「よかったらどうぞ」
「ありがとうございます」
 土井さんから缶コーヒーを受け取り、一口飲んだ。冷たく甘いコーヒーがカラカラに乾いた喉を滑り落ちる。土井さんに突然声をかけられた理由がわからない私は、漠然とした不安を感じ緊張していた。
「あの子……達哉は、私の姉の子供なの。私は姉より達哉との方が年が近いから、子供の頃は兄弟みたいにして遊んでたわ」
「ああ、それで上村くんは土井さんのことを祥子さんって呼んでたんですね」
「そうよ。でもどうしてそれを?」
「土井さん、先日会社にいらしてましたよね。実はあの時、私も土井さんのことお見かけしたんです」
「ああ、三谷さんもあそこにいらしたのね。ねえ三谷さん、良かったら私のこと名前で呼んでくれない? 私もあなたのこと、下のお名前で呼ばせてもらってもいいかしら?」
「もちろんです。――私、香奈っていうんです。三谷香奈」
「香奈さんね。素敵、かわいらしい名前だわ」
 祥子さんの心遣いに心が温かくなる。きっと私が緊張していることに気付いて、距離を縮めようとしてくれたのだろう。母以外の人に下の名前で呼ばれるなんて久しぶりで、少しこそばゆかった。
「ねえ、香奈さんはあのときのこと、達哉に何か聞いてる?」
「あの時って……祥子さんが会社にいらしてた時ですか?」
「そう」
「いえ……特には何も。そういえば、その数日前にオアシス部で祥子さんからの電話を受けたのも私だったんですけど、上村くんにそのことを伝えたら、何故か急に機嫌が悪くなってしまって。……私、彼を怒らせたみたいです」
「ええっ、そうだったの? ごめんなさい。私ったら知らず知らずのうちに、香奈さんのこと巻き込んでしまってたのね」
「いえ、電話を受けるのも仕事のうちですから。ただどうして彼が機嫌を悪くしたのか私にはさっぱりわからなくて、ずっと気になってたんです」
 私が言うと、祥子さんは少し寂しげに微笑んだ。
「それはきっと、私のせいね。実はあの日は、達哉の母親の命日だったの」
「え? 上村くんのお母さん、亡くなってるんですか?」
「ええ、姉は四年前に亡くなってるのよ。達哉から聞いてなかった?」
「はい、何も……」
 母親のことどころか、上村のプライベートのことなんて私は何も知らない。母の病気のことも過去の恋愛話も、私は何もかも打ち明けているのに、上村は自分のことになると途端に寡黙になる。
やっぱり私は、上村の心の壁を取り払えるような存在ではなかったのだ。最初からわかっていたはずなのに、こうやって改めて思い知らされると胸が痛い。
「達哉ってあまり自分のこと話さないでしょう?」
「ええ……どちらかと言うと、そうかもしれないですね」