バディ! 犬とアイドル、それから事件

 そう言ってドルーはコンクリと砂浜の際を鼻でフンフンと掘ると、口に光るものを咥えて
顔を上げた。
 手のひらに受け取ると、それはピンクコーティングされたシルバーの指輪だった。デザイ
ンやサイズからしても、女性ものっぽい。

「指輪か。……ペアリングかな」

 内側に刻印されていたハートと日付を見て、そう思った。もしペアリングなら、これを落
としてる人は今ごろ一生懸命探しているかもな。
 最寄りの交番に届けておこうかと考えていたら、指輪の匂いをクンクンしたドルーが俺に
向かって言った。

「これ、宮乃と同じ匂いする。間違いない」
「え……?」


 翌日。
 俺はバラエティ番組の収録が終わった後、ちょうど同じ局の収録にきていた水町さんの楽
屋を訪れていた。

「はあ? なんでそんな嘘つくの? 今どきスマホ持ってない人がいるわけないじゃん」

 水町さんは俺の顔を見るなりこちらの要件を聞きもせずに、昨日聞きそびれたドルーの連
絡先を尋ねてきた。
 しかし当然ながらドルーがスマホなんか持っているわけがなく、そのことを素直に伝えた
らめちゃくちゃ責められてしまった。

「ていうか、今日はドルーさんは? 一緒に来てないの?」
「あー……、今日は家にいる。少し疲れてるみたいで」

 昨日はあれからペットタクシーを利用して家まで帰った。神奈川から東京、はっきりいっ
て料金は安くなく……。おまけにドルーが少し車酔いをしたみたいで、俺もドルーも懐も、
すっかり疲れ切った一日となった。

 そんなわけで今日のドルーはお疲れ気味みたいで、一緒に行くとは言いださなかった。散
歩して朝食を食べた後は、再び毛布で寝てしまった。
 まあ、昨日は初めての体験をいっぱいして、海で溺れかかって、最後は車で長距離移動だ
もんな。疲れるはずだよ。

 そんなこちらの事情などつゆ知らず、水町さんは思いっきり不満そうだ。

「はー、天澤くん使えない。ま、いいや。私、来週の水曜日オフなの。ドルーさんと会える
ようにセッティングしてくれるよね?」
「はぁ?」

 思わず苛立った声が出る。今、この人、俺のこと使えないって言った? 言ったうえでセ
ッティングしろとぬけぬけと言った?

 不機嫌そうな顔をした俺に、水町さんは「だって天澤くんがドルーさんの連絡先教えてくれないのが悪いんじゃん。セッティングしてくれないなら、連絡先教えて」と悪びれずに言う。

 あきれてものも言えない。本当に水町さん変わった。以前はこんな失礼でも自己中でもな
かった。そこそこ付き合いも長いし友達くらいのつもりではいたけど、その認識を改めよう
と思う。正直もう関わりたくないし、ドルーを関わらせたくもない。

 俺はズボンのポケットに手を突っ込むと、昨日拾った指輪を取り出して水町さんの前のド
レッサーに置いた。「なに?」と言った水町さんの表情が、指輪を認識した途端に真顔に変
わる。

「昨日、偶然海岸で見つけた。それ水町さんのだろ。俺はその指輪届けに来ただけだから、
じゃあ」

 本来の用件だけさっさと告げて、踵を返し楽屋を出ていこうとした。すると。
――カンッ
 小さなものが勢いよくぶつかった音が耳のすぐ横でして、俺は足を止めた。
 床を見ると、さっき渡した指輪が転がっている。水町さんがこれを投げて、ドアにあたっ
たのだと理解した。

 振り返ると、水町さんは指輪を投げた姿勢のままこちらを睨んでいた。

「……私のじゃない。持って帰ってよ」

 その剣幕に、俺は驚きで一瞬呆けた。指輪が彼女のものではなかったとしても、どうして
そんなに怒っているかがわからない。

「あ……そうなんだ。ごめん、間違えたみたいだ」

 これ以上、波風を立てたくなくて、俺はその指輪を拾ってポケットに再びしまうと「じゃ
あ」と、そのままドアを出ていった。


「これ、宮乃の。オレお利口だから、間違えない」
「でも違うって。怒って投げつけてきたよ」

 その日の夜。帰宅した俺はドルーに指輪を見せながら今日の顛末を語った。
 ドルーは何度も指輪をクンクンし、「宮乃の匂い」と自信満々に繰り返す。けど正直なと
ころ、俺は指輪の持ち主が水町さんかどうか、もうどうでもよかった。

 散々失礼な態度をとったうえ指輪を投げつけてきた水町さんと、本当にもう関わりたくな
い。当然ドルーとは二度と会わせないし、指輪も警察に届けて後は知ったこっちゃない。も
う彼女と少しでも関係のありそうなことは避けたいというのが本音だ。

「あーあ、こんなことなら交番に届けておけばよかったなあ。また鎌倉の交番まで行くのは
さすがにキツいし……郵送でも受けつけてくれるかな」

 ソファーに寝そべりながらスマホをいじっていると、指輪の匂いを嗅いでいたドルーが考
え込むように首を傾げだした。

「もういいって、ドルー。警察に届けよ」

 そう声をかけた俺に、ドルーはウ~と小さく呻きながら、「違う。……知ってる匂い、も
う一個混ざってる。少しだけど……思い出せそうだけど……わからない……」と悩ましげに
答えた。

 知ってる匂い?と不思議に思ったけれど、どちらにしろもう指輪の追及はいい。俺は床か
ら指輪を拾いあげポケットにねじ込むと、話題を逸らすように「ドルー」と言って腕を広げ
た。ドルーはすぐにパァッと嬉しそうな表情になって、尻尾を振りながら俺の腕の中へ飛び
込む。頭やら首やら胸やら撫でまくってやると、生え代わりの毛がブワッと舞った。

「うわ、抜け毛すごいな。換毛期ってやつか。ちょっと待ってな」

 ソファーから立ち上がり犬用のブラシを取ってきて、ドルーの体をワシワシとブラッシン
グしていく。普段も二、三日おきにブラシをかけてはいるが、それでも塊で毛が抜ける辺り、冬毛から夏毛に生え変わっていくのを痛感する。

「ひゃー、いくらでも抜けるな。シャンプーもするか。――あ、でも今度の休みにドッグラ
ン行くから、その後にしよ。どうせ汚れるし」

 すると、おとなしくブラッシングされていたドルーが突然立ち上がってワン!と吠えた。

「どうした? ブラッシング痛かったか?」
「違う! わかった! わかった!」

 興奮気味なドルーの背を撫で、「落ち着け」とおすわりさせる。それでも尻尾を振ること
を止められないままドルーが言ったのは、驚くことだった。

「宮乃の指輪! ウェンディの匂いする!」
「ウェンディって……あのゴールデンレトリバーの?」

 目をパチクリさせる俺に、ドルーは鼻をフン!と鳴らして「そう! 間違いない! オレ
お利口!」とものすごいドヤ顔をしてみせた。

 その週の木曜日。午後がオフの俺はドルーを連れて、いきつけのドッグランへとやって来
た。
 うちから歩いて行ける距離にあるこのドッグランは、市営の公園だ。植物に囲まれた小道
沿いにあって、こぢんまりとしている。よそから犬が集まってくるというよりは地元の人に
愛されている穴場という感じで、平日などはほとんど誰もいない。

 俺は休みが不規則なので、混んでる土日にもガラガラの平日にも利用しているんだけど、
木曜日によく会う犬と飼い主さんがいた。それがゴールデンレトリバーのウェンディだ。

「あ、いたいた」

 緑の生い茂る小道の奥に、ベンチの置かれた広場がある。そこがドッグランのコーナーだ。
 広場をのびのびと走っているウェンディを、サングラスをかけた青年と中年の女性がベン
チに座って見ている。ウェンディの飼い主……もとい、パートナーの宗方京介さんと、その
母親の蓮美さんだ。

 京介さんは約一年前に事故で視力を失った視覚障碍者だ。その後、盲導犬のウェンディを
パートナーにしたという。
 盲導犬は他の犬猫に反応しない訓練をしているので、盲導犬協会によってはドッグランに
行かせることをあまり勧めないらしい。けど京介さんは、盲導犬になる前は走るのが大好き
だったウェンディを、今でも思いっきり走らせてやりたいとの思いから、他に誰もいないド
ッグランを探してはこうしてやって来ているとのことだ。
 特にここは平日誰もいない確率が高い穴場らしく、蓮美さんが運転し、わざわざ埼玉から
車で一時間かけてやって来ている。

 初めは俺とドルーがやって来たのを見ると京介さんたちはそそくさと帰ってしまってい
たが、そのうち彼の事情を聞くようになり、かち合ったときは時間をずらして出直すなり、
ドルーにウェンディに近づかないよう命じて、はじっこで遊ばせるなどするようにした。

「こんにちは、宗方さん。天澤です」

 近づいて声をかけると、宗方さん親子はベンチに座ったままこちらを向いて会釈した。

「こんにちは。ドルーちゃん、お元気?」
「はい。今日もはじっこちょっとお借りしますね」

 にこやかに話しかけてきた蓮美さんに俺も笑顔を返し、隣のベンチに腰を下ろすとドルー
のリードを外した。ドルーはウェンディがいる方とは逆側に、トコトコと歩いていく。

 それを見て「ドルーちゃんは本当にお利口ねえ」と安心した蓮美さんは、持っていた鞄か
らタッパーを取り出すと蓋を開けて俺に差し出してきた。

「おひとついかが? うちでとれた金柑をお砂糖に浸けたの。甘くて喉にもいいのよ」

 寡黙な京介さんとは対照的に、蓮美さんはとっても社交的でお喋り好きだ。庭で果物を育ててはお菓子にするのが趣味で、会えばいつもこうやって手作りのおやつを食べさせてくれる。

「わ、おいしそう。じゃあお言葉に甘えて、いただきます」

 そんなやりとりを聞いていた京介さんが、「すみません、母がいつも押しつけがましくて」と、申し訳なさそうに頭を掻いた。

「いえいえ、全然。蓮美さんの育ててる果物どれもおいしいから嬉しいです。この間の柚子のクッキーもすごくおいしかったし」
「あら、そう? あれはねえ、柚子の果汁も全部使うのがコツなの。いい香りだったでしょう? 柚子はね、チーズとも相性がいいからチーズケーキにしてもおいしくて……ああ、作って持ってくればよかったわ。でももう柚子は全部とり終わっちゃったし……そうだ、金柑で作ってみようかしら、チーズケーキ。柚子に合うんだから金柑でもきっとおいしいわよねえ」

 蓮美さんの口調がどんどんなめらかになっていく。今日も彼女のマシンガントークは絶好
調だ。
 おしゃべりとお菓子作りが大好きな蓮美さんは、この手の話題になると口が止まらない。
俺も人と話をするのは大好きなので歓迎なのだけど、今日は彼女の気を引きつけるため、い
つもよりさらに相槌を打ってマシンガントークを加速させた。

「金柑のチーズケーキなんて斬新ですね。蓮美さんのお庭は柑橘類が多いんですか?」
「そうなのよ、今年こそベリーも植えようと思ってるんだけど、どうしても柑橘類育てたく
なっちゃうのよねえ。だって柑橘類だとどんなお菓子にも料理にも使えちゃうんですもの。
奏多くんはオレンジのガレット・ブルトンヌって食べたことある? 今度作ろうと思ってる
んだけど」
「食べたことないです。気になるな、どんなお菓子なんですか?」

 俺は一生懸命トークを弾ませながら、チラリとドルーの様子を見る。ドルーはフェンス沿
いを静かに歩きながら、じわじわとウェンディの方へ寄っていき、会話ができる距離まで近
づいていた。

 実は今日の目的は、ウェンディから話を聞くことだ。
 ドルーの鼻が確かなら、水町さんの指輪には宗方さんが関わっている可能性がある。けど、指輪がペアリングであることや、俺に投げ返してきた水町さんの態度を見ると、宗方さんに迂闊なことは聞けない。

 というわけでまずは、ドルーにウェンディから話を聞いてもらうことにした。ウェンディ
に匂いを嗅いでもらうため、ドルーの首輪にはこっそり指輪を通してある。これでもし宗方
さんとは無関係だったとわかれば、指輪は警察に届けるまでだ。

 ……まあ、別にウェンディに確認せずとも警察に届けちゃってもよかったんだけどさ。も
う水町さんに関わりたくないと思っていたし。
 けれどなんとなく引っかかってしまったのだから、仕方ない。

 俺に指輪を投げつけたときの水町さんは、普通じゃなかった。あのときは苛立ちと困惑し
か感じなかったけれど、時間が経って冷静になってみると不可解さが浮き彫りになる。
 最近になって彼女の性格が激変したことと関係しているのかもと考えると、なんとなく放
っておけなかった。

 おせっかいだとはわかっている。でも、人の情ってそういうもんだろと開き直りたい。
 友達と呼べるくらいにはよく知った人が、なにかおかしければ気になるものだし、もし問
題を抱えているなら力になってあげたいじゃん。

 そんな俺の勝手な事情で、本日はドルー協力のもとウェンディを探りにきたわけだが。
 蓮美さんの話にテンポよく相槌を打ちながら横目でドルーを確認すると、ウェンディとク
ンクンし合ったり、ピョンピョン飛び跳ねているのが見えた。……あいつ大丈夫か。他の犬
と接触できたことが嬉しくて、聞き込みを忘れて遊んでいるんじゃなかろうか。

 そのとき、「あら? ドルーちゃん、あっちに行っちゃった?」と、二匹が戯れているこ
とに蓮美さんが気づいてしまった。
 俺は慌ててベンチから立ち上がり、金柑をモグモグしながら「すみません! すぐ捕まえ
てきます!」とドルーたちのもとへと駆けていった。

「ほら、ドルー。もう行くぞ」

 しゃがみ込んでドルーの首輪にリードを繋ぎながら、小声で「話、聞けた?」と尋ねる。
ドルーが「うん」と言ったので、俺は安心して立ち上がると、宗方さんのいるベンチの方へ
と戻った。

「ウェンディの邪魔しちゃってすみませんでした。それじゃあ俺たち、そろそろ帰りますん
で」
「あら、もう帰っちゃうの? 残念。またね、ドルーちゃん」
「お気をつけて」

 挨拶をして、ドッグランコーナーから出る。ウェンディがどこか悲し気にこちらを見てい
ると感じたのは、気のせいだろうか。


 帰宅後、ドルーから聞いたウェンディの話は俺の想像以上に複雑なものだった。

「ウェンディ、宮乃の匂い知ってた。何回も京介のおうちに来たって。でも、宮乃がくると
京介がうんと悲しそうにするんだって。ウェンディ、お利口だから少しだけ人間の言葉わか
る。京介、宮乃に『もう来ないでくれ』って何回も言ってたって。宮乃、いっぱい泣いてた
って。京介も宮乃が帰った後、いっぱいいっぱい泣いてたって」

 俺に一生懸命説明するドルーの口調も、どこか悲し気だ。だんだんと顔が俯いていき、い
つもはよく出ている舌も引っ込んでいる。

「寒くなった頃から、宮乃ちっとも来なくなったって。そしたら京介、泣かなくなったけど
元気なくなっちゃったって。……ウェンディ、うんと悲しそうだった。パートナーの元気が
ないと、犬は悲しい。ウェンディ、すごく可哀想……」

 ついにキュ~ンと鳴いて、ドルーは床に伏せってしまった。俺は慰めるように、その背を
撫でてやる。

「カナタ……オレ、ウェンディのために京介のこと元気にしてあげたい。駄目か?」

 ペットは飼い主に似るというけれど、俺のお節介が似てしまったんだろうか。それとも、
ドルーは優しいからもともと共感力も強いのだろうか。
 どちらにしろ、俺もその意見には賛成だ。

「うん、そうしよう。俺たちで京介さんを元気にして、ウェンディのことも元気にしてあげ
よう」

 そう言って微笑むと、俺は立ち上がってキッチンからドルーのおやつを取ってきた。これ
だけの話を聞きだしてくれたドルーに、ご褒美だ。
 俺がおやつを持ってきたのを見ると、さっきまでしょんぼりしていたドルーの顔がぱぁっ
と明るくなって、思わず笑ってしまった。この単純さが犬らしいというか、ドルーらしいと
いうか。

「今日はよくがんばってくれたな。ありがとう」

 手のひらに乗せたささみのガムを差し出すと、ドルーは待ってましたといわんばかりにパ
クっと咥えた。その場にすかさず伏せて、夢中でガムに歯を立てる。
 俺もその場にしゃがんでドルーを眺めながら、抱えたおせっかいをどうするか考える。

 ドルーの話から察するに、水町さんのペアリングの片割れは京介さんで間違いないだろう。
そしてペアリングを捨てるという水町さんの行動と、京介さんの家に彼女がこなくなったと
いうことを併せて考えれば、ふたりは別れたと思われる。

 けど、ウェンディの話を聞く限り、京介さんは別れたことを悔やんでいるんじゃないだろ
うか。……でも、京介さんは水町さんに『もう来ないでくれ』って言ってたんだよな。じゃ
あ、別れを切り出したのは京介さんの方なのか?

「そもそも別れた原因って、なんだろう……」

 もう少し詳しい話が知りたいなと、腕を組んで考えこんでいたところに、スマホのメッセ
ージ着信音が鳴った。送信者は――蓮美さん。

『来週、ドッグランいらっしゃる? もし来週も奏多くんいらっしゃるなら、今日言ってた
オレンジのガレット・ブルトンヌを作って持っていこうと思っているのだけど。ほら、今日、どんな味か気になるって言ってたでしょう?』

 メッセージを見ながら、俺は蓮美さんに感謝した。渡りに船とはこういうことだ。ナイス、蓮美さん。

『午後から行くつもりです。お言葉に甘えて、蓮美さんのガレット・ブルトンヌ楽しみにし
ています』

 スケジュールを確認してから、俺はすぐに返事を送った。そしてもうちょっと思考を巡ら
せて、もうひとつ下準備をしておこうと、スマホで紅茶の専門店を調べた。


 翌週。俺はドッグランではなく、埼玉にある宗方さん宅をひとりで訪れた。
 郊外の広々とした一軒家は庭にたくさんの果樹が植えられていて、なるほど、これが蓮美
さんご自慢の果樹たちかと感慨深く思った。
 二台分ある駐車スペースには、いつもドッグランに来るとき蓮美さんが運転しているステ
ーションワゴンが一台あるだけだ。おそらくもう一台は蓮美さんの旦那さんが仕事に乗って
いってるのだろう。

 インターフォンを鳴らすと、すぐに蓮美さんが出迎えてくれた。「こんにちは」と挨拶す
ると、蓮美さんは「芸能人がうちに来るなんて、なんだか信じられない気持ちだわあ。ご近
所に自慢しちゃおうかしら」なんて嬉しそうに言って、中へ案内してくれた。

「今日は押しかけちゃってすみません。でもせっかく蓮美さんがガレット・ブルトンヌ作っ
てくれたから、どうしてもご相伴に預かりたくて」
「いいのよお、誘ったのは私なんだから。それよりドルーちゃんの具合はどう?」
「ちょっと咳が出てるだけで、あとは元気です。食欲もあるし、すぐよくなると思います」

 今日ドッグランに行くと言っていた俺は、今朝になってドルーが風邪をひいてしまってウ
ェンディにうつすといけないので行けないと、蓮美さんに連絡した。もちろんドルーの風邪
はウソだ。あいつは家でピンピンしてる。

 じゃあなんでそんなウソをついたかというと、宗方さん宅に潜入して京介さんとふたりで
話をするためである。ドッグランでも京介さんに会えることは会えるが、蓮美さんが常にい
ることもあって、深い話は聞きだしにくい。
 俺が『蓮美さんのガレット・ブルトンヌ食べたかったので残念です』とメッセージに付け
加えると、蓮美さんは『よかったらうちに食べに来ない?』と自宅に招いてくれた。日頃、
彼女のお菓子を褒めたたえてきた甲斐があった。

 そしてまんまとお宅訪問にこぎつけた俺は、リビングに入り、ソファーに座っていた京介
さんの姿を見つけて内心「よし!」と大きく頷く。

「こんにちは、京介さん。天澤です。今日は図々しくお邪魔しちゃってすみません」
「ああ、いらっしゃい。こちらこそ、母が強引にすみません」

 俺が挨拶をすると、京介さんは耳に嵌めていたイヤホンを慌てて外した。パソコンで何か
を聞いていたみたいだ。
 蓮美さんに適当に座るよう促された俺は、席に着く前に持ってきた手土産の紙袋を彼女に
差し出した。

「これ、よかったら。イギリスブランドのセイロンティーなんですけど、今日のお菓子に合
うと思って」
「あら、気を遣わなくていいのに。でも嬉しいわ、ありがとう。さっそく淹れるわね」
「クラレットティーにするとおいしいリーフなんだそうです。店員さんに聞きました」
「クラレットティー! 素敵ねえ、確かに今日のお菓子に合いそうだわ。あら、でも……今
うち、ワインがないわ」

 蓮美さんが頬に手をあてて悩む。クラレットティーはオレンジ果汁と赤ワインを加えたフ
レーバーティーだ。赤ワインがなければ話にならない。

「すみません、一緒に買ってくればよかったですね。あ、じゃあ俺、今から買ってきます。
ちょっと待っててください」
「やだ、お客様に買いに行かせるわけにいかないわよ。奏多くんは座ってて、私ちょっと買
いに行ってくるから。京介! 奏多くんのお相手お願いね」
 
 蓮美さんがバタバタと車の鍵を取りに行ったのを見て、俺は二回目の「よし!」を心の中
で叫ぶ。すべては計画通りだ。
 オレンジを使ったクラレットティーを提案すれば、蓮美さんなら絶対に今日のオレンジの