「あ……」
互いに引っ張ったせいか、ワンピースは無残に破れてしまっていた。
祖父からもらったワンピース。
わざわざ朝から並んで買ってくれたのに、一度も袖を通す事なく破ってしまった。
柚子は呆然とワンピースを握り締める。
「もう、お姉ちゃんが引っ張るから破れちゃったじゃない」
もういらないとばかりに、ようやく花梨はワンピースから手を離した。
「お前達、部屋で何を騒いでいるんだ」
騒いでいたせいか、リビングから父親が顔を出す。
その後ろから母と瑶太までやってきていたが、柚子はそれどころではなかった。
引き裂かれたワンピース。
言葉にできない怒り。
柚子は花梨に向かって大きく手を引き上げた。
パンッと小気味よい音がする。
柚子の手がじわじわと痛みを感じたが、そんなことはどうでも良かった。
いままでこの家で理不尽なことはたくさんあったが、花梨に手を上げた事はなかった。
けれど、今回の事はとても許せる範疇を超えていた。
花梨は叩かれた頬を押さえ、涙ぐむ。
すぐに父親が怒鳴り込んできた。
「柚子!お前花梨に何をしているんだ!?」
大事な大事な花梨が叩かれて怒り心頭のようだが、父親を怖いとは思わなかった。
それよりも怒りが越えた。
「花梨が私の大事なワンピースを破ったのよ」
「私は貸してって言っただけだもん。それなのに意地悪して貸してくれなかったのはお姉ちゃんの方じゃない」
だいたいの状況を把握したらしい父親は、呆れるように溜息を吐いた。
「お前は姉だろう。ワンピースぐらい貸してあげなさい」
「叩かなくても良かったでしょう。花梨に傷が残ったらどうするの」
分かっていた。こんな状況で両親が味方するのは花梨だろうと。
けれど、実際に柚子の事情も聞かずに柚子を悪としてしまう両親には心底失望した。
もう笑いすら込み上げてくる。
「何を笑っているんだ、花梨に謝りなさい」
「嫌よ。なんで私が花梨なんかに謝らなきゃいけないのよ。
そもそもお父さん達が花梨を甘やかすからこんな事になったんでしょう。
私の事なんて二の次、花梨花梨花梨って花梨のことばっかり」
「それは、花梨は特別な子なのだから仕方ないでしょう」
「そんなの私には関係ないわよ。私にしたら花梨なんかただの甘やかされた我が儘女じゃない」
「おい」
柚子の言葉を遮るように、低い声が発せられる。
父親とは比べものにならない、低く威圧する声。
それまで頭に血が上っていた柚子の心を冷やすほどの威力を持った声。
瑶太が、花梨を庇うように抱き寄せ、柚子を睨み付けていた。
柚子を刺し殺しそうなほどの金の目。
蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった。
「俺の花梨を傷付ける者を俺は許さない。それ以上言うなら、花梨の姉と言えども容赦はしないぞ」
こいつもやはり花梨の味方。自分の味方になってくれる者はここにはいない。
そう思ったら、柚子は自棄になった。
「どう容赦しないって?何度でも言ってやるわよ。女王様気取りで、自分の思う通りにならないとすぐに癇癪を起こす我が儘むす……きゃあ!」
つらつらと毒を吐き捨てる柚子の手が、突如火に包まれた。
激しい熱さと痛み、そして肉の焼ける匂い。
これにはさすがに両親も驚いて近くに置いてあった花瓶の水を柚子の手にかけたが、火は収まらない。
しかし、花梨が瑶太の名を呼ぶと、何事もなかったように火は消え失せた。
妖狐の扱う炎の力。
実際に目にするのは初めてだったが、これがそれなのだろうと、柚子は先程まで頭に血が上っていたのが嘘のように冷静にそう判断した。



