祖母からお盆を受け取り、桜子が待つ客間へ。
透子と東吉から玲夜の婚約者の存在を聞いた後、玲夜には婚約者について聞いていた。
正式に婚約は白紙となり、桜子とは婚約者でなくなっているという答えが返ってきたので、ほっとしていたのだ。
だが、しかし、急に婚約を白紙にされた彼女の方はどう思っているのか。
柚子はそれが少し気になっていた。
政略だとは聞いているが、彼女は玲夜に恋慕を抱いていなかったのかと。
あやかしは強い者を好むと東吉から聞いている。
それなら玲夜はその対象として極上であることは柚子にも分かる。
何の用で柚子に会いに来たのか。
緊張したまま戸を開ける。
「失礼します」
部屋に入ると、座っていた女性の顔が柚子を向く。
その美しいかんばせに柚子ははっと息をのんだ。
黒く艶やかな長い髪と愛らしさも含んだ、精巧な人形のように美しい容姿。
間違いなく、これまで柚子が出会った女性の中で一番美しいと断言出来る女性だった。
きっと玲夜の隣に立っても、柚子のように見劣りするどころかお似合いだろう。
「あなたが花嫁様ですね?私、鬼山桜子と申します。突然の訪問、お許し下さい」
声まで愛らしい桜子の言葉にはっと我に返る。
「いえ、とんでもありません」
お盆を置いて、お茶を桜子の前に置く。
どうぞと柚子がすすめるままお茶を飲む、その一挙一動すら洗練されていて、とても育ちが良いだろうことが見える。
さすが鬼龍院家の次期当主の婚約者に選ばれた女性だと感嘆する。
ゆっくりと湯飲みを置いた桜子の視線が柚子を捕らえる。
「私のことはご存じですか?」
「あ……えっと、玲夜の婚約者だった方としか……。すみません」
「いえ、よろしいのですよ。花嫁様はまだ花嫁となられたばかりですものね。私の家、鬼山家は鬼龍院家の筆頭分家でございます。過去幾度か鬼龍院からお嫁に来られた方もおり、最も鬼龍院に近い家でもあります」
「そうなんですか……」
「高道様のお家と同じく、代々鬼龍院に仕えており、父は現当主様の右腕として、兄はグループの副社長として玲夜様をサポートしております」
柚子は副社長とは一度だけ面識があった。
バイトで玲夜の社長室で働くようになって直ぐに社長室を訪れたのだ。
その時は簡単な挨拶だけであったし、交わした名前も桜河としか言わなかったので、桜子の兄だということは今知った。
桜河もまた整った容姿だった。
言われてみれば、桜子とはどことなく似ている気がする。
「私も一族より玲夜様の婚約者に選ばれた時にはとても光栄なことと喜びましたの」
うっとりと語る桜子に、柚子は居たたまれなくなる。
その婚約者の座から引きずり下ろしたのは、突然現れた花嫁である柚子だ。
「あの……」
桜子は反応に困っている柚子に気付き、慌てて訂正する。
「ああ、勘違いなさらないで下さいね。婚約が白紙になった事で花嫁様を恨んではおりませんのよ」
本当だろうか?
けれど、柔らかく微笑む桜子からは敵意は感じられない。
「……恨んではおりませんけれど、花嫁様には知っておいていただきたかったので、今日こちらに参った次第です」
「何をですか?」
「ご自分の立ち位置と、立場をです。あなたはあくまで花嫁。鬼龍院の家を盛り立てるため、強い次代様を産むための母体でしかないということを。間違っても玲夜様から愛されようなどと見分不相応な希望は抱かぬようにとご忠告申し上げに来たのですわ」
桜子は変わらず綺麗で邪気のない微笑みを浮かべている。
けれど、その口から出る言葉は柚子を傷付けるものばかり。
お茶を一口飲んだことで終わるかと思われたが、次に発せられた言葉は最も柚子を傷付けた。
「玲夜様には以前より愛し合っている恋人がいらっしゃるのですよ」