酒宴でのやり残した仕事をさくさくと済ませると、玲夜は屋敷に帰るべく足早に車へと向かう。

 その途中。


「あれぇ、そこにいるのは愛しの我が息子じゃないかぁ」

「あらぁ、ほんとだわぁ!」


 その聞き覚えのある間延びしたきゃぴきゃぴとした声に、玲夜の眉間に皺が寄る。

 関わり合いになりたくない玲夜は聞かなかったことにして足を速めるが、後ろからドタドタと足音が近付いてくる。


 そして、後ろから勢い良く抱き付かれた。
 右に男性。左に女性が、がっちりと玲夜の腕を掴んでいる。


「離して下さい。父さん、母さん」

「だってぇ、玲夜君が無視するんだもん」


 そう言ったのは、玲夜よりも若そうに見えるこの男性は玲夜の父親である。
 柔和で優しげな面立ち。明るく常にテンション高めの性格。
 威厳の欠片もないが、地位も霊力の強さも名実共にあやかしのトップに立つ鬼龍院の当主、鬼龍院千夜。


「やっぱり相変わらずのイ・ケ・メ・ン。でももっと笑った方が良いわよぉ」


 そして玲夜を挟んだ反対側にいる女性。
 とても玲夜のように大きな子供がいると思えない線が細く、幼げな雰囲気を持った、美女と言うより可愛いという表現が似合う女性が、玲夜の母親である鬼龍院沙良。

 この二人、本当に玲夜の両親かと疑うほどに玲夜とは性格が似ていない。

 明るく社交的でいつもニコニコと笑顔を浮かべた両親に比べ、人を寄せ付けない雰囲気で、触れれば切れそうな威圧感を持った、滅多に笑わない玲夜。

 初対面の者は雰囲気も性格も似ていなくて大抵驚くのだが、間違いなく血の繋がった実の親である。

 正直自分はもらわれっ子なのではと玲夜は今でも疑っているが、残念ながら沙良がお腹を痛めて産んだ事実は覆らない。

 
「ねぇねぇ、今日は玲夜君の花嫁は来てないのかい?」

「ええ。最終日には連れてくるつもりです」

「きゃあ、楽しみだわ。仏頂面の玲夜君が花嫁ちゃんの前ではどれだけデレデレになるのか見物ね」

「うんうん、楽しみだなあ」


 きゃいきゃいと喜ぶ両親に挟まれて、玲夜は居心地が悪そう。
 柚子以外で玲夜を振り回せる貴重な存在だ。


「……今急いでるので、離れて下さい」

「えぇー、もう?」


 玲夜の母が正面から抱き付いて、玲夜を引き止める。
 それを玲夜の父親はにやにやした笑みを浮かべて手を離した。


「沙良、玲夜君は早く愛しの花嫁ちゃんの所に帰りたいんだよぉ」

「あら、そうなの?そうなのね。若いって良いわぁ!昔を思い出しちゃう!メロメロなのね」

「そうそう、メロメロなんだよ~」


 何やら勝手に盛り上がっているが、離れたことにほっとする。


「今度は狐につままれないように気を付けるんだよぉ。鬼龍院の次期当主がそんなんじゃ頼りないからねぇ」


 玲夜ははっとして父親を見た。

 ふざけた言動をしているが、やはり鬼龍院の当主。
 その雰囲気から侮る者は一定数いるが、それはほとんど下位のあやかしだ。
 見た目でその力量は測れないという代表みたいな存在だ。
 威厳は皆無みたいな雰囲気だが、この父親に心酔しているあやかしは多い。

 どうやらすでに玲夜の情報は知っているということのようだ。


「言われずとも」


 玲夜の返事に満足そうにすると、沙良を伴ってまた酒宴へと戻っていった。


「戻るぞ」

「はい」


 両親の背を見送ってから、急ぎその場を後にした。

 屋敷に戻ってきた玲夜は使用人達からまだ柚子が戻っていないことを確認する。


「すでにあちらの家は出ているようですので、すぐに戻られるでしょう」

「なら外で待つ」


 心ない言葉にきっと傷付いているだろう柚子に、一番に会いたい。
 会って、お前には俺がいるから大丈夫だと安心させてやりたかった。

 今か今かと待っていると、柚子を乗せた車が戻ってきた。
 すぐに駆け寄ろうとした玲夜だったが、高道に声を掛けられた。


「あっ、玲夜様」

「なんだ?」

「胸元が汚れております」


 言われて見てみると、確かにネクタイの所に肌色の汚れが付いていた。


「きっと大奥様のファンデーションでしょうね。少し失礼致します」


 先程抱き付かれた時にでも付いたのだろう。
 高道はハンカチを取り出すと、少し身をかがめてネクタイの汚れを拭う。

 その直後。


「玲夜!!」


 まるで怒鳴りつけるような柚子の声が玲夜を呼んだ。