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 目の前でキスシーンを見せ付けられるとは、思ってもいなかった。
 あの瞬間の驚いた顔と、そのあとの様子を見ると、彼女の方は何も知らされていなかったようだけど。唇が離れた一瞬、確実に俺を見た松田君の目が、饒舌に彼の意思を語っていた。
 あなたには渡さない。この子は自分のものだ、と。
 初めて会った時に、宣戦布告、と告げられた時よりも、もっと強い視線だった。あんなに強く誰かを求める気持ちを、俺は持っていない。昔はあったのかもしれないけれど、優衣を失った時に一緒に置いてきた。
 閉会式の終わりを告げるアナウンスと同時に、まだ舞台上から人が捌け終わってもいないうちに、カメラバッグを担いで出口へ向かう。後はあの若い担当職員を捕まえて、パスを返却して終わり。ここからできる限り早く立ち去りたい。
 適当に学生を捕まえてあの職員を連れてきてもらい、向こうも忙しそうなのをいいことに、最低限の確認だけ済ませて別れる。確かすぐに駐車場に抜けることができる道があったはずだ、と思い出し、正面に回らずに奥に向かって進む。……それが裏目に出た。
 人気のない通路に誰かの話し声が聞こえて、ちらりとそちらに視線をやった。それだけなのに、目があってしまった。
「待ってください!」
 着替えもせずに、なんでこんなところにいるのか。もしかして、俺を探しにきたのだろうか。
 駆け寄ってくる彼女は、今まで見たことのないような険しい表情を浮かべていた。
「よかった、まだいてくれて」
 走ってきたせいか感情が昂ぶっているせいか、軽く息を乱していた。
「あれ、潤平くんがふざけただけなんです。私たち、全然なにもないので……」
「ふざけたわけじゃないよ」
 後ろから追いついた松田君が、日南子ちゃんの手をぐいっと引っ張った。自分の方に引き寄せようとするのを、日南子ちゃんが必死で振りほどく。
「潤平くんは黙ってて。関係ないでしょ」
「関係なくないだろ。俺の気持ちだって誤解されたくないし」
 言い争う二人を、あまり見ていたくなかった。