いつもの棚から茶筒と急須と湯呑を取り出し、セットする。
こんな時は、濃い目入れた玉露がいい。いつもよりぬるめのお湯を急須に注いで、きっちり三分蒸らしの時間を取る。
 急須から漂う玉露の香りを胸いっぱいに吸い込んで息を吐く。とりあえず母のことは置いておいて、今は仕事に集中しなければ。
 今度は味を楽しもうと湯呑に手を伸ばした時、「先輩」と後ろから声をかけられた。振り向くと、出先から戻ったばかりなのだろう、額に薄く汗をかいた上村が立っていた。
「ああ上村、おつかれさま。リストランテHiraに行ってたんでしょう? どう、契約うまくまとまりそう?」
「そうですね、まあ」
 返事は素っ気ないけれど、上村は自信ありげな顔をしている。ずっと手こずっているみたいだったけど、きっとうまくいったんだろう。
「そう、良かったじゃない」
 上村からいい報告を聞けて、自然と笑顔になる。私は上機嫌で湯呑に口をつけた。
「喉渇いたなー。先輩、俺にも一杯もらえますか?」
「いいけど、熱いお茶でいいの?」
 上村は汗が滲んだ首筋をハンカチで拭っている。
「冷たいのがいいけど、それよりも先輩が入れたお茶がいい」
「な……」
 上村の言葉に一瞬、胸が音を立てた。
ほんの少し間を空けて、上村を見る。いつものように片頬を上げて憎らしい笑みを浮かべている。
 一瞬でも、意識した自分が馬鹿らしい。上村は、どうせいつもみたいに私をからかって遊んでいるだけだ。
「……仕方ないわね」
 上村から視線を逸らして、私は近くにある戸棚に手を伸ばした。
 ガラスのコップを取り出すと、冷凍庫から取り出した氷をコップ一杯に入れる。そこに入れたてのお茶を注いだ。
熱いお茶で解けた氷が、コップの中でカランと涼しげな音を立てる。
「あー、それうまそう」
「はい、どうぞ。軽くコップを揺すってから飲んでね」
 私がコップを手渡すと、上村は言われた通りにコップを揺すった。素直に言うことを聞く上村がかわいく思えて、思わず笑みが浮かぶ。
上村は氷が解けたのを確認すると、一息に飲み干した。
「うまい! ありがとうございました」
「うまいって、味わう暇なんてなかったじゃない」
 そう茶化しながら、上村から空になったコップを受け取った。
お茶を入れるくらい、あの日上村に助けてもらったことに比べたらなんてことない。
 あの夜以来、上村と会社で二人になるのは初めてだった。母のことがあって上村も遠慮しているのか、最近はあまり部屋を訪ねてこない。
 私はずっと上村にあの夜のことを謝りたいと思っていた。