「正之丞さん、まだ時間ある?」

 真幸はチラシの入った封筒をカウンター下の棚に収めてから、ふわっと訊いた。

「ん? あるよ。今日は寄席の昼席二か所だけだから、夜は空き。なんで?」 

 山芋のおひたしを口に入れて、正之丞は訝しそうな顔をした。眉間に薄く皺が寄る。

「さんまのつくね食べる?」
「ランチ残ったの?」

 正之丞はいたずらっぽく眉を上げた。

「あーー、やな言い方するなぁ。そういう態度だと出してあげないよ」

 真幸はむっとしている振りをした。
 正之丞とはついじゃれ合いをしてしまう。異性であることを意識したことは、少なくとも真幸側からはない。きょうだいか喧嘩友達みたいな関係をずっと続けている。

 真幸には大勢の噺家の知り合いがいるが、たぶん正之丞がいちばん親しい。家族関係もつきあっていた女性のことも知っている。

 そして、ひとつひとつの恋愛があまり長く続かないことも。

 正之丞がいろいろな女性と交際をしている間に、真幸は取引先の会社にいた相手と恋愛をし、シンプルな式を上げて結婚した。

 二歳上の物静かな男性だった。軽口を叩き合うような関係性ではなかったけれど、しっとりと静かに穏やかに時を重ねていけると思っていた。
 だが、ともに暮らしはじめて三年目に突入して間もなく、「好きなひとがいる」と離婚を切り出された。相手が女性であればもっと引き止めたり、もめたりしたかもしれない。

 でも、夫が選んだ相手は同性だった。
 それも、高校時代からひそやかに続いていた。「女性の中ではいちばんきみが好きだけど、それ以上にどうしても彼がいとしい。もう嘘はつけない」と言われれば、もう返す言葉はなかった。
 惚れていたぶんだけ、離婚直後は恨みめいた気持ちもあったものの、真幸といっしょにいるときよりも自然に幸せそうに、よく笑う元夫を見ているうちに、これで良かったのだと思えるようになった。
 元夫は、いまでもあの彼氏とともに生きているらしい。

 真幸は、職場ではずっと旧姓で通していたから、たぶん正之丞は結婚離婚を知らないだろう。