ああ、もう、ドルーのやつ何やってるんだよ。言葉が通じるのに、どうしていい子にでき
ないんだ。今までこんなに暴れたことなんてなかったのに、よりによってどうして一番忙し
いときにこんなことするんだよ。今までちょっと甘やかしすぎてたのかな。言葉が通じるか
らって、厳しく叱ったことなかった。もっと厳しくしつけるべきだったのかも。
そんなことが頭をグルグル巡っているうちに、ADが「天澤さん、準備お願いします」と
俺を呼びにきた。ちっとも仮眠が取れなかったことにウンザリしつつ、俺は「はい」と返事
して楽屋を出る。
セットのあるスタジオへ向かう途中で、琥太郎くんとすれ違った。子役の撮影できる時間
はもう終わりだ。帰るところだろう。
「お疲れ様です。今日も申し訳ありませんでした」
そう挨拶してきたのは、琥太郎くんのお母さんだ。子役にはマネージャーだけでなく母親
が現場に付き添っていることも多い。
琥太郎くんが連日NGを連発しているせいで、彼のお母さんは周りに謝りっぱなしだ。
見ているとなんだかいたたまれない。
「お疲れ様です。琥太郎くん、明日もよろしくね」
挨拶を返すと、琥太郎くんは口を引き結んだままコクリと頷いた。その顔は今にも泣きだ
しそうだ。
……芸歴があるとはいえ、連ドラの主役というプレッシャーはまだ小三の子にはキツいの
かもしれないな。今さらながらそんな同情心が湧いてきたけれど、今の俺に彼を慰める気力
はなかった。
深夜三時半。
四谷さんに車で送ってもらって帰宅した俺は、今日もぐったりとしながら玄関の鍵を開け
た。
「ああ……」
ドアを開けて、思わず呻き声が出る。ロミオくんからの写真で見た通り、土間にはドルー
のカミカミで無残に変わり果てたお気に入りのスニーカーが。
廊下もひどい有様だった。床に散っているのは隅に立てかけておいた段ボールの破片だろ
うか、それともゴミ箱でもひっくり返したのか。よくわからない紙屑が散乱していた。
リビングに入って電気をつけるけれど、ドルーが『おかえり』と駆け寄ってくることはな
かった。代わりに、隠れるようにテーブルの下で伏せているドルーの姿を見つけた。
俺は無言のままリュックをソファーに放り投げ、キッチンへ水を飲みに行く。すると背後
から、キュ~ンとか細い鳴き声が近づいてきた。
「……オレ悪くない……。約束守ってくれないカナタが悪い……」
態度はしおらしいのに反省の色がまったく見えないドルーの言葉に、俺はもはや言い争う
気も起きず無視をした。
尻尾を下げたままずっと後をついてくるドルーをいないもののように扱って、シャワーを
浴びさっさと二階の自室へこもる。ドルーは部屋には入ってこようとせず、ドアの前でしば
らくキュ~ンと鳴いていたみたいだけど、やがて階段を降りていく足音が聞こえた。
――もう疲れた。やっぱりひとり暮らしなのに大型犬を飼うなんて無理があったのかな。
今さらそんな反省がよぎる。頭も体もクタクタで早く寝たいのに、気持ちがグチャグチャ
していて眠れない。
……俺もドルーも、これからどうすればいいんだろう。そんなことを考えながらようやく
眠りに落ちたのは、白々と外が明るくなった頃だった。
――眠りに落ちてから二時間くらい経った頃。俺は奇妙な音で目を覚ました。
ゲッ、ゲッという短い不規則な音。水っぽい音。耳慣れない音なのに嫌な胸騒ぎがして、
俺は気だるい体を無理やり起こして部屋を飛び出した。
「ドルー? ……ドルー!?」
階段を降りた先の廊下に、ドルーが横たわっていた。ぐったりとしていて、明らかに様子
がおかしい。口もとや周りには吐しゃ物が落ちていて、何度も嘔吐したことがわかる。
「おい! どうしたんだ、ドルー!」
顔を抱えあげるけれど、ドルーは答えない。それどころか息をするのも苦しそうだ。
なんだこれ。どうしたんだ。病気? 昨日まで元気だったのに――。
そこまで考えて俺はハッと顔を上げた。転びそうになりながらキッチンへ駆け込み、テー
ブルの周りを見回す。
「あ、あぁ……っ!」
床に落ちているバスケットと果物を見て、血の気が引いていった。――ぶどうだ。バスケ
ットに入れていた巨峰を、ドルーが齧った形跡がある。
ぶどうは犬には厳禁な食べ物だ。原因はよくわかっていないが、中毒を起こす可能性が大
きい。個体差はあるが、ひどいと急性腎不全を起こして一日で命を落としてしまうケースも
あるそうだ。
俺は昨日のうちにキッチンをチェックしておかなかったことを猛省した。あれだけ家中を
荒らしたのだから、よくないものを口にしたり誤飲していた可能性は十分にあったのに。
「ドルー! しっかりしろ! 今病院に連れていってやるからな!」
震える手でドルーの体に大型犬用の抱っこ紐を通して、両腕で抱きかかえた。脱力してい
るドルーは半端なく重たいけれど、弱音を吐いている場合じゃない。
玄関を出ようとして、俺は自分がTシャツとハーフパンツの寝間着姿のままだというこ
とに気づいた。髪もボサボサのままだ。普段ならば絶対にこんな格好で外なんて出ないけれ
ど、今ばかりは構わずに玄関を飛び出す。
「ごめん、ドルー。苦しいよな。しんどいよな。ごめんな、あんなとこにぶどう置きっぱな
しにして。ごめんな、食べたことにすぐに気づいてやれなくて。ごめんな。……お利口なお
前が見境なく暴れるほど寂しい思いさせて……本当にごめん」
腕にかかるドルーの重さに、涙が込み上がってくる。どうして俺、ドルーをこんな目に遭
わせちゃったんだろう。
ドルーはすごくお利口で、聞きわけがよくって、俺の許可なく勝手なものを食べたりしな
い子なのに。いつだって俺との約束を守る子なのに。そんなドルーが家中をめちゃくちゃに
するほど荒れたのは、全部俺のせいだ。
甘ったれていたのは俺の方だ。言葉が通じるからって、俺の都合ばっかり押しつけていた。
寂しいのなんて大したことないって、人間の尺度で我慢を強いていた。ドルーには俺しかい
ないのに。俺がいないことがドルーにとってどれだけつらいかなんて、想像したこともなか
った。
走りながら、ボロボロと涙が止まらない。一緒に暮らすって、一緒に生きるって決めたの
に。どうして俺はこんなに自分勝手なんだよ!
「ごめん、ごめんドルー、ごめん……」
謝っても謝っても足りない。声が枯れるまで謝ればドルーがすぐに治るなら、何百万回で
も謝るのに。
行きつけの動物病院の前についたときには、俺は全身汗だくだった。息も整わないままに
インターフォンを鳴らし、「急患です! 犬がぶどうを食べてぐったりしてるんです! お
願いです、助けてください!」とかすれる声で叫んだ。
まだ朝の七時前だというのに、裏口から院長先生の奥さんが出てきて、中へ入れてくれた。
ドルーを処置室の台へ寝かせていると、白衣に着替えた院長先生と助手の奥さんがやって
来た。症状と経緯を話した俺は、胃からぶどうを出すために点滴で強制的に嘔吐させられるドルーを、ただ見守ることしかできなかった。
***
血液検査の結果、ドルーは急性腎不全は発症していないとのことだった。
それを聞いたとき、俺は安堵のあまり病院の床にへたりこんでしまった。
「よかった……本当によかった……」
脱力して泣き笑いを浮かべる俺の肩を、院長先生の奥さんが励ますようにポンポンと叩いた。
「催吐と排泄で脱水症状を起こしているので、今日は一日入院して様子を見ましょうね。ド
ルーくん、すぐに元気になりますよ」
「はい。どうもありがとうございます」
立ち上がった俺は、硝子越しに処置室のドルーを見た。何度も吐いて、体力がなくなって
しまったのだろう。変わらずぐったりとしているが、苦しそうな表情は消えている。呼吸も
穏やかになっているみたいで、安心した。
本当はこのままついててやりたいけど、俺がいてもできることはないし、入院室に移動し
たらスタッフさんたちの邪魔になってしまう。
「ドルー、明日迎えに来るからな」
見えているかわからないけれど、俺は硝子の向こうのドルーに向かって口パクして手を振
ると、病院を出て家へと戻った。
午前中に処置が済んだおかげで、撮影には遅刻しないで済んだ。ほとんど睡眠はとれなか
ったけど。でもまあ、ドルーが無事だったならそれでいい。
今日はいつもの撮影スタジオではなく屋外ロケだ。場所は廃校になった校舎をリニューア
ルして作られた学校スタジオ。校庭を使っての撮影となる。運動会のシーンなのでエキスト
ラも大勢いるのだけど、とにかく暑い。本日の最高気温、三十一度。俺は熱中症にならない
よう、待機中は首筋やおでこに冷却シートを貼って過ごした。
「奏多、晴れ待ちになりそうだからバスで待機してていいよ」
団扇でパタパタと仰いでいると、四谷さんがそう報せに来てくれた。晴れ待ちとは、その
名の通り太陽が雲間から顔を出すの待つことだ。今日は晴天のはずだったけれど、少し空が
曇り始めた。このシーンは梶監督が青空で撮りたがっているので、雲が去るのを待つのだろ
う。
「はーい」
素直に返事をして、校舎の裏に停めてあるロケバスへと向かった。天気が相手ではいつ撮
影が再開するかわからない。日陰で待機しているエキストラさんたちには申し訳ないけれど、こちとら長丁場の撮影なので体力温存のために冷房の効いているバスで休ませてもらう。
バスに乗り込もうとしたとき、近くの校舎の陰から声が聞こえた。それも、穏やかではな
い類の声が。
気になってそっと近づき壁に隠れながら見ると、人のいない玄関口の隅で琥太郎くんとお
母さんが立っているのが見えた。
「どうして!? ゆうべ練習したときはちゃんとできたでしょう!? どうして本番だと
できなくなっちゃうのよ!」
琥太郎くんのお母さんは涙声だ。鼻を赤くして、縋るように琥太郎くんを責め立てている。
そして琥太郎くんは、うつむいたまま静かに涙をこぶしで拭っていた。
……なんだか、おとといの俺とドルーを見ているようで胸が痛む。もっとも、琥太郎くん
のお母さんは俺みたいに自分勝手な理屈で怒っているのではないけれど。
今日も琥太郎くんは肝心な場面で台詞が抜けてしまっていた。エキストラもいて大勢に迷
惑をかけてしまったことが、彼女にはいたたまれないんだろうな。
それにしても琥太郎くんはどうして毎日台詞が抜けてしまうんだろう。主役だから確かに
覚える台詞は多いけれど、彼はドラマ経験だって舞台経験だってある。台本を覚えるくらい、難しくないはずだ。
――なにか、集中して覚えられない理由でもあるのだろうか。
そんなふうに考えていると、ふいに真後ろで気配を感じた。驚いて振り向くと、そこには
俺の陰に隠れるようにして琥太郎くんの様子を窺っている、藍くんの姿があった。
「……なにやってんの? 藍くん」
尋ねると、藍くんはパッと顔を逸らし「べつに」と、いかにも気まずそうに言った。
「琥太郎くんのことが気になるの? それなら、声かけに行ってあげたら――」
「気にしてないし! たまたま通りかかっただけだし! 俺には全然関係ないし!」
藍くんはわかりやすく一生懸命に否定した。うん、間違いない。めちゃくちゃ気にしてる。
すると藍くんの大声に気づいた琥太郎くんが、こちらを向いた。涙がいっぱいたまったそ
の瞳がこちらを捉えた途端、藍くんの顔まで一瞬泣き出しそうに歪む。
「……っ! 台詞くらいちゃんと覚えろよ!」
捨て台詞のようにそう叫んで、藍くんは踵を返すと走っていってしまった。っていうか、
きみがそれ言う? NGの数では藍くんもどっこいどっこいじゃないか。
残された俺は少し迷ってから、藍くんのあとを追いかけることにした。……暑い。尋常じ
ゃなく暑い。
なぜ俺は真夏の炎天下を走っているのだろうと後悔しかけたとき、藍くんが体育館の屋根
の下に座り込んでいるのが見えた。足を止め、額の汗をタオルで拭ってから、歩いて近づい
ていく。
「大丈夫? いきなり走って気持ち悪くなってない?」
俺も屋根の下の日陰に避難しながら声をかけると、藍くんは膝に顔を突っ伏したまま頭を
横に振った。沈黙を、セミの声がやかましく埋めていく。
ミンミンゼミの声を聞きながら、俺は考えていた。ああ、そういえば琥太郎くんと藍くん
がNGを出すときは、ふたり一緒の場面が多かったな、と。
「……いつから琥太郎くんとケンカしてるの?」
隣にしゃがんで尋ねた俺の言葉に、藍くんは「本番が始まった日」と拗ねたような声で、
けれども素直に教えてくれた。
どうして俺は今まで気がつかなかったんだろう。今さらだ。まったくもって今さらだ。そ
れなりにキャリアもスキルもある子役がふたりそろって調子を崩していたのだ。能力の問題
ではなく、ふたりになにかがあったと考えるのが普通なのに。
「琥太郎が悪いんだよ。あいつ、ステバでバグ技使ったんだ。だから俺怒って、ズルするや
つとは二度と遊ばないって」
喧嘩の原因は思わず苦笑いしてしまいそうになるほど馬鹿らしかったが、藍くんの口調は
いたって真剣だった。
ステバとは子供に大人気の対戦型ゲームソフト、ステージバトラーの略だ。携帯ゲーム機
でできるので、公園なんかでも子供たちが集まって遊んでいるのをよく見かける。藍くんと
琥太郎くんも、きっと休憩中や移動中に遊んでいたのだろう。そしてバグ技とは、その名の
通りコンピューターのバグを利用してゲームを優位に進めるプレイだ。それを賢いと捉える
か卑怯と捉えるかは、人それぞれだと思う。
ようはゲームのズルが原因で喧嘩が勃発したのだ。……じつにくだらないと思ってしまい
そうになるけれど、それは違うと俺は俺を咎める。自分だって子供のときは友達と遊ぶゲー
ムが世界で三番目くらいに大切だったのだ。子供の世界は狭くて純真で閉塞的だ。だからこ
そそのコミュニティが崩壊することは、世界の終わりくらいの絶望感がある。きっと今の琥
太郎くんと藍くんは、その絶望感を感じているに違いない。
「琥太郎くんはなんて?」
「……ズルじゃないって。琥太郎の学校ではバグ技はOKってルールだからズルじゃない
って。でも! 俺の学校ではズルだもん! だから琥太郎の学校はズルの集まりだって言っ
たら、『年下に負ける藍は下手くそでダサい』って……それで俺すごく怒って、『お前みたいな演技下手くそで棒読みなやつに言われたくない』って言ったら、琥太郎、泣いちゃって……」
俺は思わず「あーあ」とあきれ声を出しそうになるのを、あやうくこらえた。子供の喧嘩
は容赦がない、どちらも言っちゃいけないことの連発だ。ゲームのいざこざだけだったら修
復も早かっただろうけど、藍くんは年上としてのプライドを、琥太郎くんは役者としてのプ
ライドを傷つけられて、お互いに相手を許せなくなってしまったのだろう。
「お母さんやマネージャーには言った?」
「言うわけないじゃん」
だよね、と相槌を打って、愚問だったなと思う。叱られそうなネタを、わざわざ大人に報
告するわけがない。琥太郎くんもきっと同じだ。
けれど、琥太郎くんは藍くんに言われた言葉が原因で演技に自信がなくなり台詞が出てこ
なくなり、藍くんはそんな琥太郎くんに罪悪感を覚えて演技に集中できなくなってしまった
のだ。その結果、撮影現場には多大な迷惑が掛かっている。大勢の人を巻き込んで。
これはもう、子供の喧嘩だからと楽観視して放っておくわけにはいかない。おせっかいも
あるが、これ以上俺の貴重な睡眠時間を削られるのはごめんだ。
けれど、ふたりに仲直りしろと命じたところで解決するとも思えない。形ばかりの仲直り
には意味がないのだから。
俺は空を仰いでフーッと嘆息した。頭上はまだまだ曇天模様。少し長話をする時間くらい
は、ありそうだ。
「偶然だね。俺も昨日、友達と喧嘩したばっかだよ」
ひとりごとのように呟くと、藍くんが膝に突っ伏していた顔をパッとこちらに向けた。
「奏多くんも喧嘩するの? 大人なのに? なんで?」
「大人だって喧嘩ぐらいするよ。ってか、大人ってそんな立派なもんじゃないよ。喧嘩の原
因だってくだらないし。俺がそいつとの約束破りまくってたくせに『うぜえ』って逆切れし
ちゃったから、そいつもブチ切れちゃったんだ」
「えー! ひどくない? 奏多くんってそういう人だと思わなかった」
少々俺の株が下がった気もするけれど、まあいい。藍くんは興味深そうに俺の話に食いつ
いてきた。
「なんで? 奏多くん、そいつと仲悪いの? 嫌いなの?」
「嫌いじゃないよ。大好きだ。すごく大切で、世界で一番の友達だと思ってる」
「じゃあなんで? なんで大好きなやつにそんなひどいことできるの?」
子供の言葉はストレートだ。大人と違ってオブラードに包んだりしない。藍くんの言葉は
俺の心にビシバシと刺さって、嫌でも自分の悪いところと向き合わされる。
「本当だよなあ。自分でも不思議に思う。でもひどいこといっぱいしちゃったんだ。俺が疲
れててテンション低いときでも笑顔で話しかけてくれたのに。ふたりで分け合わなくちゃい
けない苦労を押しつけても、『我慢する』って耐えてくれてたのに。俺は疲れてる自分が一
番偉いんだって、勘違いしちゃってたんだ。俺は仕事して疲れてるんだから、約束守れなく
ても許されるって……めちゃくちゃ最低な考え方してた」
言ってて自分が嫌になる。俺ってもしかして結婚とかしちゃいけないタイプじゃない?
己の内に芽生えかけていた亭主関白の芽を、物理的に引きちぎって遠くへぶん投げちゃいた
い衝動に駆られる。
藍くんの「うへ~……。奏多くんヤバい。ドラマに出てくる悪い父親みたいじゃん」とい
う素直なドン引きが俺をますます自己嫌悪に突き落とし、今度はこちらが抱えた膝に顔を突
っ伏してしまった。
「ヤバいよね……だから今めちゃくちゃ反省してる。そいつ、俺と喧嘩したストレスのせい
でぶどう……病気になっちゃって、あやうく死ぬところだったんだ。今も入院してる。苦し
そうに何度も吐いてる姿見て、俺、泣くほど後悔したよ」
藍くんは顔をサッと青ざめさせて「えっ! 喧嘩のストレスで死ぬこともあるの!?」と
立ち上がった。「琥太郎くんは大丈夫だと思うよ」と答えてあげると、藍くんは「本当に…
…?」と言いながらも、再び座り直した。
「――今だから反省できるけどさ、でも昨日までは本気で自分が悪くないと思ってた。言い
訳にしかならないけど、疲れてたり寝不足だったりカッとなったりすると人間って間違った
考えや行動を起こすことがあるんだ。大人も子供も関係ない。たぶんけっこうそういう人っ
ている」
藍くんが小さく「う……」と呻く声が聞こえた。すぐに自分も当てはまると省みることが
できる辺り、彼はえらいと思う。
「お互いをよく知るために喧嘩が必要なことも時々はあるけど、でもやっぱ、俺は嫌だな。
すごく大切な友達を傷つけてしまった。今回は助かったけど、でももしこのまま二度と会え
なくなってたら、俺は一生後悔した。……ううん、助かっても同じだ。あいつをあんなつら
い目に遭わせたことを、俺は一生後悔して生きるよ」
膝に顔を突っ伏したまま独白のように語った俺の頭を、そっと藍くんの小さい手が撫でて
きた。
「泣くなよ、奏多くん。友達、助かったんだろ? だったら謝って仲直りしろよ。本当は友
達のこと大切に思ってるんなら、きっとまた仲良くなれるよ」
いや、泣いてないけどね。
でも藍くんの手も言葉も優しくて、俺はちょっと胸が熱くなった。泣いてないけど。
「今日、撮影終わったらお見舞いに行くの?」
「今日は無理かな。校庭で撮影のあとスタジオ撮影もあるし。病院、間に合わない」
「校庭の撮影が早く終わればスタジオ撮影までちょっと時間空くだろ? 行ってきなよ。早
く仲直りした方がいいって! 撮影が早く終わるように俺も協力してやるからさ」
「えっ?」と顔を上げると、俺の隣で藍くんはスクッと立ち上がった。その顔はさっきより、だいぶ大人びて見える。
「琥太郎にも言ってくる。奏多くんを病院に行かせるために、今日は一発撮り目指そうなっ
て!」
目をまん丸くして瞬きを繰り返す俺の瞳に映った藍くんは、少し恥ずかしそうに肩を竦め
て笑った。
「ついでに……俺も琥太郎に謝ってくる。奏多くんの話聞いてたら、俺も後悔するの嫌だな
って思って。……いっぱい周りに迷惑かけちゃったし、ちょっと遅いかもだけど」
「……! 遅くない、全然遅くないよ!」
思わず叫んだ俺の言葉に、藍くんは「ありがと!」とひまわりの花のように破顔して、ロ
ケバスに向かって走り出した。そして一度足を止めて振り返ると、「奏多くんも、絶対に今
日中に仲直りしろよ! 約束!」と叱咤激励を飛ばしてから、走り去っていった。
十五分後。ようやく雲が切れて快晴となった空の下、再開された撮影は驚くほど順調に進
んだ。
宣言通り、藍くんと琥太郎くんはミスすることなく一発撮りをキメた。さっきまでのふたりとまるで別人だと、監督もスタッフも琥太郎くんのお母さんたちもみんな喜んだ。