来た時と同じスクランブル交差点で信号待ちをしていると、道路を挟んだ向こう側に浴衣姿の女性を見つけた。まだ大学生くらいだろうか、恋人らしき男性と仲良さそうに話している。
 歩行者信号が青になり、私は浴衣の彼女を目で追いながら上村の後ろをついていった。
すれ違いざまに、はぐれないようどちらともなく手を繋ぐ二人の姿が目に入った。
横断歩道を渡りきり、私はほんの一瞬だけ目を閉じた。彼女が締めていた緋色の帯が、残像となって目蓋の裏に残っている。
 母はきっとあの二人のように、私と鳴沢さんが仲良く寄り添って歩く姿を想像しながら、あの浴衣を仕立てたのだろう。
私はそんな些細な母の願いも叶えてあげられなかった。今朝見た母の静かな寝顔を思い出し、胸が痛む。
「先輩、どうかしたんですか?」
 なかなか進もうとしない私を不審に思ったのか、少し先で私を待っていた上村がこちらへ戻ってきた。
「ごめん、なんでもないの。行こう」
「先輩……浴衣」
 上村はさっきの女性に気付いたらしい。ゆっくりと私に視線を戻すと、続けて問いかけた。
「ひょっとして、あの人のこと見てた?」
「……うん」
 たぶん上村は、私が母のことを考えていたことに気付いたんだろう。それ以上そのことには触れず、車を停めたコインパーキングに向けて再び歩き出した。
 私も黙って上村を追う。パーキングに向かう途中でも、浴衣姿の女性や子供と何度かすれ違った。
 車に乗り込んでからも上村は無言だった。BGMも流れない、静かな車内がなんだか息苦しくて、私はずっと窓の外を眺めていた。
「あ」
「どうしたの?」
 それまで静かだったのに、急に声を発した上村に驚いた。信号で停まった交差点で、上村は私とは逆の方を向いていた。
「今日じゃない? 照国神社(てるくにじんじゃ)六月灯(ろくがつどう)。先輩、見て」
 上村が指差した先に、花柄の浴衣に真っ赤な金魚の尾ひれような兵児帯(へこおび)を締めた小さな女の子が、四角柱型の(とう)ろうを抱えて歩くのが見えた。燈ろうの側面には和紙が張り付けてあり、四方に有名なキャラクターのイラストが描いてある。
「懐かしい。私も自分で絵を描いた燈ろうを持って、近くの神社の六月灯に行ったな。夜店で母に綿菓子買ってもらうのが楽しみだった」
 それはもう遠い記憶だ。夏の宵闇の中を、母と二人手を繋いで歩く。
神社の入り口の鳥居から境内まで、ろうそくを灯した燈ろうがずらりと下げられていて、夢中になって自分が絵を描いた燈ろうを探した。
 あの時も、母が仕立てた浴衣を着ていた。一面にピンクの朝顔が散った浴衣は私のお気に入りで、背が伸びて着られなくなった後も、大事に仕舞っておいた。たぶん今も母の部屋の押し入れに、大切に取ってあるはずだ。
 あの頃は、ずっと母といられるのだと思っていた。ずっと母の温かい手を握っていられるのだと信じていた。私はそれを今、失いかけている。
 信号が青になり、車が動き出す。私は、滲んだ涙を上村に気付かれないように、再び顔を窓の外に向けた。