3話

 撮影が本格的に始まったのは、ゴールデンウイークに入ってからであった。幸い今年は十連休という大型連休であった。大事なシーンはその間に撮る事になった。それまでに可能な限り、撮影を進めていった。
 映画のストーリーとしては、再婚を繰り返す母親に振り回される主人公の少女。母の再婚を機に田舎町にやってきた主人公が、クラスメイトの男の子に交流を持つようになり、初めて母親に反発するようになっていく。そして少女はいつしか男の子に淡い恋心を抱いていく物語だ。
 異性にあまり免疫はないわたしは、男の子とのシーンで緊張しすぎて何度も噛んだりしてしまったりしている。男の子役の生徒に「リラックスリラックス」と笑顔で対応してくれた。内心、早く言えてくれよと思われているのではないかと不安であった。そんなわたしに見兼ねた淳一くんは、男子生徒に慣れるために会話する時間を設けてくれた。わたし達は二十分間で、趣味や好きな科目、食べ物の好き嫌いなど、男子生徒がほとんどリードしてくれ会話が進んでいった。正直、ありがたく感じた。特に慣れない異性の人とは何を話せばいいのかわからなくなってしまうのだ。
「浅倉さん、もう大丈夫」
 男子生徒の声にわたしは「はい」と頷いた。
男子生徒は「そっか」と微笑み、持ち場に戻って行った。さっきよりかは落ち着いた。わたしは一呼吸し、彼のあとを追った。淳一くんの「3・2・1」のかけ声で撮影が始まった。現在撮っているシーンは、少女が少年に頑なに心を閉ざしすれ違ってしまう場面だ。
 撮影していく上で知った事だが、ストーリーの序盤から撮っていくわけではない。撮影を開始したときは、少女と少年達と打ち解けて大人達に反発していくところであった。
「『もうわたしと関わらないでもらえますか。仲良くなったってどうせすぐに引っ越す事になるんです』」
 少女が教室から駆け出ようとすると少年が手を掴み言う。
「『それでも俺はお前と友達になりたい。例えすぐに別れになっても、俺はお前と友達でいたい。お前がいろんな事を諦めたままの嫌なんだよ』」
 少年の強い目に少女は目を離さず見続けた。少し間を置き「カット」という声がかかった。
 わたしは安堵のあまり座り込んだ。カットがかかったというのに未だ胸が躍っている。頬に冷たさが走り、わたしは「わっ」と尻餅着いた。男子生徒のクククと笑い、手を差し出しわたしは手を掴み立ち上がった。
「浅倉さん大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
 わたしは彼女から水を受け取り、口にした。勢いよく飲み過ぎて、蒸せてしまった。男子生徒はわたしの背中を摩って「浅倉さんって、面白いね」と再び笑い始めた。一気に恥ずかしさが湧きた出て、顔を伏せた。丁度、髪を下ろしているから助かる。いつもポニーテールにしているから、横からだと丸見えになってしまうが、背中の真ん中まで伸びているおかげで隠せる事ができた。だけど男子生徒はお構いなしに掻き上げた。
「せっかくかわいい顔しているのに、もったいないよ。浅倉さん」
「やめてください。わたしなんて」
「お世辞じゃないよ。本当にかわいいって思ってんだけど」
 男子生徒ははにかんで、わたしの頭を撫でようとすると、一つの手が彼の手首を掴んだ。そこには険しい表情を浮かべている秋人くんが立っていた。そんな彼にわたしの背中がゾクッと震わせた。
「すまないが。こいつを撫でていいのは、俺だけだ」
「なんだよ日野。そんな怒んなって」
 男子生徒は宥めながら、秋人くんの肩を叩いた。今まで見た事のない秋人くんが、わたしは少し恐かった。
「やっぱり日野って、浅倉さんの事が好きなの?」
 男子生徒の言葉に秋人くんは何も言わなかった。それがわたしは悲しかった。彼がわたしに好きと言ってほしいという気持ちがあったから。いや好きであってほしいという望みがあったからだろうか。恥ずかしさのあまり顔を伏せてしまった。思い上がっている自分が情けない。
「日野が何も答えないから。浅倉さん落ち込んじゃったじゃん。どうすんの」
 男子生徒の言葉に苦い表情を浮かべた。追撃するように秋人くんに言葉を放った。
「もしお前に、気がないなら。僕が浅倉さんをもらうけれど。いいかな」
 男子生徒はそう言って、わたしの肩に手を回した。背筋がゾッとした。まるで中学時代、わたしをイジメていたグループのリーダーであった男の子のようであった。わたしを物のように見て、平気で壊す事ができる。そんな気がした。わたしは力強く彼を押した。自分でも自身の体が震えているのがわかった。
「浅倉さん、ごめん。恐がらせるつもりはなかったんだけど」
「すいません。そのわたし…」
 震える声を発するわたしに秋人くんはそっと肩を置いた。
「浅倉は物じゃない。こいつはそういうの恐がる奴だから、やめてくれ」
「だったら浅倉さんのためにはっきりしてやんな。ね」
 男子生徒はわたしに向けて笑顔を見せ、秋人くんを煽った。余裕な装う男子に対して、秋人くんに表情がより険しくなっていった。いつも優しくて暖かい彼が、今はただ恐く感じた。だんだんと泪が溜まって行き、ついには泣きだしてしまった。より空気が悪くなってしまうのがわかっているのに、泪が止まらなかった。
「ちょっと二人ともいい加減にしなさいよ」
 集まりのときに話しかけてくれた女生徒だ。あのときから、幾度か話しかけてくれている。内気なわたしを気遣っているのだろう。彼女は二人から離し、言葉を続けた。
「あんた達ね。この子の気持ちの事を考えなさいよ。こんなに恐がらせて、自分の事しか考えらんないの」
 彼女に言われて、二人は苦い表情を浮かべた。どうして彼らが、わたしの事で険悪の雰囲気になってしまったのか。もし男子生徒が口にしたわたしへ対する好意が関係しているのかもしれない。だけれど、今のわたしには彼らの気持ちにどう向き合えばいいのか。確かにわたしは秋人くんに恋をしている。一人の男性として、秋人くんの事が好き。だけれど、お互いのこの想いにどう向き合えばいいのかわからない。それが余計に恐く感じてしまう。教室中に漂うざわめく空気。それを作ったのはわたし達だ。それだけに辛く苦しかった。

 わたしは、浮かない表情で、神社の鳥居を括った。あのあと雰囲気が治る事がなく、解散となった。秋人くんと男子生徒は淳一くんから叱りを受けていた。わたしと言えば、女生徒に手を引かれ帰路に着く事になったのだ。それだけでも気が重く感じた。
「美菜ちゃん、どうしたの」
 その声には、すぐに反応する事ができなかった。「美菜ちゃん」と手を置かれて、やっと気づいた。絵里さんが心配する表情でわたしの顔を覗き込んだ。
「大丈夫? 暗い顔して、何かあったの」
「いえ、大丈夫です。すいません」
「今の美菜ちゃんの大丈夫は大丈夫じゃない気がする」
 わたしは彼女に連れられ、社務所の奥の部屋へ向かった。
 今は、誰とも話したくはなかった。とにかく一人になりたい。だけれど、それはできなかった。余計に絵里さんへ心配をかけてしまう。それが嫌だった。わたしがこっちへ越してきてから、姉妹のように接してきてくれた。一人っ子のわたしにとっても彼女は本当のお姉ちゃんのような存在になっていた。
 絵里さんに秋人くんと男子生徒で起きた事をすべて話した。その間、彼女は何も言わず静かに話しを訊いてくれる。話し終えると、彼女は大きく溜息を吐いた。とても呆れている様子であった。
「これだから男は駄目なのよね」
 彼女が手を叩くと、障子が開き巫女さん達がニヤニヤとした顔して部屋に入ってきた。すぐには状況を把握する事ができず、硬直してしまった。彼女達はテーブルを用意し、おかしやお茶を広げた。少し冷静さを戻り、話しを全部訊かれていた事に気づいて、困惑と恥ずかしさで頭の中がぐるぐると渦巻いていった。さっきまでの静まっていた部屋が嘘みたいににこやかに雰囲気に変わっていく。
「まさか美菜ちゃんの恋バナを訊けるとは。絵里ちゃん知ってたでしょ」
「だって美菜ちゃん顔に出るから」
「ああ、確かに。でもそういうところ含めてかわいいよね」
「そうよぉ。ご飯食べるときだって、ぱぁって目を輝かせるのよ」
「ほんとにぃ」
「ほんとよ。すっごくかわいいんだから」
 恥ずかしさで、だんだんと体が熱くなっていく。相談しているはずが、なぜか女子会のような空間になっていった。わたしが「あの!」と声を上げると、みんながおっと振り向いた。やはり視線が一気に集まるとビビッてしまう自分がいる。スカートをギュッと握りつつ、彼女達を見た。
「かわいいかわいいって言うのやめてもらえませんか。わたし、そんなにかわいくないですから」
 顔を真っ赤にして訴えてみるが、彼女達は微笑ましそうにうんうんと頷いた。完璧にこの人達は、わたしを子ども扱いしている。確かにこの人達からしたら、わたしはれっきとした子どもなのかもしれないが。こうなっては、何を言っても同じ反応だろう。唸るわたしに彼女達は意地悪に微笑んだ。
「いつもの美菜ちゃんの表情になったわね」
「絵里さん…」
「いい、美菜ちゃん。あなたが暗い顔してたら、皆心配なの。ずっと神社で頑張っている知ってるから。美菜ちゃんは、うちらにとって妹みたいなもんなの。だから、独りで抱え込むのやめてちょうだい。わかった」
 優しくもまっすぐな言葉にわたしは「はい」と頷いた。絵里さんの言葉は、とても好きだ。彼女は人を傷つけるような言葉は決して言わない。彼女の優しさには本当に尊敬している。自分も見習わなければいけない。
 それからと言うものの、皆はわたしの恋愛関連で盛り上がっていった。あまりの羞恥さに全身が熱く感じた。
「そっかー、秋人くんねぇ。いい子よね」
「そう、イジメがいのあるいい少年。美菜ちゃんは男の見る目はいいの」
「イジメがいがあるって、絵里ちゃんったらー」
 皆が笑い合う中、パンパンと手を叩く音がし、一斉に振り向くとそこに芳成さんが優しい笑顔で立っていた。彼が怒った所を一度も見たことがない。
「乙女達、おしゃべりはその辺にして帰路についたらどうだ。もうじき暗くなる」
「何、芳成さん。心配してくれているの」
「絵里くんねぇ。心配するのが普通だから」
「はいはい。じゃあ、ここらでお開きにしましょうか」
 「そうね」と皆は手際よく片付けをし、あっという間に何もなかったかのようになっていった。わたしと言えば、彼女達の手際のよさに付いていけず、自分の座布団を運ぶ事しかできていない。自分のどんくささが憎たらしい。だけど、彼女達はそれを咎める事も無く、暖かく見守ってくれている。
 帰路に着く巫女さん達に小さく手を振り、芳成さんに声をかけた。
「芳成さん」
「なんだ、美菜」
「いつもありがとう」
「なんの事だ」
「なんでもない。早く晩御飯にしよ」
「変な奴だな」
わたしにデコピンをくらわし、家に入っていった。ムッとなるが、すぐに可笑しくなってクスっと笑い家へ入った。

 連休が終わり登校し、教室へ入るとクラスメイトから視線を向けられた。状況がわからず、一歩後退った。徐々にざわめきが沸いてきて、なんだか恐かった。
 ――ああまたか。
 諦めかけたときに、鈴音ちゃんから声を掛けられ、驚いてビクッと肩が上がった。「そんなに驚かないでよ」と溜息吐かれてしまった。
「美菜、あなたも隅に置けないじゃない」
「あの何の事ですか」
「何の事って昨日の事だよ。男子二人があんたを取り合ったって話題になってるんだけど」
 噂が広まる早さに息を呑んだ。久々の感覚であった。それだけに恐く感じてしまう。
「男子の一人が秋人って言うじゃない。あなた達、やっぱり付き合ってたの」
 鈴音ちゃんの問いかけに、すぐに首を横に振った。確かに彼の事が好き。男の子として彼の事が好きだ。だけれど告白する勇気すらない。それ以前に二人の前で泣いてしまっている。到底付き合えるわけがない。
「わたしなんかが、秋人くんと付き合えるわけないじゃないですか」
「美菜、そういうのはいらないんだ。あんた、秋人の事が好きなんでしょ。つまり両想いって事じゃない。それのどこか問題なわけ」
「ごめんなさい。でも…」
 こんな弱々しいわたしには付き合う資格なんてない。それが声にする事ができなかった。本当に自分自身にうんざりしてしまう。彼女の事を見続ける事ができず、目を伏せてしまった。この町に来たときとは、一向に変わっていない事を改めて感じさせられる。
「あんたがこのままでいいって言うのならば、それでいいかもしれないけど。二人の気持ちに答えてあげないのも酷だと思うけど」
 呆れた声でわたしに告げ、自分の席へ戻っていった。このままだと、もう彼女はわたしと声をかけてくれるどころか話してもくれないかもしれない。だけれど、今何を言っても、状況が悪化するだけだ。クラスメイトが目を輝かせているなかをわたしは顔を上げる事ができず、俯いたまま自分の席に向かった。まさかこのような状況になるだなんて予想していなかった。こういうのは映画や漫画だけの事だと思っていたから、戸惑うばかりだ。
 確かに鈴音ちゃんの言う通り、わたし自身がはっきりしなくては二人に対して失礼に値する。わたし自身が、一歩を踏み出さなければいけない。そうしなければ、これからずっと人に怯えて俯いてばかりのわたしのままだ。そんなのは嫌だ。弱虫なだけのわたしはもう嫌だ。わたしはカバンを机に置き、教室を後にした。早く自分の気持ちを彼に伝えたい。徐々に速足となっていった。二年生の教室へ近づくにつれ、早く彼に逢いたくなっていく。
 彼のクラスの扉を開け、わたしは名前を呼んだ。
「秋人くん」
 わたしの声にざわついた。どうやらこのクラスも同様の内容で盛ら上がっていたようだ。「日野くんならまだ来てないよ」
 ドアの近くに座っていた女生徒が教えてくれ、わたしは一礼して、教室から後にした。部室も考えられるが、秋人くんだったらあそこへいくはずだ。心あたりがあった。学校で初めて彼と話した場所。恥ずかしがり屋だから行きそうな場所。そこへ駆け足で向かった。
 息を切らし、屋上の扉の前に着くと鍵が開いているのがわかった。胸を撫で下した。ソッと扉を開け、屋上に出た。
「秋人くん」
 彼の名前を呼ぶ。返事はなかった。ただの閉め忘れかと思いしょんぼりとしてしまう。
 ――本当にまだ来ていないのか。
 教室へ戻ろうとしたときに「どこに行くんだよ」と上から声かけられ思わず「きゃっ」と悲鳴を上げてしまった。
「なんて声出してんだよ」
「だっていないと思っていたんで」
「すまない。考え事してて反応が遅れた」
 秋人くんは降りて来て、わたしの目の前に立った。
「美菜、こないだはすまなかった。お前に気持ちを考えず、ムキになってしまった」
「いえ、謝らなければいけないのは、わたしの方です。わたしがはっきりせずに、泣いてしまって」
 彼の胸に額を当て、自分の想いを告げた。
「秋人くん。わたし、あなたが好きです。友達とかじゃなく、一人の男の子としてあなたが好きです」
「美菜…。俺もお前が好きだ。初めてお前と出会ったときからずっとお前だけしか見れなかった」
 力強くわたしを抱きしめた。今、彼に顔を見せられない。またよく泣くなって言われてしまう。秋人くんは何も言わずに背中を摩ってくれていた。わたしは静かに泪を流した。