ああ、優衣はいないんだ、と何故だか唐突に納得した。十年前に、もうとっくの昔に、優衣も子供もいなくなったのだと。今まで何度も理解したと思い込んでいたことを、今になってちゃんと納得できた気がする。
 優衣の笑顔が、声が、ぬくもりが、蘇る。一緒に過ごした時間が、些細な出来事が、その時の愛おしい感情とともに溢れ出すのに、同時にそれが、もう二度と触れられないものだと実感する。

 そして、俺は初めて、悲しい、と思った。
 ……十年経ってやっと。
 
 これが、悼む、ということだろうか。

 いつの間にか、涙がこぼれ落ちていた。ずっと忘れていた温かさが、次々と頬を伝っていく。
 何かを失ったぽっかりとした空白感なら、ずっと味わってきた。でもそれはどちらかというと、肉体的な痛みに似た感情で、今感じている、優衣を想って、二人で過ごした時間を惜しみ、悲しむと思う気持ちじゃなかった。
 悼む、という行為自体を、自分自身で禁じていたような気がする。嘆いて、悲しむことなんて、自分には許されない、許してはいけないと、無意識に。
 それが今やっと、許されたい、と思った。自分で自分を、許したい、と思えた。
 勝手に流れ続ける涙の粒は、自分の意思とは無関係に、どうしても止まってくれなかった。どうしようもなくて、ただひたすらに手の甲で拭い続ける。
 いつの間にか、三人が俺を見ていた。驚きも哀れみもなく、ただ優しさだけを浮かべて。
 理恵が慈愛に満ちた表情で言った。
「ねえ、今、一番誰に会いたい?」
 理恵の言葉に、咄嗟に浮かんだのはあの真っ直ぐな目で。
 彼女の想いに、まだちゃんと向き合っていない。自分の想いを、まだちゃんと伝えていない。
 悲しむことができて、初めて前に進めるのだと、ようやくわかった。
 今なら、彼女の真っ直ぐな目を、見返すことができる気がする。
 日南子ちゃんに、会いたい。
「行ってくる」
 三人に見守られながら、踵を返して勢いよく走り出す。部屋を出るとちょうど戻ってきたおじさんにぶつかりそうになった。たたらを踏んでぎりぎりで止まると、驚いたおじさんが言った。
「帰るのか」
「はい」
「今度家に遊びに来なさい。優衣が待ってる」
 優衣が死んでから一度も、手を合わせに行っていないことに後ろめたい思いがあった。それでも今までどうしても足を運ぶことができなかった。
 でもきっと、これからは大丈夫。
「……はい」
 深々と一礼してまた走り出す。おじさんが、笑って見送ってくれている気がした。