ベッドに寄りかかって、コンビニエンスストアでもらって来た無料の就職情報誌を捲る。
就職情報誌、インターネットのサイト、職業安定所などなど。
新卒で一年半勤めた会社が倒産してから毎日のようにチェックし、電話をかけ、履歴書を送っているものの、よい反応はほとんどない。なんとか面接まで辿り着いても、数日後には「お祈り」メールが届く。
(就活の悪夢が甦って来るよなぁ。多くは求めてないのになぁ)
ふうぅっと溜め息を吐き、本間大吾は力なくごろんと転がった。背中がベッドの縁で擦れた。寝乱した毛布の端っこが落ちて来た。
このところ正月にも帰省していなかったから、久しぶりの我が家、我が部屋はなんとなく居心地が悪い。
だが、住んでいたワンルームは寮扱いだったから、会社消失と同時に契約は切れてしまった。
新たに部屋を借りるにも、安定収入のない状態では心もとない。次の職場が決まるまで、実家に身を寄せるのが一番いいと思ってはいる。両親も焦らずに良い職場を探せばいいと言ってくれた。
それでも、やはり、なんとなく落ち着かない。離れていた時間だけ、我が家とも心が離れてしまったのかもしれない。
ふわあぁともう一度溜め息を吐こうとしたら、微かなノックに続けてドアが開いた。
「いい?」
母がちらっと顔を見せた。大吾は毛布を払い除け、素早く身体を起こした。
「どした? 買い物行くなら付き合うよ」
実家に戻ってから、母の買い物の荷物持ちは大吾の役目になっている。
一八五センチに八六キロという野球で鍛えた逞しい体躯だから、日々の食材を持ち運ぶくらいはなんの苦労もいらない。親孝行なんて大袈裟な話でもないと思っている。
「今日は買い物はだいじょうぶよ」
母は幼い子どもみたいにぶるんと頭を振った。
「じゃあ、なに?」
「あのね、大吾」
部屋に入って来て、母は大吾の前にちょこんと座った。小柄だから、まさにちょこんという感じに見えた。
大吾も思わず正座をした。
なんでかしこまっているんだろう。なにか緊急事態だろうか。肩に思わず力が入った。
「毎日毎日、就職のことばかり考えてたら滅入るでしょう? そりゃあ、早く決めちゃいたいって気持ちはわかるんだけど」
「え?」
拍子抜けした。難しい話ではなさそうだ。
「そればっかりになってたら良くないと思うのよ、お母さん」
母はなぜかもじもじとエプロンの裾を弄る。身体通りの小さな手だ。
「あ、そうかもね」
大吾は曖昧に首を傾げた。
就職活動一辺倒になっている自覚はある。そのことで自分を追い詰めてもいる。
いつまでも実家でだらだらしていたくないのだ。
営業職で過労気味だったのだから、少し身体を休めてからと考えるのも間違いではないだろうけれど、大吾はのんびりというのがどうしてもできない。
小学生のときに野球をはじめ、以来、学校も練習も試合も全力投球で突っ走って来た。立ち止まったり、休んだりする癖はついていない。
「里梨くん、覚えてるでしょ? 里梨千幸くん」
唐突に出された名前にぎくっとする。
覚えているもなにも、忘れたことなどない。忘れられっこない。大吾の青春に燦然と輝いている名前だ。
大吾は小学校の一年から野球をはじめ、三年生で千幸がチームに加わるまでエースで四番だった。
遥かに華奢で小柄な千幸が眼に見える努力も汗臭さもないままに悠々と自分を越え、さっとエースナンバーを奪っていったとき、悔しいよりもなによりも「才能の違い」を思い知らされた。こんなにも差があるものなのだと痛感して、張り合うことは諦めた。
女の子のような可愛らしい顔をして、大吾を初対面から「岩石」呼ばわりする性格には、かちんときたけれど。
無駄な足掻きでぼろぼろになるのではなく、偉大なる二番手として千幸の相棒であろうと、大吾はキャッチャーにコンバートした。もともと投手というのはチーム内で身体能力が高い者が着く守備位置だし、体幹も肩も強かったから、すんなり「天職」だと感じられた。
リトルリーグもリトルシニアもバッテリーを組み、数々の名門高校からセットでのスカウトも受けたが、ふたりで徹底的に相談してわざと無名の地元校に進学した。
自分たちがいなくても勝ち上がれる高校よりも、ふたりで引っ張り上げたと実感できる場所がいいと決めたのだ。
両親や教師、監督、コーチたちはもったいないと言ったし、大吾自身もそう思わないではなかったが、千幸に「そんなのつまんねぇ」「俺と岩石が揃っているのにそんな安っぽい展開してどうする」と言われたら、確かにそうだと頷いてしまっていた。
千幸は宣言通り、無名高校を見事甲子園の大舞台に引っ張り上げた。
地元ではお祭り騒ぎとなり、大応援団が組まれ、試合の日には商店街が開店休業状態になった。
二年の春、夏、三年の夏の三度の甲子園出場で、ベスト8が最高位だったけれど、「岩石」とバッテリーを組む王子さまみたいな扱いで千幸は社会現象並みの人気を集めた。
有名大学やプロ野球から声がかかった千幸と比べ、大吾は三流大学から軽い接触があった程度だったものの、実力の差はとっくにわかっていたから羨ましいと思うことも僻みもなかった。
むしろ千幸がどこまで進んでいくのかが楽しみだった。
顔を合わせなくなっても、口に出さすとも、時間が過ぎても、大吾にとっては最高の心の支えだった。
「え、なに? 急に」
「覚えてるわよね?」
母が身を乗り出すようにして重ねて訊いてくる。
「覚えてるよ」
「そうよね、あたりまえよね」
大吾の返事に満足したのか、母は小刻みに数回頷いた。ちょこんと正座しているせいか、その動きが妙に可愛らしい。
母は四十六歳という年齢には見えないくらいに相当若々しい。高校二年くらいまでは試合に応援に来ても年上の彼女なんじゃないかと冷やかされたこともある。
いま母が話題に出した里梨千幸から「岩石」と呼ばれ続けてきた大吾とはまったく似ていないのだから無理もない。
「で、千幸がどうしたの?」
「おうちを継いだのよ。なんかびっくりよね。ほんとびっくりでしょう。千幸くんはあんたと違ってまだまだ野球やると思ったのに」
母はまた小刻みに頷いて、まるで自分に言い聞かせるみたいな口調で続けた。
「おうち継いだって……『こえど湯』?」
「そう、『こえど湯』」
「うえぇええええええ????」
想像もしていなかった展開に、大吾は思いきり素っ頓狂な声を上げた。
本間大吾が生まれ育った川越市は、埼玉県の南西部に位置している。人口は約三十五万人。
江戸時代には幕府の北の守りだった川越藩の城下町として栄えていた。それどころか、江戸時代以前には江戸を上回る都市だったとかで、「江戸の母」と称されてもいたらしい。
いまは「小江戸」と呼ばれ、街には常に観光客がいる。
城跡、神社、寺院、旧跡など歴史的建造物が多く、関東地方では神奈川県鎌倉市、栃木県日光市に次ぐ文化財の数を誇っている。海外の日本旅行ガイドブックに紹介されたこともあったためか、最近では外国人旅行者も増えた。
大吾の家は特に商売などはしていないが、戦後まもなくからほぼ建て替えをしておらず、敷地内には昔ながらの蔵も建っているせいで、観光客たちによくカメラを向けられている。
学生時代には、門を出た瞬間に、カメラを抱えた彼らと眼が合うと妙な気まずさを覚えたものだ。
帰郷以降、面接に出る以外はほぼ引きこもり状態なので、そんな遭遇も減ってしまったが。
里梨千幸の実家である銭湯『こえど湯』は、大正時代に建てられたものの意匠を壊さないように改築しているものだから、我が家以上に観光客たちの被写体になるのだろうな、などと思いながら、大吾は商店街を歩いていた。
『こえど湯』は商店街の古びたアーケードの切れ目にある。
まさに端っこだ。
「おお……変わんねぇなぁ」
感慨の溜め息が漏れる。
子どものころから毎日のように見ていた懐かしい『こえど湯』の前に立ち止まり、大吾は振り仰ぐように唐破風の入口を見上げた。
最頂部の棟から地上に向かい、ふたつの傾斜面が本を伏せたような山形の形状をした切妻に凸型のむくり屋根を載せ、曲線を連ねた破風板がついている。
灰色の瓦がつやつやと光っているのは、新しく拭き替えたからなのか、相当丁寧に磨いたからなのか。
ちょっと煤けたような外壁や色褪せたのれんから察するに、さほど経営が順調には見えないけれど、千幸が跡を継いだことで、彼目当ての客が増えたりしているのだろうか。
(千幸のファンなぁ……)
ふっと高校時代の熱病じみた騒ぎが甦ってきた。
一生徒に注目が集まり、彼を目当てにファンやマスコミが大挙して押しかけるなんてことに慣れていなかった地味な県立高校では、日々パニック状態だった。
大吾もちょっと浮足立ちかけたけれど、当の本人である千幸はいつも冷めた表情で喧騒を眺めていた。台風の目をみたいなもんだなと思った覚えがある。