まず、事態と情報を把握しよう。
自らを幽霊だと名乗る彼の名前は、小桜律(コザクラ リツ)。
歳は30。
しかし、容姿は亡くなった当時のままなので、25歳。
彼から物体に触れたり掴んだりはできるが、こちらから彼に何か干渉することはできない。
なぜ成仏できないのか本人もわからず、その理由を一緒に探してほしい……と。
生前の記憶がほとんどなくなってしまっているらしく、覚えているのは事故死だったことと、この部屋に住んでいたということ。
そんなわけで、死後5年もの間、この部屋と外界とを一人彷徨っていたそうだ。
時々彼を見ることができる人がいたみたいだけど、何も成仏への手がかりは掴めないまま。


「そんで、あんたの名前は?あんたも自己紹介してよ」


二人並んでソファーに座り直してから、静まった部屋で言葉を交わす。

律と名乗った彼は、リラックスしたようにソファーにもたれかかり、一方であたしは手のひらをぎゅっと握りしめたまま浅く腰掛けていた。


何食わぬ顔で催促をする彼を、あたしは黙って観察する。


「だーかーら、そんな睨まなくても獲って食ったりしないっての」

容姿そのものは生身の人間そのものなのに、なぜ通り抜けてしまうのだろうか。
こんなにもはっきり声が届いているのに、なぜ魂だけの存在なのだろうか。


「いと……」

「ん?」

「あたしの名前、ゆずりは、いと」


鞄から手帳とペンを取り出して、自分の名前を書く。


“楪 絃”


「漢字はこう。これでいとって読むの」


まるで読めないとでも言いたげな表情で、彼が首を傾げて文字を見ている。
初対面でフルネームをきっちり読める人とは滅多に出会わないため、その反応はあたしにとっては想定内だった。


手帳を開いたまま、あたしは話を続けた。


「歳は22。大学を卒業したばかり。
というか、この部屋に住んでまだ少ししか経っていないし、そもそも幽霊が住み着いてる事故物件だなんて聞いてない。
今すぐにでも大家さんに連絡してイチャモンつけてやりたいくらい」


キョトンとしている彼を尻目に、溢れ出してくる感情の波を淡々と吐き出していく。


「あたしはキミと一緒に住むつもりはないし、キミの手伝いをする気もないです。
今この部屋の契約者はあたし。
はい、わかったなら早く出て行って」