きっと、彼もまたこう言われるだろうことは想定内なのだろう。
あたしがどれだけ文句を並べても、顔色ひとつ変えずにじっとこちらを見つめてくるだけだった。

今思えば、これまでの入居者の中にも、あたしみたいに彼の姿や声を見たり聞いたりできる人がいたのかもしれない。
その度、この部屋から追い出されそうになることもあったのかもしれない。


彼がこの部屋に執着するのは、この部屋が彼にとって唯一の記憶の断片で、彼の唯一の居場所だったからなのかもしれない。


「俺は出て行かないよ。
どうしても記憶を取り戻したいんだ。
こうやって彷徨い続けてるのなんて可笑しいだろ」

「いやだからって、あたしだって突然知らない男の人と同棲するなんて絶対無理だし。
そもそもこの部屋の家賃払うのあたしなわけ。
あたしが不在な時まで電気付けて居座るって何?
電気代払うのあたしなんですけど?」

「それはごめん、謝るよ」


確かに、と小さく呟いて納得した彼は、顔の前で両手のひらを合わせてバツの悪そうな顔をした。
なかなか納得のいかないあたしを、どう説得しようか悩んでいるようだった。


「絃ちゃん、俺は死んでるんだよ」


目線を合わせず落ちた声は、重々しくて真剣だ。
彼の事情はわかった。
理解したつもりだ。
困っている人がいたら助けてあげたい。
だけど、こんな非日常を突き付けられた時、誰もが冷静でいられるか。


「俺はもう、生き返らない。
こうして今あんたと話して、俺からあんたに触れられて、でも俺は幽霊なんだよ。
絶対にあんたと同じには戻れない。
ならせめて、理由くらい突き止めて成仏したい」


無理難題を押し付けられて、深くため息をついた。
沈黙が続く部屋には、いつもなら気にならない秒針の音色がとても大きく響き渡る。
両手で顔を覆って目を閉じる。
もう一度、深く息を吐いて、顔をあげた。


ソファーの向かいに置かれたテレビ画面。
電源を入れていないため、真っ黒の液晶画面。
そこには、無表情の自分の姿が反射しているだけだった。
あたしには見えているはずの隣の彼が、確かにそこに存在してはいけないものであることを物語っていた。