「お先に失礼しまーす」
 数名の女の子たちが、定時ピッタリにパソコンの電源を落とし、そそくさと更衣室に消えていった。いつもはもうちょっと遠慮して、定時5分過ぎくらいまではデスクにいるのに。
 デスクの上のカレンダーを見て、「ああ」と思い出した。
そういえば今日は飲み会だって言ってたな。
どうりでみんな早いわけだ。今頃、トイレの鏡の前は大混雑だろう。
 ――結局、上村とは給湯室でお茶を入れてもらって以来話していない。
異動して一ヶ月、仕事が軌道に乗ったらしく、上村はかなり忙しそうだ。社内で顔を合わせることもあまりない。
 もしかしたら、仕事にかまけて、上村は鍵の存在を忘れてしまったのかもしれない。
 それならば、それでもいい。
合鍵もあるし、実を言うと、そう不自由しているわけでもなかったのだ。
 
「美奈子たち今日合コンにでも行くのかなあー。やけに気合入った髪形してませんでした?」
 いつの間に近くまで来ていたのか、私の耳元で響子がポツリと呟いた。
「飲み会があるって言ってたけど、響子は誘われてないの?」
「誘われても行きませんよ! あの子たちの飲み会、男が絡むと凄いですもん。真剣すぎてこっちが引いちゃうくらい」
 と言いつつ、響子はぷうっと頬を膨らます。誘われなかったことに、腹を立ててるみたいだ。
「……そのわりには、何だか羨ましそうじゃない?」
「そりゃ、私だって彼氏欲しいですもん。あれ、三谷さんも帰っちゃうんですか? まさか同じ飲み会?」
「そんなわけないでしょ。私は仕事が終わったの。響子も週末くらい早く帰んなさいよ」
「はぁい」と呟く響子の肩を軽く叩き、パソコンの画面が終了したことを確認すると、私はオフィスを後にした。

 会社からの帰り道、マンション近くのスーパーに立ち寄って、夕飯の食材を買って帰った。
 私は普段からできるかぎり自炊をするようにしている。
どうしても疲れてしまった時は、コンビニの弁当や買って来た惣菜を食べることもある。でも、それが毎日となると、日々の仕事を乗り切る力が湧いてこないような気がするのだ。
 食事とシャワーをすませて部屋でくつろいでいると、突然玄関のインターホンが鳴った。
時計はすでに午後10時を指している。こんな時間に約束もなしにやってくる人なんて誰も思い当たらない。
 きっと部屋を間違えたんだろう。そうでなければ酔っ払いかな。
私はしつこく鳴るインターホンには応答せず、突然の来訪者が間違いに気付き去っていくのを静かに待った。
 すると今度は、ガチャガチャと鍵を差し込む音がする。
勘違いしたまま自分の家の鍵を無理やり押し込もうとしているとか?
それとも……泥棒!?
 急に怖くなった私は、キッチンの棚からフライパンを取り出し、玄関へと向かった。
鍵を開ける音が聞こえて、慌てて玄関照明のスイッチを押した。
照明が玄関を明るく照らすのと同時にドアが開く。
意を決してドアの前まで駆け寄ると、私は無我夢中でフライパンを振りかぶった。
「ど、どろぼ……」
「うわっ、危ねっ!!」
 ドサッと音を立ててビジネスバックが床に落ち、その拍子に何かが三和土(たたき)をコロコロと転がったのが視界の端に映った。
 恐る恐る顔を上げる。背中を玄関ドアに預け、片腕でフライパンからの攻撃をかわそうと身構えていたのは、なんと上村だった。