「恋、人……?玲夜に?」
口の中がカラカラと乾く。
桜子はいる。と言った。過去形ではなく。
それはつまり今もという事なのか。
けれど、玲夜はそんな素振り一切見せなかった。
何故なら、週三日でバイトに行き一緒に過ごし、それ以外の日も玲夜は仕事が終われば一目散に柚子の所へ帰ってくるのだ。
恋人などいる気配などないではないか。
「そんなの嘘です……。だって玲夜の周りにそんな人いなかったし、玲夜は私のこと愛してくれるって……」
「それは花嫁を逃がさぬための方便でしょう。それを信じてしまわれたのね、おかわいそうに」
桜子は憐憫を含んだ眼差しを柚子に向けた。
その表情は心から柚子をかわいそうだと思っているようだ。
「花嫁様が気付かれぬのも仕方がありませんわ。あのお二方は周りに知られぬよう慎重に逢瀬を重ねられているのですから」
「でも、あやかしは花嫁を大事に思うものだって……」
「花嫁を選ぶのはあやかしの本能。ええ、それは私も分かっていますわ。けれどあのお二人は、本能を超えた深い愛で繋がっていらっしゃるのです。それまでずっと愛し合っていた恋人と、突然現れた花嫁。理性と本能。いったいどちらが勝つのでしょうか?私は突然現れた花嫁よりも、お二人が一緒に過ごした時間と想いの方が勝ると思っておりますわ」
「だって……そんな……」
柚子の頭は真っ白になる。
それ以上を考えることを拒否するかのように。
婚約者がいたことでもショックだった。
けれど、それは一族で決められた政略で、そこに玲夜の心はなかったからすぐに安堵した。
けれど恋人は玲夜が決めた人だ。
花嫁はあやかしの本能が選ぶ伴侶だと言うが、桜子の言うようにどちらが勝るのか。柚子には分からない。
玲夜の言葉を信じたいと思うのに、そんな人がいたのかと、玲夜への失望も湧き上がってくる。
それと同時に、小さな疑問が。
「桜子さんは玲夜に恋人がいるって知っていて、それなのに玲夜の婚約者になったんですか?」
「ええ、知っておりましたわ。けれど、あのお二人は決して結ばれぬ仲なのです。私はそれが悔しくてならない。冷酷で感情を表さない玲夜様もあの方にだけは心を許され、とてもお似合いのお二人ですのに。どうやっても結ばれることはないかわいそうなお二人……。だから、私は決めましたの。あのお二人のためにお飾りの伴侶となり、お二人の仲を密かに見守ろうと」
頬が紅潮するほどに、桜子は熱弁する。
とても嘘を言っているようには見えない。
なら、これまでの玲夜は嘘だったのか……?
そうは思いたくなくないのに、目の前の桜子が許してくれない。
「花嫁様は鬼龍院家にとって大事なお方であることは変わりありません。きちんと玲夜様の伴侶として立てましょう。ですが花嫁様は玲夜さまの一番ではないことを理解して、決してあの方達の邪魔だけはなさらないで下さい」
そう言うと、スッと立ち上がった桜子。
「では、私はこれで失礼させていただきます」
「……っ。誰なんですか!玲夜の恋人って」
「見ていてお分かりになりませんか?」
「……」
分かるはずがない。玲夜が自分以上に誰かに優しくしているところなど見たことがないのだから。
「高道様ですわ」
柚子は一瞬桜子が何を言ったのか理解できなかった。
「……はっ?……え?高道さん……?」
柚子はぽかんと口を開けた。
「そうです」
「冗談……」
「などではありません。玲夜様と高道様はそのお立場故に、公にはできぬ密かな恋に身を焦がしておいでなのです。できることならば私がお二人の盾となり、お二人の恋を応援したく思っておりましたが、花嫁様が現れた以上は仕方がありませんね」
桜子はいつの間にか帰っていた。
机の上には桜子が置いていった冊子がある。
恐る恐る開いてみると、中には写真が貼ってあった。
登場人物は主に玲夜と高道。
高道に対して他人には見せない笑みを向けている玲夜、信頼を寄せていることが分かるものなどがあった。
そこはまだ許せる。
だが、中には抱き合っている様に見える写真やキスしている様なアングルの写真なども混ざっていて、これが証拠だとでも言っているかのよう。
玲夜も高道も男性だ。
世の中にはそういう人達がいることは知っている。
けれどまさか玲夜と高道がそういう関係だったなんて……。
しかし思い返してみれば、確かに玲夜は高道に対して並々ならぬ信頼を置いていた。
あれは秘書だからと思っていたが、恋人だったからなのか……?
柚子は完全に勘違いしていた。
玲夜と高道にとって不運だったのは、ここに透子と東吉がいなかったことだろう。
ツッコミが不在という不運。
花嫁のことをよく知らない柚子の考えを訂正してくれる者がいなかった。