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待ち合わせをしている駅前の広場に着いたら、背の高い二人がすでにいて。スタイルの良いその二人が誰だか、遠目からでもすぐにわかった。
通りすがる人達も、目立つ彼らをちらちらと見ている。
「おはよう、白坂さん」
私の好きな人――柏木先輩がいち早く私に気づき、笑顔を向けてくれる。
「おはようございます」
私服姿の先輩が貴重すぎて、眩しさに目を細める。
黒のジャケットに白いシャツ。
カーキ色のパンツを合わせていて、落ち着いた色づかいが似合っていた。
千尋先輩は柏木先輩のことを、よく待ち合わせに遅れてくると言っていたけれど。今回は誰よりも早く着いていたので、ひとまず安心する。
「今日はいつもと違うね」
「……そうですか?」
柏木先輩はなぜか、私のことをじっと見つめてくる。
コーディネートが変だったかな。もしかしてメイクが似合ってない?
色々と気になって落ち着かなくなってしまう。
今日は、スカートにも見える淡いピンクのワイドパンツを履き、ドット柄のブラウスの上にクリーム色のニットカーデを羽織ってきた。
「うん、可愛いよ。似合ってる」
「えっ……」
お世辞とはいえ、好きな人に『可愛い』なんて言われて嬉しくないはずがない。
「お前さ、臆面もなく、よくそんなこと素直に言えるよな」
千尋先輩はもはや軽蔑の眼差しで、柏木先輩のことを横目で見ていた。
「白坂のその格好……男と出かけるからって、意識し過ぎだろ」
足元は歩きやすいようにスニーカーを選んだし、私としては頑張らない程度にカジュアルに抑えたつもり。
なのに千尋先輩は気にいらない様子だ。
「白坂さん、聞き流していいよ。千尋は天の邪鬼なだけだから」
フォローしてくれる柏木先輩は、いつもよりもさらに優しさが増している感じがする。
「大丈夫です。千尋先輩の毒舌には慣れてますから」
「……誰が毒舌だって?」
「もっと素直に、可愛いって言えばいいのにね」
「はぁ? 俺はいつも正直だけど?」
小さく笑う柏木先輩と、目つきを鋭くさせた千尋先輩の口論がいつの間にか始まってしまう。
そういえば、未琴が他にも誰かを誘うと言っていたのは、誰のことなのだろう。
苦手な人だったら困るので、少し気がかりだ。
「結衣ー! お待たせ!」
遠くから、手を振る未琴の姿が確認でき、先輩二人の軽口はいつの間にか中断していた。
「未琴、おはよう」
手を振り返しながら、彼女の両隣にいる人に気づき、笑顔のまま固まる。
「あっ。白坂さん」
すらりとスタイルの良い未琴よりも、さらに背の高い女の子――椎名さんが爽やかな笑顔で軽く手を上げる。
そして……、半歩遅れて歩くのは。
無愛想に肩に鞄を引っ掛けた、真鳥だった。
「結衣、真鳥と緋彩も誘っちゃった」
仲良くなりたいと常々思っていた椎名さんは良いとして、なぜ真鳥も?
(真鳥は、呼んじゃ駄目だよ……)
私の不満が顔に出ていたのか、すぐに未琴は説明してくれる。
「真鳥と緋彩も同じクラスになるらしいから、呼んだんだ。二人は小学校の頃からの幼なじみなんだって」
「……そっか。幼なじみ、なんだね」
私は特に問題ないフリをして未琴に言葉を返した。
――真鳥を見ると、なぜか不安に駆られる。弱みを握られているような、そんな気になってくる。
だからあまり、目が合わないように気をつけた。
心を見透かされて、全てを暴かれてしまわないために。
電車が到着し、自由席の車両に乗り込んだ私は、まず自分たちの席順で悩むはめになった。
柏木先輩の近くがいいけれど、そんな図々しいことは皆の前で言い出せるわけがなく。空いている席を探す未琴の後に続いた。
ちょうど奥の辺りに空席が目立ち、私たちはそこを選ぶことにする。
「白坂さん。窓際の席でいい?」
さりげなく柏木先輩から話しかけられ、心臓がドクンと飛び跳ねる。
「はい。……ありがとうございます」
まるで最初からそう決まっていたかのように、柏木先輩は私の隣のシートに座ることになった。
進行方向とは反対に座席を回転させた千尋先輩は、私と向かい合わせで座り、未琴はその隣に落ち着く。
通路を挟んだ右隣は、親しげに会話を続ける椎名さんと真鳥が腰を下ろした。
すぐ隣にいる柏木先輩と肩が触れ合いそうな近距離に、緊張で体が強張る。
(どうしよう、心臓が壊れそう……)
けれど先輩は平然としていて、私は女として見られていないのかもしれないと気づかされた。
たとえば、私のことを妹のように思っているだけとか。
動揺とは無縁の、落ち着いた横顔を見つめていると。
その肩越しに――通路を挟んだ真横の席にいる真鳥と目が合い、パッと視線をそらした。
何だろう……、あまり好意的な目つきではなかった気がする。
真鳥は何事もなかった様子で、窓際に座る椎名さんと仲良く話し始め、私は柏木先輩の陰に隠れるように体を縮めた。
ちょっとだけ苦手なタイプかも。クールな雰囲気で、何を考えているのか読みづらい。
鋭くて冷めた瞳。それが私へ向けられるたび、見張られているようにも感じてしまう。
「白坂さん、家の人は大丈夫だった? 遠出、心配されなかった?」
すぐ近くから柏木先輩に話しかけられて、それだけでいつもの数倍緊張する。
「は、はい。大丈夫でした」
「それなら良かった。遠いから反対されてないかなと思って」
安心したように柔らかな笑顔を見せるので、思わず目をそらしてしまう。
さっきの真鳥とは違った意味で。
「美術部の先輩と行くと言ったら、交通費まで出してくれました」
どんどん熱くなっていく頬は、たぶん赤いはず。周りにばれていないか不安になってくる。
「過保護だな、お前の親は」
呆れ混じりにそう言ってきたのは、もちろん千尋先輩で。
でも、私の顔が火照っていることには気づいていない様子。
「ま、蓮の方がひどいか。こいつ、家の人が全員厳しくて、『俺』禁止令が出されてるんだって」
「――オレ禁止!? じゃあ千尋先輩は、柏木先輩の家には出禁ですねー」
未琴が楽しそうに話に乗っかる。
自分を『俺』と呼ぶことが禁止……。
そういえば柏木先輩の一人称は、知っている限りでは『僕』のはず。
小さい頃は『僕』と呼んでいたとしても、普通はちょっと格好つけて男っぽさを出して。徐々に『俺』へと変わっていくものではないの?
「いや、出禁ではないけど。確かに蓮の家では無意識に猫かぶって行儀よくして、喋り方にも気をつけてるな」
「ぷふっ、優等生を演じてるわけですね」
「お前、馬鹿にしてるのか?」
千尋先輩はキッと目を吊り上げて未琴のことを睨んだ。
未琴と千尋先輩のやり取りに苦笑いしながら、柏木先輩が口を開く。
「小学生のときに。友達の影響で、家でも『俺』と言ったら。家族中から雷を落とされて、テレビを見るのが一週間禁止になったんだ。それからはずっと守ってる」
「……そんなに厳しいんですね、先輩の家」
思えば、柏木先輩は常に育ちの良さがにじみ出ていて、暑いとき以外でネクタイを緩めているところを見たことがなかった。
それも全部、家の人の言いつけを守っているから?
「何だか……窮屈じゃないですか? 家族の言うとおりにばかりしていたら」
つい、言ってはいけないと思いつつも、私の口から本音が零れていた。
「うん……だけどもう慣れてきたし。交換条件を使う知恵もついてきたから大丈夫」
「そう、ですか……」
いつも親の言うとおりにしていて、苦しくなってこないのだろうか。
私なら、いつか我慢の限界になって爆発しそう。
先輩が壊れてしまわないか、なんだか少し心配になってしまった。
「――ところで。なんで千尋のことだけ、下の名前で呼んでるの?」
話題を移した柏木先輩は、不思議そうに私と未琴を見比べていた。
「えっと、それは……」
確かに千尋先輩には『伊達』という苗字がちゃんとある。
柏木先輩が疑問に思うのも無理はない。
「私が『千尋先輩』って呼び始めたから、結衣もそう呼ぶようになっただけですよ。ね、結衣?」
「うん。……特に理由はないんです」
千尋先輩との方が仲が良いからとか、そんな話ではない。
柏木先輩の場合は遠慮してしまって、呼び方を変えるきっかけが掴めないだけ。
「それなら。白坂さんのこと、これからは下の名前で呼んでいい?」
「あっ……、はい」
「僕のことも、蓮でいいよ」
そんなやり取りをしていたら、向かいの千尋先輩と目が合って、フンと鼻を鳴らして笑われた。
肘掛けに頬杖をついている未琴の方を見れば、初々しいとでも言いたげに唇を歪め、どこか大人びた笑みを浮かべている。
思えば、未琴に好きな人がいるという話は聞いたことがない。
たぶん私の勘では、隣を陣取っているところから見て、千尋先輩のことが好きなのだと思う。
もしそうなら、千尋先輩に珍しく彼女がいない隙に、二人の仲が縮まって欲しい。
大人っぽい二人は、軽口を言い合っていても、とてもお似合いに見えたから。
「結衣、これ食べる?」
隣から差し出されたのは、個包装された一粒のチョコレート。
「ありがとうございます……」
さっそく先輩に下の名前で呼ばれるなんて、かなり距離が縮まった気分で。ほんのりと頬が上気してくる。
もしかしたら、わずかでも好意を持ってくれているのかも……、と浮かれてしまう。
「蓮……先輩。良かったらどうぞ」
私もお返しにガムを手渡す。
初めて『蓮先輩』と呼んだから、緊張で変な汗が出てくる。
「ありがとう」
先輩が控えめに受け取ったとき、微かに指がぶつかってドキッとする。
特に気にしていないのか、蓮先輩の方は平然としていたけれど。