それから滞りもなく業務は進み、訪れた昼休憩の時間。
 デスクで手作りの弁当を広げたところで、スマホに着信が入っていることに玲央奈は気付いた。昨晩かかってきたようだがスルーしていたらしい。
 急ぎの用件だったら大変だと、玲央奈は廊下に出て、邪魔にならないよう隅っこで発信ボタンを押したのだが……。

「――はあ!? 今週末にお見合いしろ!?」

 すぐに電話は繋がったものの、予想もしていなかった用件に大声を出してしまい、慌てて口を閉じる。
 だが動揺は収まらず、玲央奈は小声でまくし立てた。

「今週末って明後日じゃない! お見合いってどういうこと? 私がするの? 相手は誰なわけ!?」
『落ち着いてよ、玲央奈。お見合いといっても、ちょっと玲央奈に紹介したい人がいるだけだから。ね?』

 そうめてくる通話の相手は、伊藤莉子。彼女は玲央奈の三つ上の従姉妹だ。
 年の離れた板前の旦那と日本料理屋を経営していて、性格は世話焼きかつおっとり屋さんのマイペース。
 玲央奈とは姉妹のように育った気の置けない間柄で、人間関係が希薄な玲央奈にとって、唯一心を許せる存在と言える。莉子も莉子で、玲香が亡くなってからは特に玲央奈を気にかけており、ときに世話焼き行為が行き過ぎることもあるくらいだ。
 今回は確実に、行き過ぎている案件だろう。

『うちの料理屋に、二ヶ月前からちょこちょこ来てくれている常連さんでね。すっごくいい人で、気難しいうちの旦那も珍しく気に入っているの。結婚相手を探しているらしくて、玲央奈の話をしたらぜひ会ってみたいって』
「いやだから、なんで私の話をするの? 私、結婚したいなんて一言も言ってないよね?」
『だってこのままだと、玲央奈が心配なんだもの、私』

 電話越しに、莉子の声が憂いを帯びる。

『中学の途中くらいから、玲央奈ったら急に人付き合いを避け出しちゃって。一匹狼みたいになったんだもの』
「一匹狼って……」

 思春期をこじらせたみたいな言い方は止めてほしい。
 莉子には玲央奈や玲香のような力はなく、あやかしについてはまったくの無知なので、呪いのことなんて明かせないが……。
 玲央奈は片手でそっと、セミロングの髪に隠れた首裏に触れる。
 十年前から変わらずそこにある、青い【呪】の文字。

 普通の人には見えないソレは、玲央奈の人生を狂わせている元凶だ。

 これがある限り、男性とろくに出掛けることすらできない。またあやかしの代わりにバッグで殴ってしまう。あのときは相手に謝り倒して事なきを得たが、玲央奈の突拍子もない行動は確実に引かれていた。
 そんな玲央奈が誰かとお付き合い、ましてや結婚なんて夢のまた夢である。

『なにもその人と、絶対に結婚しろなんて言っているわけじゃないのよ? ただ一度会ってお話するだけだから。それだけで終わってもいいの。私はね、玲央奈には常々、私以外にも誰か頼れる相手ができてほしいって願っていて……このお見合いがなにかのきっかけになればいいなって……』
「……もういいよ、わかったから」

 襲ってくるあやかしにも、営業から投げられる無茶な業務依頼にも、一切怯まず迎え撃つ強気な玲央奈だが、莉子の頼みには昔から滅法弱かった。
 玲央奈を想っての行動なことは重々承知なので、無下にできないのだ。

「本当に会うだけでいいのよね? 万が一に交際を申し込まれるようなことがあっても、私は百パーセント断るからね」
『うんうん。それで大丈夫よ。相手のプロフィールをまとめた資料や写真はいる? 必要なら今から用意するわ』
「別に……いらない」

 どうせ一度きりしか会うつもりはないし、玲央奈はあえて相手を知ろうとは思えなかった。事前情報など知るだけ無駄だ。こっちはあくまでも乗り気ではないのだという、ささやかな抵抗でもある。
 そんな玲央奈の思惑に対し、莉子は『じゃあ、相手がどんな人かは当日のお楽しみね』とポジティブな解釈をして、お見合いの場所と日時を告げると、あっさり通話を終了させた。
 スマホを耳から離し、玲央奈は痛むこめかみを押さえる。

「お見合いとか面倒しかないじゃない……ん? えっ!」

 ひとまず弁当を食べに戻ろうとしたところで、まさかの人物が視界に入る。
 玲央奈の近くの壁に背を預け、缶コーヒーを片手にんでいたのは天野だ。傍で見るとその造り物めいた美貌がよくわかり、完成された立ち姿も相まって、そのまま缶コーヒーのポスターにでも採用されそうである。
 彼は玲央奈の様子を窺っていたようで、またバッチリ目が合った。

「なんだ、電話は終わったのか?」
「天野主任、いつからそこにいたんですか……?」
「ついさっきだな。静かに一息つけるとこを探していたら、珍しく表情豊かに話す君を見つけて少し気になった。そういう顔もできるんだな」
「はあ……」

 表情云々は置いておくとして、莉子との会話は聞かれていたのだろうか。
 別に聞かれても問題はないが、自分のお見合い情報なんて進んで上司に知られたくはないので、できればなにも聞いていてほしくない。
 そんな玲央奈の心境を察してか、「ああ、安心しろ」と天野が付け加える。

「電話の内容なら、俺はなにも聞いていないぞ」
(あ、今のはウソだな)

 玲央奈は直感でそう判断した。
 これは聞いていたに違いない、絶対。
 周囲の者は皆、天野のことを『裏表のない誠実な人柄』だと評するが、それは騙されていると玲央奈は思う。彼は息をするようにウソをつくし、きっともっとひねくれていて食えない男だ。
 だって彼は、笑っていても目の奥の光が常に鋭い。
 綺麗すぎる顔と同じで、言動も造り物めいているのだ、なんとなく。
 だから玲央奈は、天野が苦手だった。

「それでは、私は失礼します」

 ふたりきりなど気まずさしか生まれないので、玲央奈はそそくさと立ち去ろうとする。だが去り際に、天野は「そういえばな」と軽い口調で爆弾を落としてきた。

「今週末はとても天気がいいらしい。素敵なお見合いになるといいな」
「なっ……!」

 バッと勢いよく振り向くが、天野は何食わぬ顔で缶コーヒーをっている。

(電話の内容、やっぱり聞いていたんじゃない……!)

 なにか文句を言ってやりたくて、だけど言葉が出ずに口をもごつかせる玲央奈に対し、天野の端正な横顔は憎らしいほど涼しげだ。
 まったく、この男のどこが『裏表のない誠実な人柄』だというのか。確実に意地が悪い。
 玲央奈は苦し紛れに「天気がいいならなによりです!」と言い捨て、その場を急ぎ足で後にする。
 やはり天野主任には、極力近付かない。
 そう決意を新たにしたのだった。

 ……一方で。
 遠退く玲央奈の後ろ姿を見送って、天野は薄い唇をゆるりと持ち上げる。その顔には意味ありげな笑みが浮かんでいた。

「本当に、素敵なお見合いになるといい」

 彼はそう呟いて、残ったブラックのコーヒーを飲み干した。