週末の間に、ようやく気象庁が梅雨明けを発表した。今日は朝から抜けるような青空が広がっている。
 バスから降りると、通りの木々から長く降り続いた雨の代わりにクマゼミのやかましい声が降り注ぐ。
黒い日傘でそれを受け、私は母が待つ病院を目指した。
日傘で日差しはかわせても、アスファルトからの照り返しが眩しい。あまりの暑さに病院のエントランスに着く頃には、額から汗が吹き出ていた。
「母さん、どう?」
「香奈、いらっしゃい」
 ヘッドボードにもたれたまま、母は私を出迎えた。私を見て、途端に顔を綻ばせる。
口には決して出さないけれど、私が来るのをずっと待っていたのだろう。
元気そうな母を見て、今日は体を起こしていられるほどには気分がいいんだな、と安堵する。
「気分良さそうね、よかった」
「やっとお天気になったからね。窓からの景色が気持ちいいわ」
 湾を挟んで対岸に美しい山々を臨むこのホスピスは、晴れてさえいれば病室からの眺めもとても素晴らしい。窓から入り込む潮の香りが、病院特有の消毒液の匂いを消してくれるようだ。
どうか母が日々心穏やかに過ごせますように。その一心で私が探し出した。
「もうすっかり夏ね。そういえば浴衣はちゃんと虫干ししてる? 今日みたいによく晴れた日にするといいわよ」
「そうね、帰ったらやっておくわ。……今年も着る機会があるかはわからないけど」
 私の返事に母は少しだけ視線を落とした。紫の生地に薄い黄色から白のグラデーションの百合を散らした浴衣は、和裁師である母からの結婚祝いの品だった。
『これを着て鳴沢さんとデートに行くところ、母さんにも見せてね』
 そう言って母から浴衣を送られた時は、私も幸せの絶頂にいた。
ずっと私を女で一つで育ててくれた母は、私の結婚を心から喜んでくれた。でも母に浴衣を送られてすぐに鳴沢さんの浮気が発覚し、そのまま私は彼と別れてしまった。
結局私は、浴衣に一度も袖を通していない。