コツコツと足音を立てて近付いてくる男性。
闇に溶けるような漆黒の髪と、血のように紅い瞳。
そして、人間離れした美しいその容姿に、柚子は手の痛みも忘れて見惚れていた。
男性は柚子の前で立ち止まると、じっと柚子を見つめる。
その紅い瞳に囚われる。
そして、ゆっくりと柚子に手を伸ばし、柚子の濡れた目元を拭う。
柚子の手を見て、眉をしかめた男性は舌打ちをした。
「この霊力、狐か……」
「あの……」
柚子が恐る恐る声を掛けると、男性の眼差しが再び柚子に向けられる。
「名前は?」
「えっ、あの」
「名前は何だ?」
怖いほどに整った無表情な顔と違い、柚子に問い掛けるその声はひどく甘く優しい。
「柚子です」
「柚子」
名前を呼び微笑かけてくる男性に、柚子はドキンと心臓が跳ねる。
「会いたかった」
「えっ、会いたかたって……」
この男性とは今が初対面だ。
これほどの美形忘れるはずがない。
しかも、この紅い目。きっと何かのあやかしだろう。
「俺は玲夜。鬼龍院玲夜だ。ずっと捜していた。俺の花嫁」
そう言って、手を気遣うようにそっと柚子を抱き寄せる玲夜。
柚子は言葉が出なかった。
鬼龍院とは、あやかしの中で最上位に位置する鬼。
あやかしを取りまとめる、トップに立つ家だ。
それに花嫁?
何を言っているのか理解できなかった。
そんな柚子に構わず、玲夜は柚子を離すと突然抱き上げた。
「うえぇ?あ、あの……」
「送る。こんな時間に出歩くのは危ない。家はどこだ?」
そう聞かれて柚子は口ごもった。
「どうした?」
「帰りたくないの……」
なので降ろして、という前に玲夜は柚子を抱き上げたまま歩き出した。
そして、路肩に止められていた黒塗りの高級車へ向かうと、スーツの男性が一礼して後部座席の扉を開けた。
玲夜は柚子と共に乗り込む。
柚子が混乱している間に扉は無情にも閉まってしまった。
そして走り出す車。
オロオロしていると、玲夜に頭をポンポンと撫でられた。
玲夜を見れば、その瞳は優しさに満ちていて初対面だというのに、何故だろうか、とても落ち着く。
会話はないのに、居心地が悪いとは感じない。
玲夜は火傷をした柚子の手を取る。
そっと上から触れられると、激しい痛みが走って、くぐもったうめき声が口から漏れる。
玲夜は手を乗せたままでいる。
何をしているのかと、じっと観察していると、玲夜の紅い目が淡く光を発した。
驚いてその瞳を注視していたが、玲夜の視線は火傷のある手に向けられたまま。
少しして、あれほど痛かった手の痛みが消えていくのを感じて手を見ると、火傷が綺麗さっぱりなくなっていた。
まるで最初から火傷などしていなかったように綺麗に元通りに。
「凄い……」
「他に痛いところはないか?」
柚子は顔を横に振って否定した。
「……あなたは鬼なの?」
「そうだ」
肯定されて、柚子も納得する。
その美しい人間離れした整った容姿に。
瑶太ですら及ばない美しさ。
鬼は、あやかしの中で最も強く美しいあやかしと言われている。
あやかしが人の中に現れるようになってからは、政治経済すらも掌握していると噂である。
鬼龍院は、人間もあやかしも含め、日本のトップに立つ家柄だ。
「どうして……?」
「何がどうしてだ?」
「えっと、この状況というか。私を助けてくれたり、私が今ここにいる状況がどうしてかと」
「言っただろう。俺の花嫁だと」
「花嫁……。私が?」
「そうだ」
「あなたの花嫁?」
「そうだ」
そんな馬鹿な。
けれど、玲夜の瞳は嘘を言っているようではない。真剣そのもの。
何か言葉を発しようとして口を開けたが、何も言葉が出なくて再び口を閉じる。
自分が花嫁?
花梨のように自分も……?
「信じられないか?」
玲夜の手がそっと頬に添えられる。
甘さを含んだ眼差しが柚子を捕らえる。



