「なにそれ、ひっどい顔」
 俺の顔を見た理恵の第一声がそれだった。
 沢木さんからまた急に電話があって、理恵の気晴らしに付き合えと呼び出される。告げられたのは最近できたばかりのビストロで、店に着くと理恵が一人で待っていた。
「もともとこんな顔だけど」
 理恵の前に座りながら、しかめ面を返す。
「お前こそこんな時期に出歩いていいわけ?」
「少なくとも去年最後に会ったときはそんな顔じゃなかったわ」
 俺の質問は全く無視して、理恵が硬い声で言った。
「ちゃんと寝てる? ご飯も、食べてないんじゃないの?」
「食べてはいるよ」
 仕事中に倒れるわけには行かないから、食事だけは無理して取るようにしていた。普段の半分くらいに量が減っただけで。
 例年のクセで、二月と三月は仕事も受けられるだけ受けてあって、それが有難かった。仕事中だけは、他のことを考えずにいられる。仕事用の顔を貼り付けて、耳触りのいい言葉だけを並べて。目の前の被写体に集中して、自分の心の中なんて目を向けずに済むのだから。
 仕事以外の空いた時間は、狂ったように写真を撮り続けていた。一人で家にいたら途端に一歩も動けなくなりそうで、とにかく外に出掛けていた。
 優衣が死んだのもちょうど今頃で、どうしてこの季節にばかり大事なものを失うんだろう、と思ってすぐ、間違いに気付いた。今回は失ったんじゃなくて、自分から手放しただけだ。
「お前がそんな顔することないだろ。腹の中の子供が泣くぞ」
 予定日まであと二週間ちょっと、理恵のお腹はぽっこりと膨らんで、その姿は否が応にも優衣の姿を思い起こさせる。どうかこの子は無事に産まれてきますように、と、理恵を見るたびにひっそりと願わずにいられなかった。
「何があったの?」
 沢木さんは理恵の気晴らし、なんて適当なことを言っていたけど、また二人が余計な気を回しているのが見え見えだ。
「別に何も」
 そう、別に何もない。ただ一年前に戻っただけ。
 日南子ちゃんとの間にあったあれこれを、話すつもりなんて全くない。理恵だって俺が何も話したがらないことくらい、嫌というほどわかっているはずだ。
 理恵がため息を漏らす。そのままお互い口を閉ざして、気まずい沈黙が流れる。その空気を破るように沢木さんの声が響いた。