「ジェイク・・・なんでこんなことに」
 さきほどトムを見た時と同じように、花はジェイクのそばでショックを受けて泣き崩れていた。
 それから数分間の間を空けると、俺たちに頼まれて花は持ってきた医療品を使い、叔父の傷部の手当を行った。襲われないように念のため俺とクローデットは彼女のそばから離れなかった。今は三人で固まって行動しなければならない。
 「なんでかわからないけど、暗かった広間の電気が突然ついて、それからものすごく安心しちゃったんだ。それで警戒を怠ってしまって、ずっと寝ていなかったから眠くて寝ちゃったの。ジェイクは私よりも先に眠ってしまっていた。それでドアが開くような音がして、私が最初に目を覚ました。そしたら階段から誰かが下りてくる音がしたの。最初はあなたたちだと思ったんだけど、足音がどうやら一人だけのものらしくって、さすがのあなたたちでも一人くらいしか生き残れないのはおかしいって不審に思って、それでジェイクを起こして急いで逃げようとしたんだけど、もう遅かった」
 「寝るなんて自殺行為に等しいじゃないか」
 俺とクローデットは背中合わせでお互いに自分の向いている方向を逐一確認しながら状況の教え合いを始めた。
 「ごめんなさい。私が油断しちゃっていた。本当に取り返しのつかないことをしちゃったよ・・・」
 そうクローデットは言って、徐々にまた声が震え始めていた。俺はそれを聞いてすぐに慰めを入れた。
 「もう過ぎたことは仕方ないし、ジェイクの死はお前のせいじゃないよ」
 「そうだとはわかっていても・・・」
 「それにお前が起きていたって、あの男相手に勝てるわけがない。トムでさえてこずった相手なんだ。ジェイクが起きていたって勝てない」
 そう言いながら俺は念のために柱に縛り付けられた男の方に目をやった。男はまだ目を覚ましていなかった。
 「おじさんがもしこの時元気だったら行けたかもしれない・・・」
 「そんなことを今言ってもどうしようもいないよ」
 「分かっているよ。でもだからって私たち三人だけでできることなんて何もありはしないでしょ。相手は人を殺すのに迷いを見せないサイコパス組なのよ?」
 クローデットは怖気づき、その小さな背中を心なしか俺の方へと寄せた。俺は改めてこの三人の中で自分が一番前に出て犯人と立ち向かわなければならない存在なんだってことに気づいた。さっきしたみたいに、もし目の前に殺人犯が現れたとしても、俺が一番にそいつと対面しなければならない。クローデットは賢いが、格闘となったらその賢さもあまり役には立たない。なにより体が相手の技量に追い付けるはずがない。それは俺も同じだ。だが俺は少なくとも二人よりは力がある。
 「・・・とにかく、俺たちはもうここでひたすら救助が来るのを待つしかないのかもしれない」
 「嵐が落ち着いても外には出ないの?」
 俺の方に振り向いたのか、彼女の声が近くで発せられたように感じた。
 「・・・みんなで出ることはできない。少なくとも俺は・・・叔父がまだ生きているだろ」
 「そうだけど・・・」
 「ものすごく遠い未来の話のように感じるけど・・・いいかクローデット。もし嵐が止んだら、川の流れもだいぶ落ち着くはずだ。お前は花を連れて二人で川を泳ぐんだ。お前泳げるよな?」
 なるべく小さな声で、俺はクローデットの耳に口を近づけてそう囁いた。近くに潜んでいる男の仲間に聞かれたらそれこそ終わりだからだ。
 「泳げる・・・」
 「・・・花も泳げる。そしたら二人で俺たちが来た時に寄ったあの町まで走っていけ、そこで救助を呼ぶんだ」
 「あなた一人残すことなんてできないよ。それに車で一時間以上もするような距離を走りで行くなんて・・・そんな長い間耐えられるの?さっきだって花が助けてくれなかったあなた死んでいたのかもしれないんだよ?」
 クローデットの口調が激しくなっていく。おそらく急所に立たされて興奮してしまっているのだ。俺は唇に人差し指を立てて静かにするよう指示した。
 「それのことなんだが、実は・・・さっきあそこで寝そべっている奴、俺を殺そうとはしなかったんだ。やつらは俺を殺せないようだ」
 「どういうこと?」
 「俺もよくわからない。ただ、俺をナイフで刺せたのに、そうしなかった。刺さる直前で動きを止めたんだ」
 「あの男が?」
 「そうなんだ」
 クローデットが目を大きくして俺の方を見た。俺は素直に頷く。
 「・・・なんで?」
 「それがわからないんだよ」
 そう答えると、クローデットは唇に親指の付け根をつけながら考え込んだ。どうやらこれは彼女が思考するときについやってしまう癖のようである。
 「可能性としては二つ。一つ目は、あなたが男の仲間だってこと」
 「おいおい。それまじで言っているのか?じゃあ今まで俺はなんのために身を張っていたんだよ」
 信じられないクローデットの言葉に俺は思わず笑ってしまった。
 「可能性の話だよ。あなたがやってきたことは全部演技だったのかもしれない」
 「・・・お前それ本気で思っているのか?」
 俺は声を低くしてそう彼女に尋ねた。少しばかりの怒りが込みあがる。
 「だとしたらあなたとこうして背中合わせでいられないでしょ」
 ということは一応俺のことを信じてくれているようだ。しかし、彼女のその当たり前のような言い草に少し腹が立った。だったら最初から言うなって心の中で思う。
 「二つ目は、犯人があなたを生け捕りにしたいのかもしれない」
 「俺を?またなんで?」
 「わからない。でもそれくらいしか考えられない」
 彼女にそう言われて、俺は改めて自分が過去で誰かに何かをしてしまったことはないか、真剣に考えてみた。
 「よし・・・リアム、クロエ、手当てはできた」
 考え込んでいた俺とクローデットを、花の声が覚ました。
 そこではじめて、自分たちが今まで考えることに必死で警備を怠っていたことに気づき、また警戒心を強めた。
 「あ・・・クローデットに言った?」
 花が叔父の服を手こずりながらも羽織らせると、俺の方を向いて悲しそうな顔をした。
 「なにを?」
 「トムの事よ」
 そう花が言うと、クローデットは速攻で「なんとなく予測ついていたよ」と答えた。
 「だって帰ってきていないんだもん。こんな長い間・・・ジェイクと同じことになったんでしょう。お気の毒に・・・ごめんね、祈れなくて。それに、私トムのこと疑っていたし」
 彼女はそう言って、残念な表情を浮かべながら俺に謝ってきた。
 「仕方ない。状況も状況だよ。誰にでも間違えはあるし、俺たちの中でもお前が一番賢そうだから、頼もしいよ」
 「そう思ってくれるのならありがとう・・・私って、いつも目の前のことを客観的に分析して、考えたままに言っちゃうから、よく人に嫌われちゃうんだよね」
 苦笑いを一つ浮かべながらクローデットはそう言った。彼女の顔を見ていたことに自覚を持った俺はまた「いけない」と言って、自分の背後の方の警戒に当たった。クローデットも慌てて後ろを向く。
 「そんなことないよ。クロエは確かに真面目なんだけど、結構優しくて、実は気弱なところもあるんだから」
 柱に縛り付けられた男の方をずっと見張るように頼まれた花は、俺とクローデットの輪に加わってそう口にした。
 「今こうして二人のことを信用できているのも、あくまで自分が状況を分析していって大丈夫だって安心したからできたことなのよね・・・」
 ばつが悪そうに彼女はそう言う。
 「どういう分析なの?」
 花が興味津々にそう尋ねた。
 「まず、トムが帰ってこないから死んでしまったんだってところは容易に想像できた。そして、その後まず私が考えたのは、あなたたち以外の誰かに殺されたんじゃないかってこと。このケースが一番可能性としては高くて、疑う余地もないからいったん選択肢としてそこに置いておいたの。それで第二に、実はあなたたち二人とも犯人の仲間で、トムを殺したんじゃないかって、そう考えたの・・・ごめんね」
 クローデットが謝ってきたので、花がしばらく黙り込んでから「いいよ」と一言言った。
 「でもすぐにその考えは消えたよ。だって、さっき私を殺そうとしたあの男を見た時、リアムがまっすぐに私のところまで駆けつけてきてくれて、それであの男と面と面を向かって立ち向かってくれたじゃん?あれは普通、相手のことをある程度知っていなきゃできない行為だと思うの」
 「どういうこと?」
 「人間って、正体不明なものには恐れて立ち向かうことを拒むことが多いんだけど、一回そのものに関する手がかりを少しでも掴めば、結構恐怖心が下がるのね」
 クローデットの言葉を聞いて、俺は確かに、とさっきのシチュエーションを思い出した。トムが襲われた最初の時も、俺は確かにクローデットを守ろうとした時と同じようにまっすぐ犯人に向かって突っ走っていけたのだが、あの時は尋常じゃないほどの恐怖を感じていた。だがそれ以上にあの男を倒したいという執念に駆られていた。だから、あの時はすぐに立ち向かえた。
 だがさっきクローデットの前にいたあの男に走っていったとき、俺は別に何かを考えていたわけでもなく、ましてや恐怖などこれっぽちも感じず、ただただあの男と対峙しようという考えだけが頭の中にあった。ほかに感じたことは何もなかったのだ。
 「なるほど。つまり、その時にクロエは私たちが一回あの男とどこかで遭ったことがあるって推測したわけね」
 花が手のひらを打ってそう口にした。
 「そういうこと。だから、あの男に遭ったってことは、多分その時にトムが殺されたんじゃないかって、そう確信したの。だからトムは絶対に犯人じゃないし、二人も違う。なぜなら二人はトムをあれほど擁護していたし、もしそれが演技だったとしても、トムがいくら強いとは言えわざわざあの男が加わってまでしないと、あなたたち二人で勝てないわけじゃないと思ったから」
 「・・・確かに」
 俺はクローデットの推理に感心した。そしてまた妙に胸が高鳴る。クローデットに対する好感度がアップしたのだろうか。そんなことはどうでもいいが。
 「お前って頭がいいんだな」
 「クロエの成績表はほとんどAだからね」
 俺が感嘆するとそれに付け加えて花がそう言った。
 「・・・それは言わなくていいよ」
 少し間を開けてから、クローデットはそう口にした。
 「あそうだ」
 突然、花がやや大き目の声でそういう。
 「どうかした?」
 俺はすかさずそう尋ねた。
 「いや・・・まだクローデットに言っていなかったことがあって」
 「なに?」
 「なんか、犯人が私の命を狙っているみたいなんだけど・・・」
 花は尻すぼみにそう言っていく。
 「どういうこと?」
 花の言葉に理解が追い付けないとクローデットは声を高めてそう訊いた。俺も最初は花が何を言おうとしていたのかが分からなかったのだが、少しして彼女が言っていたことは、あの柱に縛り付けられた男がさきほど自分に中指を立てていたことなのだということに気づいた。
 俺はそのことについてクローデットに説明してやった。その最中も、もちろん俺たちはお互いに背中を向けて周囲の警戒を怠らなかった。
 「でも犯人が狙っていたのって、リアムじゃなかったの?」
 クローデットがそう尋ねると、
 「え?それどういうこと?リアムが危険なの!?」
 さっきの話を聞いていなかった花が逆に突っかかって問い返した。面倒くさかったのだが、また俺が一から彼女に教え、彼女はまたみるみるうちに目を赤くしていった。
 「泣くな、泣き虫・・・ほらちゃんとあの男を見張って」
 俺はそう言って彼女に背を向けた。
 「だって・・・」
 「まあ、つまるところ、あなたたち二人とも狙われているってことだよね」
 そう言いながら、クローデットは自分に言ったことに納得がいかなかったのか。言い終えたすぐ後に「ん?」と疑問の声を出した。
 「・・・ごめん、私もさすがにこの謎は分からない」
 「怖いなぁ」
 花はそう能天気に言った。それから一つため息をし、突然また「あ!」と声を出す。
 「今度はなんだ」
 「あの男が目を覚ました!」
 彼女がそう言うなり俺はすぐにそっちの方を向いた。
 柱に縛り付けられた男は花の言う通り、軽くうめき声を上げたあと、ゆっくりとその仮面をつけた顔を上げ、こちら側をじっと伺った。
 俺たち三人は一緒に柱の方までたどり着く。そして見張りを二人に頼んで、俺は彼へ詰問することにした。その瞬間、心の奥底からふつふつと怒りが沸き起こってきた。トムやジェイク、そして重症の叔父に代わって復讐してやりたいと、俺は自分のポケットの中に締まったナイフを握り締める。だが殺してしまっては元も子もないと、俺はいったん自分を落ち着かせた。
 「ふんっ」
 男は俺をしばらく見て鼻で笑った。
 俺は思いっきり奴の顔面にこぶしを入れた。鈍く響のいい音がして、奴の仮面がそっぽへ飛んでいき、顔が露わとなった。ジンジンと痛み出す自分の拳を下ろしながら、俺は睨みの利いた目線でじっと彼の目を見つめた。それと同じように、彼もまた、何の感情もあらわにしない顔で、じっと俺を見つめた。
 仮面の下に隠れていたのは、肌の白い清潔感のある男の顔だった。思ったよりも若く、見た目的に二十代前半といったところで正直驚いた。
 しかしそれよりも俺に引っかかったのは、彼の顔全体に対する印象だった。なぜかどこかで見たことがあるように思える。不思議と彼の欠片が記憶のどこかで蘇りそうな、そんなじれったい感覚だ。
 俺は彼の目線に合わせてしゃがみ、そして口を開けた。
 「質問に答えろ」
 彼は笑うだけで何も反応を見せてくれなかった。
 「お前は誰だ」
 俺はそう尋ねる。しかし、いくら待っても彼は答えようとしない。ただひたすら爽やかな笑みを浮かべて俺を見つめるだけだった。真っ黒な瞳がゆらゆらとしてまるで俺を嘲笑っているようだった。
 「・・・なんでこんなことをしている」
 今度はもっと大きな声でそう訊いた。脅迫するような口調で、俺は必死だった。
 しかし彼はやはり笑っているだけで何も言おうとしなかった。それを見て右手がうずうずし、気づいたら俺は彼のことを殴っていた。
 「プッ・・・」
 唇が切れて血が流れ出たのだが、それでも彼は横を向いて少量の血を飛ばすと、また笑って俺の方を見た。俺は彼が笑っているのを見て間髪入れずにまた殴った。それを見ていたのか、花とクローデットが心配そうに声を掛けた。
 「まずいよそれは」
 「そうだよリアム、いったん落ち着いて」
 「――二人はちゃんと周囲を警戒していろって言っただろ!」
 ほぼ叫ぶような感じで俺は二人に顔を向けずそう叱り飛ばした。自分でもわからないほど、今の俺は怒りと興奮に満ちていたようだ。トムとジェイクをあんな目に遭わせたというのに、こいつはまだこうして笑っていられるのか。
 「・・・もう一度言う。お前は誰だ。なんでこんなことをする。ほかに仲間はいるのか」
 口調を強め、彼にもはっきりと聞こえるよう俺は唾を飛ばす勢いでゆっくりと言った。だが依然として彼は笑うだけだった。それを見て俺も口角を上げて笑い返した。そして殴る。また彼は血交じりの涎を横に噴き捨てた。そしてまた俺の方を見て笑う。また殴る。
 とうとう我慢できなくなった俺は、ポケットの中からナイフを出した。
 「・・・いいじゃねぇか。てめぇがそのつもりならそうしよう。今夜は一晩中ネバーエンディングストーリーのメインテーマを一緒に歌うぞ」
 狂気に満ちた声で、俺はそう言い放った。