「ああ・・・ああああああ!」

 頭が疼く。死ぬ。割れそうだ。

 破裂、
 炸裂。
 爆発!

 目の前が見えない。暗い。真っ暗だ。色がない。失われている。俺はどこにいる?誰だ?あれ?ん?あ?え?

 ――君はデミアンだよ
 キーンと頭の中で鳴り響く音に交じってその邪悪な声がはっきりと横から聞こえてきた。俺ははっとしてすぐに彼から遠ざかった。全身が紫色のオーラでまとわれて、人型をしているが何も見えない。ただのエネルギーの塊だった。だがはっきりと彼がこちらを見ているのが感じ取れた。彼は笑っている。サイコパスじみたイカレタ笑みだ。

 ――なぁ、デミアン
 「違う!俺はリアムだ!」
 微かに残る自分の記憶をぶつけた。先ほどの取り乱れを盛り返した。デミアンが目の前にいることで、自分がデミアンでないことを知る。自分でも何を言っているのかわからない。だがそういうことだ。

 ――どっちだっていい・・・それにしても、君はすごいよ。本当にすごい。
 彼はゆっくりと俺の方へと歩み寄ってくる。俺はすかさず後退していった。触れてはいけない。そう直感した。

 ――君のせいで死んだ人がたくさんいるんだ。君は自覚しているか?僕がすごいって言っているのは君のその面の皮の厚さだよ。あれだけの人を死に追い込んでなおそう平然としていられる。
両手の平を上に向かせながら彼はどうしようもないという風なポーズを取った。俺は警戒してそれをただただ見つめた。
 ――君に見せてあげるよ・・・君が今までしてきたことを
 そう彼が言うと、意識が遠ざかるような感じがし、俺はまた視界を奪われた。

 気づいたら目の前に見知らぬ女性がいた。目が怯えている。息を殺していた。俺のことを抱きしめていた。これは誰だ?いや、ちょっと待て、ここは・・・どうやらタンスの中にいるようだ。
 「マ・・・ママ?」
 そう言うと彼女は俺の頭をさすった。
 「大丈夫大丈夫・・・パパがもうじき帰ってくるから、きっと私があなたを守る。だから静かに、お願い・・・」
 そう彼女は俺に懇願した。
 そしてそれと同時に泣き声がした。
 「お願い・・・いい子だから泣かないで、ね?いい子・・・いい子・・・」
 彼女は必死にそう言うが、俺は泣いてしまった。
 違う・・・
 これは俺が泣こうと思って泣いたんじゃない・・・体が勝手に・・・
 その次の瞬間、タンスのドアが開く。外から真っ暗な服を羽織った男が姿を現した。母を外へ引きずると、ナイフで刺そうと高く手を挙げる。俺は構わず母の体にしがみ付いた。しかし母は俺を引き剥がす。そして俺をドアの方へと突き飛ばした。
 母は立ち上がってあがいた。
 「リアム!逃げて!逃げるのよ!」
 そう叫びながら必死に男の動きを止めようと頑張った。しかしそれもすぐに終わってしまった。男は巧みに腕をくねらせ母の手を躱し、そして彼女の胸にナイフを刺した。母はたちまち声を失い、地に倒れる。
 俺はそれをただただ見つめて、立ち尽くすことしかできなかった。腰が抜けて立ち上がることすらできない。そして窓から差し込む月の光が男の顔を照らした。
 俺はその男の顔を見た。
 知った顔だ。
 ――その男はイルマーだった。
 イルマーはエクスタシーを味わいそして興奮した目つきで俺を見た。ゆっくりと歩み寄り、銀色に光る鮮血のナイフをちらつかせた。
 しかし一階から男の声がした。それと同時にイルマーは舌打ちをし、どこかへと消えていった。

 ――君の母は君のせいで死んだ。君が泣かなかったらイルマーは君と彼女を見つけることができなかった。
 気づいたら俺はまた暗闇の中に葬られていた。目の前にデミアン。
 ――君が少しでも我慢出来たら、君の母は死ななかったし、父がそれゆえ悲しむこともなかった。君が家族をバラバラにした。
 そう言ってデミアンの隣に父と母が現れた。鬼の様相でこちらを眺め、そしてずっと「お前のせいだ」と口にした。なぜかわからないが涙は流れなかった。その代わりに足の力が抜けた。
 俺はそのまま跪いてしまった。デミアンが近づいてくる。だがどうにもできそうにない。
 しかしそんなとき急に脳裏にイルマーの顔が映った。
 「・・・そうだ。すべてはあいつが悪い。イルマーが・・・イルマーさえいなければ、あいつさえいなければ母さんが殺されることはなかった!」
 そう思うと足に力が入った。
 ――ちっ
 デミアンの舌打ちが聞こえた。それと同時に父と母の虚像も雲散した。
 「俺のせいじゃない俺は悪くない俺は負けない!」
 自分の顔を力強く叩いて、デミアンを睨みつけた。そしてまた後ずさり、彼を伺う。今の俺にできることはそれしかない。外界の景色がたまにちらつくが、どうしてもまだこの暗闇から抜け出すことができない。戦いはまだしばらく続きそうだった。

 そして気づいたら俺はトムと、そして花と一緒に、屋敷のキッチンにいた。俺は後ろから殴られそして倒れた。だがすぐに目が覚めた。俺の目の前に、一人の少女が佇んでいた。彼女はまぎれもなく、花だった。
 彼女は倒れた俺の方を向き、そして包丁を渡してきた。自然と俺は口を開けた。
 「よくやった。ネイミー」
 そういうと、花は俺の胸に頭を擦り付けた。俺は彼女を軽く押し退けると、昏睡状態に陥ったトムを迷いもなく何度も刺し、そして肉をえぐった。トムはあっけなく死に絶えた。血が飛び散り、そして筋が跳ね、昔のトムはどこかへと消えていった。

 そして今度は広間に移動された。また眠りから覚めたところから始まった。相変わらず目の前には花が立っていた。さっきと同じように、今度はガラス製の細い花瓶を手に渡してきた。
 俺は彼女を褒めようと頭を撫でてやった。そして彼女は俺の方を向きながら口を開けた。横にいるイルマーのことなど存在しないも同然にしかとしていた。
 「デミアン。ほらあっちみて、あそこにクローデットって言うおいしそうなのがいるよ。あれが欲しいんでしょ?」
 「そうだよネイミー」
 そう言って俺は高々と笑い声を上げながらクローデットに迫った。彼女は死期を悟ったのか抵抗することをあきらめた。その代わりに俺の顔をじっと眺めながらこう言った。
 「あなたはリアムじゃない」
 その言葉に俺は引っかかった。

 そうだ!俺はリアムだ!だけどトムとクローデットを殺したのは俺じゃない。デミアンだ!そしてあれは花じゃない・・・ネイミーだ!

 分かったようでわかっていない俺は、それでもそう信じ続けた。やがて視界はまた真っ黒になり、気づいたらまた目の前にデミアンが現れた。
 ――次はこれだ。
 口角を不気味に上げながら彼はまた俺に何かを見せようとした。

 次に俺が現れたのは・・・俺の自宅の部屋だった。だが俺一人じゃなかった。目の前に誰か立っていた。
 「・・・花」
 花が笑いながら俺の方を見ていた。手にはピカピカと光った宝石が飾られた手鏡。彼女が俺に「宝物」を見せに来たのだ。いつもの俺だったら、そこで適当に受け流し、きれいだとか言って終わらせるのだが、なぜか今回は違かった。
 俺は邪気にまみれた笑みを一つ彼女に向けると、すかさず彼女の頬に向かって平手打ちした。
 不意に食らいベッドに倒れた花は目を大きく見開かせながら俺の方を見つめた。
 「え?リアム・・・なに?どうしたの?」
 俺はそんな上から彼女を押し倒すと、顔を近づけて囁いた。
 「いいか、俺はリアムじゃない。そしてお前は・・・花じゃない」
 「どういうこと?何を言っているの?」
 そう彼女が説明を求めると、俺はまた彼女の頬を打った。彼女は仰向けになりながらじっと俺のことを見つめ、赤く染まった柔らかそうな頬を手で押さえた。
 「十回言え、私は・・・そうだな、ネイミーと」
 「リアム、おかしいよ。今日のリアムおかしいよ!」
 そう彼女が言うと俺はすかさずまた打った。
 「早く言え!」
 「・・・私はネイミー」
 「――声が小さい!」
 「私はネイ・・・ミー・・・私はネイミー、私はネイミー」
 そしてフィルムが流れるようにして場面が変わった。
 気づいたら先ほどと同じように、部屋に俺は現れ、そして目の前に元気のない、衰弱し切った花が立っていた。さきほどと服装が違う。
 俺は笑って口を開いた。
 「俺はだれだ?」
 「・・・デミアン」
 「お前は誰だ?」
 「・・・私はネイミー」
 彼女は俯きながらそう言った。
 「いつもの俺は誰だ?」
 「リアム・・・リアム!リアム!」
 俺は花の頬を打った。すると彼女はまた静まり返る。
 「いつものお前は誰だ?」
 「・・・は、な」
 「どっちがどっちより偉い?」
 「・・・ネイミーの方が、花よりも・・・偉い」
 彼女は俺の質問に一つ一つ答えた。そして答えに正解すると、俺は満足そうに笑い、そして間違えれば打った。
 「スカートとパンツを脱いで、ケツを出せ」
 そう言うと、彼女は素直にそうして、艶やかな臀部をさらけ出した。そして俺も迷わずズボンを下げる。
 「さぁ・・・十回言え、お前は誰だ?」
 花は苦しそうに喘ぎながら白い息を吐く。
 「ああぁ・・・わ、わた・・あ・・・わたしはねいみぃひぃ・・・わたひぃは・・・ねい、み・・・いぃぃ・・・わ・・・」

 気づいたら俺はまた崩れていた。体全体に力が入らない。
 ・・・これは夢なのか?現実?まさか。
 自分は今まで気づかずずっと花をおかしていたというのか?いや、違う。これはデミアンの仕業だ。俺じゃない・・・!俺じゃない!
 ――封印し切られていなかった俺の欠片が君を操ったのさ。まあ、やったのがお前じゃなくても、お前は間近にいたあいつを助けることができなかったじゃないか。俺におかされた時も、そして彼女が階段から落ちそうになっていた時も。お前は無力だ。たった一人の女の子すら助けることができない。それなのに、自分を守ってくれた者までを殺してしまった。違うか?違うのか?いや、そうなんだろう?
 「うるせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!うるせぇ・・・」
 嗚咽が止まらない。自分は今まで何をしていたんだ。なんで何も気づかなかった。花が苦しんでいたのにも気づかなかった。トムも殺された。クローデットも。ジェイクだって守れなかった。叔父も!
 なんでこの屋敷に入ってしまった。なんで何も知らなかった。なぜあの遺書を読むことすらできなかった。
 ――遺書は俺の命令に従ってネイミーが破った。
 俺の心の声が聞こえたのか、デミアンはそう告げた。そして彼は俺の方へと歩み寄り、そして俺の耳に顔を近づけた。もう避ける気力も、戦う勇気も俺にはなかった。
 ――なぁいいかリアム。例え今まで見せたこれらすべてがお前のせいじゃなかったとしても、お前は母が殺されたあの事件に立ち向かうことを拒んだ。そして俺を生み、俺に苦痛を押し付け、お前は逃げた。もしお前が勇気をもってあの事件に立ち向かえていれば、俺はここにいなかったし、花もトムもクローデットも・・・ほかの誰も死ぬことはなかったんだよ。結局全部お前のせいじゃないか。そうだろ?
 「うぅう・・・俺は・・・俺は・・・」
 そこまで来て、まるで場違いな花の姿が俺の脳裏に映った。
 健気な笑みを顔に飾り、そして両手を後ろに組んで俺の方を見る。

 ああ・・・なんてかわいいんだろう。花・・・お前のことがずっと好きだった。好きだったんだ・・・

 何も見えなくなった。真っ暗だったはずの周囲が白く光り、花畑が広がっていった

 最後に聞いたのは横で響くデミアンの笑い声。そしていつしかそれが花の笑い声へと変わっていった。

 それっきり、暗闇はどこかへと消えていった。花が、花が俺を連れてどこか遠くへ、俺をこの闇の中から救い出してくれた・・・

 くれた・・・

 くれたんだ・・・