目を閉じて、何度も深呼吸を繰り返す。大丈夫、きっと母さんは大丈夫。呪文のように心の中で何度もそう唱えた。
「ご、ごめん上村。大丈夫だからもう離して」
 冷静さを取り戻すと、上村に縋りついていることが急に恥ずかしくなった。両手で上村の胸を押して、自分から距離を取る。
「本当に大丈夫?」
「うん」
「よかった。俺、車回してきますから、用意できたらすぐ降りてきてください」
「わかったわ、ありがとう」
 上村を見送り、鞄に財布とスマホだけ投げ込むと、私もすぐに後を追いかけた。

 病院へ到着するとすぐ、時間外の受付へと走った。
車を駐車場に停めに行った上村を待たずに、母の病室がある階へと急ぐ。エレベーターから降りると、すでに廊下の照明は消えていた。ナースステーションだけが、煌々と灯りを放っている。シンと静まり返った廊下を、音を立てないように早足で歩いてそこに向かった。
「すっ、すみません! お電話いただいた三谷ですっ」
 ずっと走ってきたせいで、息が上がっていた。片手で胸を押さえ、どうにか声を出す。
「ああ、三谷 好江(よしえ)さんのご家族の方ですね。ご案内しますのでこちらにどうぞ」
 焦りのあまり声が上擦ってしまった私とは対照的な、ずいぶんのんびりとした看護師さんの声に力が抜けそうになった。
 この分なら、母は大したことないんじゃないだろうか? かかってきた電話も、実は病院の間違いだったとか……。
そんな期待を持ちながら看護師さんの後を追う。
しかし私が案内されたのは、普段母が過ごしている病室ではなく、ナースステーションのすぐ隣にあるICUだった。
 入り口からベッド回りに聳えるように医療機器が並んでいるのが見える。断続的に聞こえる機械音に足が竦んだ。
 母を、母の顔を見るのが怖い。
もしもこのまま目を覚まさなかったら……
体が恐怖感で一杯になり、どうしても足を前に動かせない。
「入っていただいて大丈夫ですよ、三谷さん」
 中に入っていいものか迷っているとでも思ったのか、看護師さんが私に優しく声をかけてくれた。それでもどうしても体が動かず入り口で立ち竦んでいると、誰かが優しく私の肩に触れた。
「大丈夫ですよ、先輩。俺も一緒に入ります」
 遅れてきた上村がそっと私の肩を押す。私は彼と一緒に、おそるおそる病室の中に足を踏み入れた。
 ベッド脇の機械の照明が母の顔を青白く照らしている。
母は、眠っていた。数秒毎に白く濁る酸素マスクと、微かに上下する胸元が母は確かに生きているということを教えてくれる。安心して、思わずため息がこぼれた。