「先輩、祥子さんに会ったんだ……へえ」
 握っていたカップを静かにテーブルに置くと、上村は私を見て微笑んだ。
目が、笑っていない。上村の瞳の中に、静かな怒りの炎がちらついた気がした。
「それで、何か言われたんですか? あいつは親不孝者だから気をつけろとか?」
「違う、祥子さんがそんなこと言うわけないじゃない! 上村ならわかるでしょう?」
「それじゃあ、一体何なんですか。第一、祥子さんがどうして先輩のこと知ってんの」
「それは、祥子さんがたまたま病院で私と上村が一緒にいるところを見かけたらしくって。その、私のことを上村の恋人だと勘違いしたらしくて……」
 私がそう言った途端に、上村はきつく眉根を寄せた。
「……へえ、一回寝ただけで恋人気取り? 先輩も、案外つまんないね」
 吐き捨てるように、上村が言う。胸がズキリと痛んだ。決して期待をしていたわけじゃないけれど、今の私には、やはりきつい。
「違うよ。それは誤解だってちゃんと説明した」
「じゃあ、何? 二人して一体俺に何がしたいわけ?」
「……上村、お母さんが亡くなってることどうして私に言ってくれなかったの?」
「そんなの、別に自分から言いふらすようなことでもないだろ」
「それはっ、そうだけど……。気を遣ってくれたんじゃないの? 私の母が病気を抱えているから……」
 それは、一縷の望みだった。私に黙っていたのは上村なりの優しさだと、そう信じたかった。だけど、返ってきた上村の声も視線も全て、今まで感じたことがないほどに冷たいものだった。
「別に。俺そんなにいい奴じゃないよ。先輩は知ってると思ってたけど」
「そんな、上村本当は優しいじゃない。どうして隠そうとするの?」
「……あんたホントにおめでたいな。何? 寝たら俺に情でも湧いた?」
 上村の、私を蔑むような視線に背筋が粟立つ。どうしたら? どう言えば私は上村の心を開くことができる?
「……そんなんじゃないよ。でも上村も苦しんでるんじゃないの? 私、見てられないんだよ。祥子さんだってそう。祥子さん上村のこと本当に心配してるよ。家族と……直人くんとちゃんと仲直りして欲しいって。このままでいいはずないって」
「祥子さん、そんなことまであんたに話してんのか。……ったく、何考えてんだよ」
「なんとか二人に仲直りして欲しいんだよ。一度くらい話してみたら――」
「悪いけど」
 上村の低く搾り出すような声に息を飲んだ。表情は変わらないのに、上村の静かな怒りの感情が矢のように突き刺さってくる。
「二度と俺のことに首突っ込まないで、先輩」
「あ……」
 ああ、まただ。またあの夜と同じ。上村は振り返ることもなくこの部屋を去って行く。
「待って上村っ……ごめん、ごめんなさい……」
 最後の私の声が、上村に届いたかどうかはわからない。
大きな音を立てて玄関のドアが閉まり、私はまたこの一人の部屋に取り残された。
 たぶんもう二度と、上村がこの部屋に来ることはないだろう。
頑丈なドアに私と上村が永遠に隔てられたような気がして、胸が締め付けられる。
 その時、玄関ドアの前にうずくまる私の足先に何かが触れた。
キッチンの床にそのままにしていたグレープフルーツが、まるで私を追いかけるようにここまで転がってきていた。
 ……それは、まるで呪縛のようで。
ビニール袋から溢れて、床を埋め尽くすように転がるたくさんの黄色い果実から私は目を離すことができなかった。