえて生ビールをもう一杯注文した。お前もいるか、という問いに首を横に振って答える。あんなに飲みたかったビールなのに、もう苦さしか感じなかった。
「あいつなあ、最初は堕ろすって言ったんだ」
 平坦な口調だけれど、いろんな思いが詰まった声で、沢木さんが静かに話す。
「自分に産む資格なんか無いって。堕胎手術をするから同意書にサインして、なんて言うもんだから泡食って止めたんだよ。そしたら今度は、ガクに認めてもらわないと産めない、ってさ」
 俺の意見なんて聞いてどうする。俺に、理恵が子供を産むことを認めたり認めなかったりする権利なんてあるわけない。
「お前が喜べないと、あいつだって喜べないんだろうさ」
「だから祝福するって言ってるじゃないですか」
「そんなシケたツラで言われたって信じられるか」
 さっき俺は、一体どんな顔をしていたんだろう。喜びいっぱいの笑顔じゃなかったことだけは、自分でもわかる。
「本当に、よかったな、って思ってますよ。さっきは驚いただけで」
 冷静になって気持ちが落ち着いた今は、心からおめでとう、と思う。
 理恵のお腹の中に、沢木さんとの新しい命が宿っている。二人に早く幸せになってもらいたい、と思っていた俺にとっても、すごく嬉しいことだ。
「改めて、おめでとうございます」
 置いてあった沢木さんの空のグラスに自分のグラスをカツン、と合わせて、残っていた液体を流し込んだ。苦い上にぬるい。最悪だ。 
 店員を呼んで、今度は日本酒を頼む。少しでも強い酒を飲んで、酔いたかった。
「お前がさ、何を言っても、あいつは心の底から納得はできねえんだよ」
 沢木さんがしんみりした声で言う。