それからしばらく優衣の思い出を話しながら写真を撮って、そろそろ帰ろう、と車に戻った時だった。扉を開けようとした理恵が、いきなり止まる。
「どうした?」
 何気なく聞いた俺に理恵が言った。
「破水した? かも」
 一拍置いて言葉の意味を理解した。
「はあああ?」
「とりあえず後ろで寝ていい? あ、タオルか何かある?」
 至って冷静な理恵の言葉に、慌てて後部座席を空ける。ちょうどよく転がっていたタオルケットを見つけて手渡した。
 ありがと、と受け取った理恵がそれを腰に巻いて、一人でさっさと後部座席に寝転ぶ。
「え、どうすればいいわけ?」
「一応病院向かってくれる?」
 どう動けばいいかなんてわかるはずもなく、とにかく理恵に言われるがまま告げられた病院へ向かった。
「こういうのって痛かったりするんじゃないのか?」
 運転しながら後ろの理恵の様子を窺う。出産前ってものすごく痛がってるイメージがあるけれど、理恵は見た感じ普通に寝ているだけだ。
「陣痛の前に破水しちゃうこともあるらしいんだけど。なんか痛くなってきたような気もする……」
「おい、大丈夫なんだよな?」
「うーん、多分?」
 にわかに焦りだす俺とは対照的に、理恵の声はのんびりしていた。
「なんでお前そんな冷静なんだよ?」
「だって焦ったって仕方ないじゃない。そっちこそもっと落ち着きなさいよ」
 妊婦っていうのはこういうものなのか、それとも理恵が異常に冷静なのかよくわからないけど、俺にはこの状況で落ち着いていられるような胆力はない。
「なあ、沢木さんとか、ご両親に連絡しなくていいのか?」
「うーん、そうよねえ」
 呑気にそう言って、理恵がカバンから携帯を取り出してかけ始めた。少しの沈黙があって、理恵が話しだす。
「あ、お母さん? ……うん、なんか、破水したような気がするのよね。……うん。……うん。大丈夫。とりあえず病院行くから。……うん、わかったわよ、じゃあね」
 なにを言ってるかまではわからなかったけど、電話の向こうの声は慌てているようだった。それと対照的に、理恵はあっさりと電話を切ってしまう。それでいいのか?
 当然次に沢木さんに電話するのかと思ったら、理恵はそのまま動こうとしない。
「おい、沢木さんは?」
 俺の催促に、理恵がまたうーん、と唸る。
「ねえ、ガク」
「なに?」
「これって本当に破水なのかしら?」
「俺に聞くなよ」
「だって違ってたら、呼び出したりして申し訳ないじゃない。遼一さん仕事中なのに」
「お前バカか? すぐに産まれたらどうするんだよ?」
「バカじゃないわよ、そんなすぐに産まれないわ」
 もうこいつの落ち着き加減に俺がついて行けなかった。焦って事故にあったりしたら最悪だ、と話すのをやめて運転に集中する。
 もうすぐ病院、という時に、また後ろの理恵が話しかけてきた。
「ねえ、ガク?」
「なんだよ?」
「すっごい痛い気がするんだけど……」
「もうちょっとで病院だから我慢してくれ!」