「処置が早かったので、今容態は安定してます。後で医師からご説明いたしますので、こちらでしばらくお待ちくださいね」
 にこやかにそう告げると、看護師さんは病室を出て行った。
 そっと手を伸ばし、点滴に繋がれた母の手を握った。骨ばった母の手の甲を何度も何度も撫でさする。
手のひらに母のぬくもりを感じ、生きていてくれた母に心の中で『ありがとう』と何度も囁いた。
「先輩、俺外で待ってます。もう一人でも大丈夫ですよね」
「……うん、大丈夫」
「じゃあ、俺……」
「……上村!」
 ドアの前で上村が立ち止まり、私を振り向いた。
「……ありがとう、上村がいてくれて助かった。本当に、ありがとう」
 上村は私の言葉に目を細めると、静かに病室から出て行った。

 ドアが閉まったことを確認して、ベッドの母へと視線を戻す。母の寝顔を見つめ、はあっと大きく息を吐いた。
 今まで何でも一人でやってこれたのに、母の病状が急変したと聞いた途端、私はぼろぼろになった。私に冷静さを取り戻してくれたのは、たまたま側にいた上村だ。
 でもこれ以上。上村のことを頼りにしてはダメだ。
私には、誰もいない。この不安を打ち明けられる人なんて、誰も。
死んだように眠る母と二人きりのこの病室で、母を失うことへの恐怖が再び波のように押し寄せてきた。不安に押し潰されそうになる。
両手できつく握り締めた母の手を額にあて、私は祈るように目蓋を閉じた。
 ―――その時、握り締めた母の人差し指が、微かに動いた気がした。
「……母さん?」
 呼びかけると、今度は閉じたままの母の目蓋がピクッと反応した。
「母さん、わかる? 私よ。香奈!!」
 うっすらと母の目蓋が開く。
「か……な?」
「よかった……、母さん。本当によかった……」
 私は繋いでいた母の手を、更に強く握り締めた。母はそれに応えるように、ゆっくりと指の腹で私の手を撫でてくれた。              
 触れ合ううちに安心したのか、私の手に触れたまま母は再び眠りに落ちた。
眠りに落ちる寸前、私に見せた微笑はいつもの穏やかさに満ちていた。普段の母に戻ったようで、ようやく私も肩の力が抜けた。
 それでもやはり医師からの説明は、決して安心できるものではなかった。
覚悟をしておいてくださいと言われ、呆然としたまま夜間外来のドアを押し、上村と二人で病院を後にした。