「わかりました。空けときます」
『おう、頼んだ。……話変わるけど、お前、ちゃんと休んでるんだろうな? 仕事頼んだ俺が言える義理じゃねえけど』
 少しだけ、口調が真剣なものに変わった。多分こっちがメインの用事だったんだろう。
 ぼんやりと開いたままの手帳を見やる。三月に入って、季節はようやく冬を終えようとしていた。毎年、この季節になると沢木さんから食事や気晴らしの誘いが多くなる。俺が無理やり仕事を詰めようとするからだ。
『理恵が心配してたんだけど……その、なんだ、おもしろい子を撮ったんだって?』
 理恵と沢木さんは恋人同士だ。そして二人しておせっかいだから、いちいち俺の世話を焼こうとする。二人とも昔の俺を知っていて、だから心配してくれるのはとてもありがたいけれど、他人の心配ばかりしていないで自分たちのことをもっと考えればいいのに、と思う。
 おもしろい子、とはあの子のことだろう。
 道端日南子。
 後でもらった資料を眺めていた時に、名前を見つけた。漢字は知らなかったけれど、ひだまりみたいな子だったから、ぴったりだな、と思った。
「大丈夫ですよ、ちょっと似てる子だったってだけで、特にそれから関わることもないし。きちんと休みもとってます。そもそもあれから何年経ったと思ってるんですか」
『そうなんだけど。季節も季節だし、そのモデルの子の年齢も引っかかって』
 年齢。今十九歳で、今度二十になるんだったか。
 あの頃の俺たちと、同じ年齢。
『まあ、理恵も別にそこまで気にしてないんだろうけどさ。お前も仕事置いといて、今度三人でぱーっと飲みにでも行こうや』
「沢木さんのおごりですよね」
『理恵の分は出すけどお前の分は出さん』 
 むしろお前がおごれ、という沢木さんに笑いながら、電話を切った。
 どうせ理恵が過剰に心配して、沢木さんに話したんだろう。高校からの付き合いの理恵は、昔の出来事に対してたまに俺に見せる負い目みたいなものがあって、それが彼女をまだ縛り付けているような気がする。沢木さんともとっとと結婚すればいいのに、いまだに踏み切れなくて、沢木さんも事情を知っているから急かしたりしない。俺から見れば昔のことに囚われているのは理恵の方だ、と思うけど、きっと落ち込むから本人に言ったことはない。
 俺のことなんか放っておけばいいんだ。今は自分のやりたい仕事をやらせてもらっていて、少し忙しいという贅沢な悩みくらいしかないし、そこそこ自由に楽しく暮らせている。別に他に望むことなんてない。
 たまに、本当にごくたまに、彼女の面影を小さなことで感じて胸が痛むことはあるけれど。ただ、それだけだ。