芝生の上に持ってきたレジャーシートを広げて、お弁当を並べる。オーソドックスな内容だけど、一つ一つに手間はかけたつもりだ。
「食べていい?」
「どうぞどうぞ」
「じゃ、遠慮なく」
唐揚げを一口で放り込んで、うまい、と笑う。
「今更ですけど、なにか嫌いなものありますか?」
「食材としてはあまり好き嫌いないんだけど、強いて言えば、辛すぎるとか苦すぎるとか、極端なものは苦手。薬味とか香辛料とかもあんまり好きじゃない」
そうだよなあ。コーヒーにあんなに砂糖入れるんだし。
「じゃあ、好きなものは?」
「カレーとかハンバーグとか?」
食べる手は止めずに次々平らげながら言う。なんか意外なような、意外じゃないような。
「カレーは甘口?」
「うん」
ぷっ、と吹き出してしまった。
「なんか子供みたいですね」
「よく言われる。俺と飯に行くと安上がりですむ、って」
笑う私に気を悪くすることもなく、のんびり頷く。
「じゃあ、日南子ちゃんは何が好き?」
「好き、っていうか、よく作るのは和食かな。昔から、気がついたらお醤油とお砂糖で味付けしちゃうんです」
おにぎりをかじりながら言うと、桐原さんが手を止めた。
「もしかして、昔から自分で作ってたの?」
「はい。お母さんが死んでからは、料理は私が」
初めはお父さんが頑張ってくれてたけど、壊滅的にセンスがなかった。結局、料理と洗濯は私が担当、掃除とごみ捨てはお父さんが担当、っていう形に落ち着いたのだ。
「だからうまいんだ」
柔らかい笑みを浮かべて、いい子いい子、とでもいうように、軽く頭をポンポン、と叩いた。
……だからその不意打ち、やめてほしい。
顔を赤くして俯く私を、今度は桐原さんが笑った。
結構量はあったと思うのにあっと言う間になくなってしまって、お弁当箱を片付けながら持参したお茶を入れる。朝水筒に入れたときはアツアツだったけど、いい感じに冷めていた。お日様が当たってポカポカしているけど、風があるので暑くないし、お腹が満たされたこともあって、なんだかとってもいい気持ち。
子供がきゃあきゃあ言いながら、シャボン玉を吹いていた。コスモスのピンクにシャボン玉が映えて、とってもきれい。
「子供、好きなんですか?」
「ん?」
「さっき、あやすの手馴れてたから」
んー、とのんびりした声で、昔はそうでもなかったかな、と意外な答えを口にする。
「俺、母親の妹に引き取られたんだけど、俺が小四の時にそこの子供は五歳と三歳で、必然的に子守とかさせられてさ。そんだけちっちゃかったらわがまま言うの当たり前なんだけど、それでも屈託なく好きなこと言ってるのが、当時はすごくイライラして。多分、羨ましかっただけなんだろうけど」
小四なら、まだ十歳。まだまだお母さんに甘えたかっただろう。
「だから子供、って苦手だったんだけど。そうだな、優衣が妊娠してるって聞いた時、無条件で嬉しかった」
そこで一旦言葉を切って、私に尋ねる。
「こういう話、聞くのイヤじゃない?」
気遣うような目線に、私は首を横に振る。
「聞きたいです。なんでも」
そっか、と頷いて、また話し始める。
「優衣が死んだあとから、小さい子にやたら目がいくようになって。可愛いな、って思うんだよね、やっぱり。むこうの子供とか、金髪で青い目で、本物の天使みたいな子、いっぱいいたよ」
一口お茶を飲んで、目線を落とす。
「無事に産まれてたらどんなのだったかな、って考えるときもあったし」
「……今でも?」
「今はさすがに考えない。もし産まれてたら今頃十歳だよ? でかすぎて想像できないし」
もし優衣さんが死ななかったら、桐原さんは今頃どんな人生を送っていたんだろう。子供と三人、もしかしたらもっと賑やかに、幸せに暮らしていたんだろうか。
確実なのは、私には出会っていなかった、っていうこと。
ふわあ、と桐原さんが大きなあくびをした。私でさえぽかぽか陽気に眠気を誘われるのに、運転してきた桐原さんはさぞかし疲れているだろう。
「眠いです?」
「うん、ちょっと。昨日ギリギリまで仕事しちゃって。……ごめん、ちょっと寝てもいい?」
そう言うなり、そのままごろん、と寝転んだ。
芝生の上だけど、シート越しに感じる地面は結構硬かった。枕がわりになりそうなものを探すけど、私が着ているカーディガンくらいしかなくて、これじゃああまりに薄すぎる。
ふと目をやると、ベンチに座って子供に膝枕をしてあげているお母さんの姿が目に入った。
……彼女でもないのに、ひかれるかな、さすがに。
「頭、痛くないですか?」
「ん、そういえばちょっとだけ」
「じゃあ、あの。嫌じゃなければ、どうぞ」
「え?」
いそいそと正座をする私を不思議そうに見て、体を起こす。私の視線を辿って、ああ、と呟いた。
「でもそれじゃ、日南子ちゃんの足が痛くない?」
……確かに。
ちょっと考えて、今度は足を伸ばして座りなおす。
「本気?」
「はい」
ぽんぽん、と足を叩いてみせる。
「使ってください。私の膝で申し訳ないですけど」
お母さん変わりにはならないけど、甘えて欲しいと思った。なんだか今の私は強気だ。
「……じゃあ」
桐原さんは控えめに私の足に頭を乗せて寝転ぶと、目を閉じた。
強引だったかな? まあいっか。
相手が目を閉じているのをいいことに、滅多にないチャンスだ、と寝顔を眺め倒す。少し癖のある柔らかい黒髪が、流れて額にかかっている。まつげが長くて、目元に濃い影を落とす。派手ではないけれど、整った顔立ち。
「……あんまり見られると、寝にくいんだけど」
「っ、すみませんっ」
バレていた。慌てて顔を上げて、遠くを見やる。
風が吹いて、シャボン玉が舞い上がる。意外と頑丈な泡の玉は、そこかしこに飛ばされて、地面に落ちるとぱちん、と弾けた。風が強まり、コスモスの花が揺れて、波打つ。
膝には確かな重みとぬくもり。なんだか夢の中みたい。
いきなり頬に指が触れた。下を向くと、手を伸ばした桐原さんが、いつの間にか目を開けて私を見ていた。ゆっくりと頬を辿って、親指が唇にかかる。
目があったまま、今度はうなじに添えられた手が誘うように私の頭を引き寄せる。そのままゆっくり顔が近づいてきて……。
ブブブ、と置いてあった携帯が震えた。
「……電話です」
「……うん」
桐原さんはふいっと目線を逸らすと、起き上がって携帯を手にとった。
――っっっっ!
心臓が鳴り止まない。両手で頬を抑えると、耳まで熱い。
一人悶絶する私の耳に、困惑したような声が届いてくる。
「これからですか? ……いえ、不可能ではないですけど………」
腕時計に目を落として、眉をひそめていた。仕事だろうか。
「はい、はい……ええ。……はあ。……ちょっと待ってもらっていいですか」
携帯に手を当てて、申し訳なさそうにこちらを向いた。
「ごめん、急に仕事頼まれて、すぐに帰らなきゃいけなくなった。嫌だったら、断るけど」
「いえ、全然大丈夫です! 行ってください、すぐ!」
「……ありがと」
パニックになっている私をよそに、なにもなかったように電話を終えた桐原さんは、もう一度申し訳なさそうに謝った。
「三時にはあっちに着かないといけなくなった。すぐにここ出ないとダメかも」
「はい、じゃあ、行きましょう、うん」
ばたばたと片付けて、カバンにしまう。そのあたりでやっと心臓も落ち着いてくれた。
「慌ただしくなっちゃったね」
「でも、十分のんびりできましたよ。自然を満喫、って感じ」
少し名残惜しくてもう一度コスモスの方を振り向くと、桐原さんが私の手を握った。
「また来よう」
「はい」
私も気持ちを伝えるように、繋いだ手にぎゅっと力を込めた。
◆
「新規オープンのジュエリーショップの広告写真、ですか」
依頼の概容が書いてある書面を受け取って、ざっと目を通す。
「そ。オーナーが私の友人なんだけど、写真見せたら、ぜひあなたに、って」
いきなり連絡が来て、瀬田さんに直々に呼び出された。何事かと若干構えて出向いたのだけど、嬉しいことに仕事の依頼だった。
「本当はクリスマス前にオープンしたかったみたいなんだけどね。準備でバタついて、結局オープン予定は来年の四月。メインにフルオーダーのブライダルリングを扱う店よ。その他にもジュエリー全般扱うみたいだけど、全部職人の手作り」
なんでもかんでもこだわりたがるのよねえ、と呆れ気味に言う。
「コンセプトは店名の『イノセント』。打ち合わせはもちろんするけど、基本的にあなたに任せるって。どう、やる?」
「もちろん。ありがたくやらせていただきます」
俺の写真を見た上で自由にやらせてくれるなんて、こんなにやりがいのある仕事はない。
「ただし、一個条件付き。道端さんを使ってね」
「……は?」
なんでここで日南子ちゃんの名前が出てくるんだ。広告用の写真なら、事務所に所属しているようなプロのモデルを使えばいいだろう。
「あの子、素人ですよ?」
「だからいいんじゃない。イノセント、って感じするじゃない」
純真。無垢。まあ、言いたいことはわかるけど。
「私が嶋中くんに……あ、オーナーの名前ね、彼に見せたの、全部あなたが道端さんを撮った写真なんだもの」
「なんで?」
「店名が決まって、誰かぴったりなのいないか、って相談されてた時に、ちょうどあなたが撮った写真を見たのよね。あのサロン特集の写真。で、次の写真も見てみたら、あまりにイメージ通りだったから、試しに彼にも見せてみたのよ。ほら、お出かけプランの時の写真、いくつかデータもらったでしょ?」
そういえばそんなこともあった。誰に見せるつもりなのかあの時は訝しく思っていたのに、今まですっかり忘れ去っていた。
「で、極めつけはこれね」
持っていたタブレットに画像を表示させて、俺に寄こす。そこに映っていたのは、暗闇の中、無数のキャンドルに照らされて微笑む彼女の姿だった。柴田の店のホームページ、いつの間にできてたんだ。
「こんな写真、いつの間に撮ってたのよ。隠してるなんて水臭い」
「報告する義務があるとは思ってませんでした。なんでこれを俺が撮ったってわかったんです?」
「決まってるじゃない、その店に行って、直接店長に聞いてきたのよ」
柴田め、余計なことペラペラ喋りやがって。
「いいわね、あの店。取材させてくれ、って言ったけど断られちゃったわ。まあ、それは置いといて、このホームページ、見つけてきたの嶋中くんなのよ。この写真を撮ったのが前と同じカメラマンなら、ぜひ依頼したいって」
「あの子が断る可能性もありますよ?」
「だから先にあなたに話したのよ。あの子を口説き落とすのがあなたの仕事の第一歩。先に言っとくけど、あの子に断られたらあなたへの依頼自体考え直すかも、って」
「本当に?」
苦虫を噛み潰したような顔になっているであろう俺とは反対に、瀬田さんがにっこり微笑んだ。
「言ったでしょ? なんでもこだわりたがるクライアントなの」
ジュエリーショップのモデルの話を切り出すと、日南子ちゃんがきょとん、とした顔をした。
「広告用の写真に、私を?」
「そう」
「なんでですか?」
「依頼主が気に入ったんだって。柴田の店のホームページの写真、見たらしいよ」
幸せそうに頬張っていたピザを飲み込んで、少し不安そうに小首をかしげる。
「私でいいのかな?」
「日南子ちゃんじゃないとダメなんだって」
あれだけはっきり日南子ちゃんで、と言われたのだから、相当気に入られたんだろう。
グラスに入っていたペリエを一口飲んで、今度は上目遣いでこちらを見る。
「撮影は、桐原さん?」
「そう」
「じゃあ、やります」
そう言うと思った。自分で、と強く推されれば、断れない性格だろうことは既にわかっている。
瀬田さんから話を聞いた次の日に、ちょうど日南子ちゃんと食事をする約束をしていた。この予定を知っていたのではないかと疑うくらい、ベストなタイミングで話をしてきた瀬田さんが恐ろしい。
シェアしようと頼んだトマトソースのパスタを取り分けながら、彼女がこちらを窺う。
「もしかして、引き受けない方がいいですか?」
「なんで?」
「あんまり嬉しくなさそうな顔をしてるから」
そんなに気持ちが表情には出ないタイプなはずなのに、しっかり見抜かれていた。少し意識して表情を和らげる。
「そんなことないよ。実は日南子ちゃんに断られたら俺への依頼もナシになるところだったから、やってくれるなら助かる」
皿を受け取りながら笑って見せると、彼女が少し驚いた顔をする。
「そんなことあるんですか?」
「普通はないけど、瀬田さん、って、パトリの編集長からの紹介だから。ちょっとクセがあるんだよ、あの人」
俺の言葉に、ああ、と納得する素振りを見せる。彼女も瀬田さんの思いつきに振り回された、いわば被害者なので、思うところがあるのだろう。
「正式な依頼は、多分会社の方からあると思うけど。一応先に承諾の意思は伝えておくから」
そう言うと、もの問いたげに俺を見る。
「桐原さんのご迷惑には、なりませんよね?」
「もちろん。断られる方が困る」
そうは言ったものの、本音を言えば、断られることを少し期待していた。彼女はもう、俺にとってただのモデルではなくて、誰よりも気になる存在に変化している。そんな相手を広告写真として撮ることが、はっきり言えば怖かったのだ。
プライベートなら、誰かの目に触れることを考えずに撮ることができる。読者モデルとしての撮影だって、正直そこまでクオリティは求められない。きちんとした広告写真だと、そうはいかない。他人に見てもらうことが前提で、かつ広告ビジュアルとして人を惹きつけるだけの芸術性なりクオリティを求められる。
自分の感性をフルに働かせようとすれば、必ず撮り手の感情も映り込むもので……自分の彼女への思いが不特定多数の人たちにさらけ出されるのが、少し、怖い。
それでも、是非、と言われた依頼を断りたくなかったし、今の俺が彼女を撮ったらどんなふうに仕上がるのか、少しだけ興味もあった。優衣に重ねてではなく、彼女自身を見ることができるのか。
とりあえず、彼女からの了解も得た以上、できる限りやるしかない。
まだ不安そうにしていた彼女は、手を動かし始めた俺を見て、やっと安心したように話し出す。
「そういえば、日曜日、大丈夫そうですか?」
「うん。今度こそ一日空けとくから安心して」
次は紅葉を見に行こう、と約束していた。前回はいきなり沢木さんに呼び出されて、熱を出したスタッフの代打をやらされたのだ。
「わかりました。でも、お仕事の方優先させてくださいね?」
彼女はあの後も全く不機嫌になったりせず、むしろこちらを気遣ってくれて助かった。お忙しいのにすみません、と逆に恐縮するような態度まで見せて、かわいそうなことをしたなと思う。
だけど、あの時沢木さんから電話が入って、助かった、と思ったのも事実だった。
勝手に体が動いていたけど、彼女の顔が近づいてきた時、一瞬優衣の顔がよぎった。
まだ、彼女に触れてはいけない気がする。中途半端に触れれば、また何かを傷つける。
「おすすめの場所に連れて行ってくれるんですよね?」
「昔撮影に行った時、きれいだったんだ。変わってなければいいけど」
「いろんなところを知ってるって、いいですよね。私、行動範囲狭いから、羨ましい」
楽しみだなあ、と微笑む彼女を、泣かせるようなことはしたくなかった。
久しぶりにパトリの撮影が回ってきた。デートで使えそうな雰囲気の新店の特集で、カップル役のモデルが男女一人ずつ。リサちゃんと、例の松田君だった。
この組み合わせで仕事を組んだ編集者はいったい誰だ、と思ったら、どうやら瀬田さんのようだった。女性側が日南子ちゃんじゃなかっただけまだマシか。正直、とっとと終わらせたい。
仕事の都合で俺だけが現地に直行、モデル二人は担当編集とともにやってきて、落ち合うことになっている。リサちゃんとも、この前電話を叩き切られて以来、話はできていない。
まだ機嫌悪いんだろうな、やっぱり。
憂鬱な気持ちを仕事用の顔で押し隠して店内に入ると、何故か上機嫌のリサちゃんの声が飛び込んできた。
「ガクさーん、久しぶりー。こっちこっち」
「久しぶり……」
予想していたのと正反対の態度で迎えられて、面食らう。
「リサちゃん、酒飲んでる?」
「そんなわけないじゃないですか。いくらリサでもお仕事中は我慢します」
だったらなんでこんなに機嫌がいいのか。女の子はわからない。
同行していた編集スタッフと挨拶を交わし、準備を始める。事前に打ち合わせはしてあったので、今日はひたすら撮るだけだ。
「こんにちは。今日はよろしく」
隣の松田君にも笑顔を貼り付けて声をかけると、意外と素直に、よろしくお願いします、と返してくれた。以前のような挑戦的な雰囲気が今日はない。二人に対峙するために気合を入れてきたのに、なんだか拍子抜けだ。
撮影を始めてみて、改めて彼の度胸の良さに驚いた。もっと大人っぽく、とか、もっとはしゃいで、とか、普段はつけない注文をつけてみたら、戸惑うこともなく表情を合わせてきた。撮影に慣れているリサちゃんに、なんら引けを取っていない。
編集の子が電話をしている間、リサちゃんが席を外した。松田君と二人きりになり、なんとなく黙っているのも気が引けたので、質問してみる。
「随分撮られ慣れてるけど、もしかしてモデル経験ある?」
俯いてスマホをいじっていた松田君は、俺から声をかけられるなんて思っていなかったのか、少し驚いたように顔をあげた。
「ガキの頃、ちょっとだけモデルやってました。母親に無理やり連れて行かれて。って言ってもショッピングセンターのチラシとかでしたけど」
なるほど。きっと小さい頃から綺麗な顔をしてたんだろう。
「友達にからかわれたことがあって、辞めました。それからは全く関わってないんで、経験と言えるかどうか怪しいですけど」
「その割には様になってる。向いてるんだな」
「どうも」
ずいぶん素っ気ない返事だった。そつなくみんなにいい顔するタイプだと思ってたけど、俺に対してはその仮面はかぶらないらしい。まあ、初対面であれだけ挑発しておいて、いまさら愛想を振りまく必要もないだろうけど。
また沈黙が流れて手持ち無沙汰にカメラをいじっていると、今度はあっちから声がかかる。
「あの。この前、失礼な態度とってすみませんでした」
手元に目線を落としながら、しおらしく謝罪の言葉を口にした。
リサちゃんといいこいつといい、今日はどうした?
「別に気にしてないけど。俺に謝るなんて、どういう心境の変化?」
「ヒナが最近やたらと幸せそうなんで」
それとこれと一体なんの関係が?
「愛香に楽しそうに話してるのが嫌でも聞こえてくるんですよ、あなたとどこへ行ったとか、何を食べたとか。挙句お土産とか渡してくるし、さすがの俺もへこみます。友達でいいとは言ったけど、もう少し意識しろよ、って」
はあ、とため息をついて、顔をあげて俺を見る。
「あなただって、俺には関係ない、好きにしろ、みたいな突き放したこと言っときながら、ちゃんとヒナの相手してるじゃないですか」
卑怯です、とはっきり言われて、俺には返す言葉がない。
「別に、無理やり波風立てようってつもりはないんですよ。ヒナがいいならそれで。あなたより俺の方がヒナには合ってる、と思ってましたけど、そうでもないのかな、って最近思うようになったので」
意外といいやつだったんだな、と心の中で彼の評価が上がった。自信満々のいきがったガキだと思ってたのに。
「言っときますけど、ヒナが少しでも心変わりしたら逃しませんから」
そう言う彼の目は挑むようだったけど、以前のような不快感は感じなかった。
「わかってる」
「ならいいです」
少しやり方が強引なだけで、こいつはこいつで、ちゃんと彼女のことを思っているんだろう。
「なになにー、男同士で秘密の話?」
戻ってきたリサちゃんの賑やかな声が、場の空気を和ませる。
「今日のリサちゃんがなんでそんなにご機嫌なのかっていう話」
「えー、別にいつも通りだよ?」
「俺はてっきりまだご立腹だと思ってたよ」
電話のことをほのめかすと、あー、あれね、と呟く。
「あの時はずっるい大人、ってムカムカしたんだけど。ずっるいわけじゃなかったみたいだし」
ちらっとリサちゃんが松田君を見ると、彼はややげんなりとした顔をした。
「俺のことは気にしないでください。ヒナ本人から嫌というほど聞いてます」
わーかわいそー、とあまりかわいそうに思ってるようには聞こえない声に、彼がさらに肩を落とす。
「なんだかんだ言ってちゃんと大事にしてあげてるみたいだし。ヒナちゃんすっごい幸せそうだし。まあ好きにやらせとけばいいかー、って思ってさ」
元来あまり物事にこだわらない性質であろうリサちゃんは、怒りも持続しないのだろう。
「潤平くんには申し訳ないけど、やっぱりヒナちゃんにはガクさんじゃなくっちゃね。ねえねえ、野乃花とかどお? あの子なら即付き合えるんだけど」
「ただ女漁りしたいだけみたいに言わないでください」
「だって愛香ちゃんがあいつは生粋の女好きだ、って言ってたんだもん。さみしいのかな、って思ってさ。ね、じゃあ、紗雪は? でもあの子手ごわいしなあ。あ、いっそほっしーと禁断の世界へ………」
「勘弁してくださいよ」
はしゃぐリサちゃんとうんざりする松田君の微笑ましいやり取りは、その日の撮影中ずっと続いていた。