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「日南子ちゃん?」 
 慌てたような桐原さんが、急いでスタジオの扉を開けてくれる。
「うわ、すごい濡れてる。早く中入って」
 バカな私は傘を忘れ、途中から降ってきた雨にやられて濡れ鼠になっていた。床が濡れちゃうのが気になったけど、ぐいぐい中に押し込まれて、急いで靴を脱ぐ。
 彼は一度奥に下がると、すぐにタオルを持ってきてくれた。ありがたく受け取って、拭かせてもらう。うちとは違う柔軟剤の匂いがして、ちょっとドキドキした。とりあえず座って、と言われて、慌てて首を振る。
「いえ、すぐ帰ります。これ、渡しに来ただけなので!」
 勢いよく持っていた袋を差し出すと、彼は驚いたように目を丸くする。
「また何か持ってきてくれたの? この前もチョコレート、置いてってくれたよね?」
「勝手にすみません……」
 やっぱり迷惑だったかな、と謝ると、彼がタオルの上から優しくぽん、と頭に手を置いてくれた。
「謝んなくていいよ、うまかったし。わざわざ持ってきてくれてありがとう」
 そのままわしゃわしゃと髪を拭いてくれた。私は嬉しいけど恥ずかしくて、されるがままになっていた。
 はい、座って、ともう一度促されて、今度はおとなしく従う。
「これ、新しくできた店の袋でしょ? ……あ、うまそう」
 目の前で箱を開けて、嬉しそうに目を細める。それだけで雨に濡れて来た甲斐があったと思う。
 桐原さんはすぐに温かいコーヒーを持ってきてくれた。もちろん、私仕様のミルク多めのお砂糖抜きで。
「お仕事中に、すみません」
「だから謝んなくていいって。日南子ちゃんはすぐに謝るよね」
 桐原さんは苦笑いを浮かべるけど、この前線を引かれたことを考えると、歓迎されてはいないだろう。
「迷惑だったら、ちゃんと言ってください。善処します」
「善処?」
「あんまり来ないように我慢します」
「あんまり?」
「……たまに、も、ダメですか、やっぱり?」
 どんどん弱気になっていく私を見て、彼が吹き出した。なにがおかしいのか、ずっとくすくす笑っている。
「なんで笑うんですか?」
「ごめんごめん。素直だなあ、と思って」
 桐原さんが何かを考える素振りを見せて、おもむろにカバンをごそごそ探ると、名刺とペンを引っ張り出した。
「じゃあ、次からは連絡してから来るように。今日みたいに雨に降られて風邪でもひかれたら困る」
 はい、と差し出された名刺には、手書きで携帯の番号とアドレスが書いてあった。
「ありがとうございます!」
 つい声が浮かれてしまった。折れないようにそっと握りしめて、何度も見返す。そんな私の様子をまたおかしそうに彼が見ていて、恥ずかしくなった私は視線を巡らせる。
「今日はお仕事、ここでしてたんですね。アクセサリーの撮影ですか?」
 スタジオ部分では白いスクリーンを背景まで敷いた机の上に、木のトレーとピアスが置かれていて、照明が当てられている。
「この前持ってたのと違うカメラなんですね。前のより小さい?」 
 彼の傍らに置かれたカメラに目を向ける。何台も持っているのか、これは以前見たものとは違うようだった。じっと見ている私に、彼が無造作にそれを差し出す。