また今日も残業になった。
年度初めからの二週間の大半を新入社員指導に費やしたつけがまわり、四月の後半は毎年目の回るような忙しさになる。
この時間はもう、社屋の裏側にある通用口しか開いていないはず。
せめて終バスを逃すまいと、私はエレベーターを降りると早足で通用口目指した。
 会社の裏手から出て、社屋の正面側に出ようと数メートル歩いたところで、誰かが言い争うような声が聞こえた。
立ち止まり辺りを見回すと、従業員用の駐車場にぼんやりと二つシルエットが浮かんで見える。
妙な胸騒ぎがして、私は彼らに気づかれないように足音を忍ばせそっと近付いた。
「どうして別れなきゃいけないの? 私には距離なんて苦じゃない!!」
「そんなこと一言も言ってねえだろ。……迷惑なんだよ」
 聞こえてきた冷たい声音に、ハッと息を呑んだ。
この声……上村だ。でも、本当に?
普段会社で見せる姿とあまりにかけ離れた上村の口調に、私は愕然とした。
「ねえ、達哉……お願い」
「いい加減諦めて帰れよ」
 上村はそう冷たく言い放つと、彼のシャツの背中に縋った女性の手を振り払った。
「飽きたんだよ。俺には未練なんてない」
 上村はその場に泣き崩れる女性をそのままに、こちらへと歩いてくる。
次の瞬間、覚束ない視界の中で、上村と視線がぶつかった気がした。
「……三谷先輩?」
 ――声が、出ない。
 上村の足音だけが真っ暗な駐車場に響く。
どうしよう、こっちに来るわ。
逃げ出したいのに、どういうわけか足が竦み動けなかった。
 その時、突然足音が止み、目の前に上村の姿が浮かび上がった。
暗闇から街灯の下に現れた上村の、私を見下ろす眼光の鋭さに圧倒される。
「こんなところで何してるんですか?」
「ごっ、ごめん。立ち聞きするつもりは……」
 普段の穏やかで優しい口調とは全く違う、上村の冷たい声音に思わず後ずさる。
「……へえ?」
「痛っ!」
 いきなり手首をきつく握られて驚いた。
ギリギリと締め付ける痛みに顔が歪む。
「痛いよ上村。お願いだから手を放して」
 どうにかして逃げ出そうと、上村の手を振り払おうとしたその時、駐車場の方から先ほどの女性の涙まじりの声がした。