無言で腕を取られ、上村に引きずられるようにしてエレベーターに乗り込んだ。私は四角い箱の中で、再び襲う眠気と必死で戦った。
 エレベーターの階数表示が数字の3に変わる。上村は再び私の手を取り、薄暗い廊下に足を踏み出した。
 夜更けのマンションの廊下を、二人の足音だけが固く響く。
上村はもう私を支えようとはしない。早く私を送り届けて解放されたいんだろう。私は先を行く彼の背中を無言で追いかけた。
「開けて、鍵」
「あ、はい」
 上村に促され、慌てて鞄の中を探る。酔いが回っているせいで、なかなか鍵を見つけることができない。
 ようやく鞄の内ポケットの奥に鍵を見つけた。覚束ない手つきでなんとか鍵を取り出すと、これ以上は待てなかったのか、上村は私から鍵を奪い取り、さっさとドアを開けてしまった。
 上村に手を引かれ、中に入る。自分の部屋の匂いに安心した私は、電気もつけずにそのまま玄関先に座り込んだ。
「ごめん上村。本当にありがとう」
 頭を抱えそう言っても、上村が部屋を出る気配はない。
顔を上げると、何故か挑戦的な笑みで私を見下ろす上村がいた。
「あ、鍵。そこに置いといてくれる?」
 私はシューズボックスの上を指差した。でも、上村はなかなか鍵を返そうとしない。
「上村、だから鍵。まだ持ってるよね?」
 声に苛立ちを交え、今度は上村に向かって手を伸ばした。
 早く楽な服に着替えて、ベッドに飛び込みたいのに。何を考えているのか、上村はやはりにやけた顔で私を見つめている。
「ここまでしてやっても、先輩が俺のこと黙っているっていう保証はないよね」
「はあ? この期に及んで何言ってるの? 口外なんてしないわよ。なんでそんな面倒くさいこと……」
 余計なことを言いかけて、慌てて口を噤んだ。上村がきゅっと眉根を寄せる。
 ……ああ私、また上村を怒らせた?
「ふーん、先輩は俺のことが面倒くさいんだ」
 そう言いながら、上村はようやく手のひらを開いてみせた。私は、彼の手のひらの上にある鍵に手を伸ばす。
「あ、ありが――」
「これは、預かっておきます。俺も保険が欲しいんで」
 チャリ……と玄関に金属音が響く。上村はその場にしゃがみ込むと、指先でチャームを摘み、私の目の前に鍵をぶら下げた。
「ちょっと、ふざけてないで返しなさい」
 けれども、伸ばした手は虚しく空を切る。
『チャリン!』
 上村の掌で、また私の鍵がチャームとぶつかって音を立てた。
「合鍵くらい持ってるでしょ?」
 鋭い視線とはうらはらに、上村は口元だけで笑みを作る。
「……そういう問題じゃないでしょう?」
「とにかく、このことは二人だけの秘密ですよ。誰かに知れたら面倒だもんね」
 言葉は優しげなのに、上村の声は実に冷たく脳裏に響く。酔いで淀んでいた思考も、少しずつクリアになっていく。
「また来ますよ。まあ、そのうちに」
 開いたドアの隙間から外の空気が入り込み、怒りで上気した私の頬を撫でる。先ほどよりも冷たくなった夜気に思わず自分の肩を抱いた。
「それじゃあ、また会社でね、三谷先輩」
 上村の広い背中が無機質な壁のように視界を塞ぐ。
僅かに私を振り返った上村の横顔に廊下の白っぽい蛍光灯の光が当たり、彼はまた笑っているんだと気がついた。
 一瞬見せた笑みの冷たさに、頭が真っ白になる。
目の前でゆっくりとドアが動き、漏れる光の幅が徐々に狭まっていく。
そうして私は、一人暗闇の中に取り残された。疲労が体を埋め尽くし、もう一ミリも動けなかった。