グレープフルーツを食べなさい

「……達哉ぁ、その人誰?」
 聞こえてきたその声に、ようやく上村の力が緩んだ。
しかしその手は私の手首をしっかりと掴んだままだ。
「ああ、こいつ? 俺の新しい女。ってわけで、おまえもう用済みだから、さっさと帰れよ」
 上村の言葉に女性はヒッとしゃくりあげ、再び泣き出してしまった。
「行きましょう、先輩」
「えっ? あの人は……」
「いいから」
 上村は、わけがわからず狼狽える私の手を取ると、強引に引っ張った。
「ちょ、ちょっと!!」
 私の抗議の声も上村には届かない。
私はそのまま引きずられるようにして、上村についていった。
                                 
「上村、お願いだからちょっと待って!!」
「……なんですか」
 歩幅の広い上村に合わせてずっと駆け足で着いてきたけれど、もう限界だった。
 このまま私をどこに連れて行くつもりなんだろう。
四月の夜はまだ肌寒いのに、額には薄っすらと汗が浮かんでいた。
「ちょっと……、どういうことなの? ちゃんと説明してよ」
「どうって、ずっと覗き見してたならわかるでしょ」
「覗き見って、上村……」
 本当に目の前の男はあの上村なんだろうか?
冷ややかに私を見下ろす瞳、片方だけ僅かに上がった唇。
混乱している私を見て、上村は明らかに面白がっている。
「先輩も案外ひどいよね。他人のことなんて興味なさそうな顔して、ちゃっかり……」
「それは違う! たまたまよ。会社を出たら、駐車場から人の声がしたから――」
「あー、はいはい。言い訳はいいから」
「だから、言い訳なんかじゃ……」
 上村はふっ、と口元を歪めて笑うと、冷たい瞳で私を見下ろした。
これ……本当に上村?
私が知っている上村と、この別人のような上村とのギャップをどうしても埋められない。
「ところで先輩、もう帰るの?」
 呆然としていた私は、上村の声でようやく我に返った。
「そうだけど……」
「じゃあ飲みに行くよ。はい、決まり」
 勝手に決めると、上村はまた無理やり私の手を取って歩き出した。
「ちょっ、上村! 何でよ? 私残業続きで疲れてーー」
「聞こえない」
 上村の有無を言わさない一言に気圧され、私は黙って彼の後に続いた。