行く先のお見合い場所は、莉子と彼女の旦那が営む日本料理屋だ。
 店の規模自体は小さいものの、見た目も趣向を凝らした旬のお料理に、行き届いたおもてなし。本格的な割烹や料亭と比べて気軽に入りやすい雰囲気で、幅広い層から根強い人気を誇っている。
 このところ行くのを遠慮していたが、お守りの効果がまだ強かった頃は、玲央奈も莉子に促されてたまに顔を出していた。慣れないホテルのラウンジなどよりは、知らぬ場所ではないしまだ気楽かもしれない。

 今度こそトラブルもなく、無事に到着。
 約束の時間の十五分前。上々である。

「玲央奈、来てくれたのね! やっぱり私の見立て通り、着物姿がとっても素敵よ! 相手の方はだいぶ早く来て待っているの。ほら入って、入って」
「う、うん」

 暖簾をくぐれば、すぐに莉子が飛んできて出迎えてくれた。
 お団子にまとめた栗色の髪に、浅葱色の小紋を着た女将さんスタイル。丸みを帯びた柔らかな顔立ちには、満面の笑みが浮かんでいる。
 久しぶりに会う玲央奈の従姉妹は、いつものほんわかオーラを今日はウキウキさせて、なにやらご機嫌な様子だった。

「なんか機嫌がいいね、莉子姉」
「ふふ、さっきまでね、相手の方とお話ししていたんだけど、やっぱりすごく素敵な人で! 玲央奈もきっとすぐに仲良くなれると思うわ」

 電話でも話していた通り、莉子は随分と相手の男性を気に入っているらしい。「奥のお座敷にいるからついてきてちょうだい」と言われ、玲央奈は大人しく莉子の案内に従う。
 暖色系の照明に照らされた店の中は、ほのかに木の香りがして、どこか懐かしい空気が漂っていた。他のお客は団体が一組だけ。通常は夜からの営業なので、昼は土日のみ予約制でやっているそうだ。

「こちらよ。あんまり畏まらなくていいからね」
「う、うん」

 そうは言われても、カウンター席を通り過ぎてお座敷の障子戸の前に立てば、玲央奈とてさすがに緊張してきた。
 莉子の態度がフラットなので忘れがちだが、今からするのは『お見合い』。
 はなから断るつもりとはいえ、相手はどんな人なんだろう。

「失礼いたします、玲央奈が到着しました」

 一瞬だけ接客モードになった莉子が、厳かに障子戸を開ける。
 お座敷は内庭の景色が望める作りになっていて、小さいながらも整えられた庭には桜の木が堂々と立っていた。
 雨上がりの晴れた青空の下、散らずに残った花びらが雨粒を反射して輝いている。ハラリと落ちる桃色が美しい。
 だが桜を愛でる余裕は、残念ながら玲央奈にはなかった。

「え……」

 木目の座卓の前に、背筋を伸ばして凛と腰を落ち着ける男――本日二度目の天野の姿に、玲央奈は「な、ななななな」とあからさまに狼狽する。

「やあ。先ほどぶりだな、潮」
「な、なんのドッキリですか? 天野主任がお見合い相手って……!」
「あら、ふたりはまさかお知り合い?」

 きょとんとする莉子に、玲央奈がすかさず「会社の上司だよ!」と説明すれば、莉子はわざとなのか天然なのか、あくまでマイペースに「あらまあ、偶然ね」と両手を合わせて笑う。
 玲央奈からすれば偶然で済ませないでほしかった。

「すみません、潮さんが混乱しているようなので、少しふたりきりで話をさせてもらえませんか」
「そうね、『あとはお若いふたりだけで』というやつね。一度は言ってみたかった台詞なの!」

 天野がいかにも人の良さそうな表情(玲央奈からすればやはり胡散臭い)で申し出れば、なぜかテンションを上げる莉子。
 年齢で言えば天野の方が莉子より上だし、ツッコミどころしかないのだが、玲央奈にはそれを指摘する余裕はない。

「じゃあね、玲央奈。お食事は遅めにお出しするから、まずは気兼ねなくゆっくり天野さんと話してね。ふたりのためのスペシャルな料理も用意しているのよ」
「スペシャルな料理っ? いいよ、そこまでしなくても!」
「旦那も張り切っているから大丈夫よ。言ったでしょう? 天野さんのことはね、旦那もお気に入りなの」

 莉子の旦那こと、この料理屋の板前・伊藤千吉は、莉子とは年の離れた夫婦で四十歳。昔気質のストイックな料理人で、玲央奈は莉子つながりで可愛がってもらっているが、彼は基本的に人見知りだ。
 気難しい千吉さんにどうやって取り入ったんだと、莉子が去った後で、玲央奈は天野をじとりと睨む。

「莉子姉まで騙して、なにをたくらんでいるんですか」
「たくらむとはご挨拶だな。さっきだって、俺があやかしから君を助けたのに」
「あやかしって……!」

 ハッと、玲央奈は息を呑んだ。
 天野の瞳が赤く光り、燐火のように妖しく揺らめいていたのだ。
 瞬きの合間に戻ったが、玲央奈が道端で見た瞳の変化は見間違えなどではなかったらしい。

「主任は何者なんですか……?」
「まずは座るといい。順を追って話をしよう」